思想・学問

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可能性の冒険

400年も生きるサメの存在が確認されたそうです。 400歳ですよ。 驚愕です。 で、大人になるのに150年もかかるそうです。 よく、鶴は千年亀は万年なんて言いますが、実際は鶴で80年くらい、ゾウガメで200年くらいの寿命だと聞いたことがあります。 400歳とは信じがたいですねぇ。 大阪夏の陣で豊臣家が滅んだのがおよそ400年前ですから、そんな昔からこの世を生き抜いているのですね。 犬の寿命は10数年と言います。 人間は80年くらい。 頑張っても100歳をやっと超えるくらいでしょう。 そう考えると、寿命というものが持つ意味も、なんだか空しい感じがします。 健康で長生きしたいというのは多くの人が持つ願望でしょうが、まさか150歳まで生きたいと考えている人はいないでしょう。 しかしそのサメにしてみれば、150歳なんてやっと大人になった青年と言ったところ。 ただ、宇宙のあまりにも長い歴史を考えてみれば、400歳も80歳も大差ありますまい。 まさに一睡の夢というべきでしょう。 その一瞬のような生を、私たちはほとんど無意味に過ごしています。 もっとも、何が無意味で何が有意義なのかはそれぞれの気持ち...
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死生

人間と動物を分ける所以のものは、ひとえに人は自分及び身近な人、はてはあらゆる生き物がいずれ死ぬ存在だとしっていること、それゆえに葬儀を営むことになると言えるのではないでしょうか。 古く、葬儀はネアンデルタール人にまでさかのぼるとか。 その一事をもって、ネアンデルタール人こそは、人類の始まりと言えるでしょう。 自分や家族、友人が必ず死ぬということを、私たちは知識と知っています。 しかし、核家族化が進むと、実際に人の死に目にあうということがかなり珍しい経験になりました。 かつて2世代、3世代が同居していた頃、今よりも寿命は短く、死は実感としてはるかに身近であったことでしょう。 さらには、かつて死に関することは最も重要な思索のテーマでしたが、現代社会は死を忌避しているか、あるいは無視しているように感じます。 いつまでも元気で生きることを何より重要だと感じてはいないでしょうか。 誰でしたか、西洋の哲学者が、現存在としての人間は死を経験しておらず、死んでしまえば現存在ではなくなるので、実態として死を感得することはあり得ず、死は存在し得ない、みたいなことを言っている人がいました。 それは屁理屈だろ...
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若さ

私は毎日車で通勤しています。 朝夕、車の中でラジオを聞いて過ごしています。 ラジオではよく商品の売り込みのコーナーがありますが、ほとんど毎日、手を変え品を変え登場するのが、ダイエット商品と若返りのサプリメントです。 両者は同じ根っ子を持っているに違いありません。 要するに、いつまでも若々しくいたい、という欲望。 この欲望を持つのは人間の、いや生物の本能とも言うべきなのかもしれません。 しかし、絶対に叶えられない欲望でもあります。 大体いくつ若く見られたら良いのでしょうね。 100歳が90歳に見えたところでどうということもありますまい。 60歳が20歳に見られるわけもないし。 で、この願いが行き着く先は不老不死ということになるでしょうね。 死にたくない、いつまでも若々しく健康でありたいと願うのは、気持ちは分かりますが、あまりにも切ないことです。 叶えられない願いを持ち続けることほど切ないことはないでしょう。 古くは秦の始皇帝が探させたという不老不死の妙薬。 くだって、「銀河鉄道999」の機械の体、「火の鳥」などの漫画。 誰も叶えたことが無く、物語の世界でそれを得た例があっても、必ず不幸に...
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我々

今週も一週間が終わりました。 金曜日の終業後ほど気分の良いものはありません。 この瞬間のために、5日間働いていると言っても過言ではありません。 これはサラリーマンなら大抵の人がそうでしょう。 昔、「月曜日が、待ち遠しい」というコピーのCMがありましたが、それはワーカホリックの変態というべきで、貴重種でしょうね。 私たち事務職は組織で動いており、我々という意識が強烈です。 それは業務を遂行するうえで必要な意識だと思いますが、それも過ぎれば全体主義みたいな、連帯責任みたいな、我=個を殺す考えにつながってしまいますので、さじ加減が難しいところです。 私はエキセントリックな性格にみられることが多く、我々を否定するような言動をして、叱られたり嫌味を言われたりすること度々です。 しかし私はそんなことは気にしません。 面と向かって言われれば反論すれば良いし、陰口ならば放っておけば良いだけですから。  しかし私は、我々を完全に否定したことなどありはしません。 我々を意識することは、倫理観の維持につながるでしょうし、共同体や組織の繁栄に必須です。 ただ、我々意識にも限度があるし、我という意識も我々以上に...
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接触

せこすぎる都知事の辞職だの、IS支持者による同性愛者が集まるクラブでの銃乱射だの、ニュースを見ているといやになってきます。 また、職場では、外部資金獲得の算段だの、つまらぬ資料作成だの、くだらなすぎていやになります。 そんなとき、私の頭はどういうわけか、世の中で不思議と言われる現象を思い浮かべてしまいます。 不思議なことはたくさんあり、というか私がここにこうして存在していることが一番の不思議ですが、電卓をたたきながら、頭は宇宙の不思議に飛んでいました。  宇宙人の存在は間違いないところです。 宇宙に飛び立った我々地球人こそ、他の星の住民から見れば宇宙人であるに違いないからです。 この広い宇宙には無数の星があり、地球にしか生命が存在しないと考えるのは無理があるでしょう。 しかし、宇宙はあまりにも広いので、知的生命が他に存在していても、地球人と接触できるほどの能力を持っているかどうかはわかりません。 また、地球人が誕生し、しかも文明を築いたのは宇宙の歴史からみればごく最近のことなので、異星人の文明はすでに滅んでしまっているかもしれず、逆にまだ単細胞生物段階なのかもしれません。 時代が一致し...
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