思想・学問

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門前の小僧

今日も今日とてつまらぬ仕事におわれ、時がながれてしまいました。 私は働きたくない病とでもいうべき精神状態のまま、毎日働いています。 しかし不思議なもので、面倒な仕事は早く片付けて楽になりたいという思いと、やり直しはしたくないという考えから、早くて精確に仕事をこなし、しかも残業をしないので、あいつは暇だと思われ、ますます仕事が増えるという悪循環に陥っています。 日々思うのは、宝くじが大きく当たって退職し、旨い物を食ったり旅行をしたり芝居を観たりして、遊んで暮らしたいという、煩悩にまみれたことどもです。 大乗仏教では、すべての人に仏性が有り、誰もが悟りを開く可能性を持っていると説きます。 しかし自分の心をのぞいてみても、仏性のぶの字も見当たりません。 およそ成仏など考えられないことです。 同じ仏教でも小乗仏教はすべての人に仏性があるとは説きません。 どこの宗派かは忘れましたが、誰にでも仏性があり、成仏できる可能性があると説くのは、衆生が絶望しないようにするための方便にすぎない、と説いていて、なかなか鋭いと思ったことがあります。 まぁ、冷静に考えて、誰にでも仏性が有るのだと仮定しても、大抵の...
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Dデイ、あるいは平和を戦い取る

今日は世界の歴史のなかでも、特に重要な日です。 1944年のこの日、連合国軍が海を渡ってナチス・ドイツ支配下のフランス、ノルマンディー地方への侵攻を開始した、ノルマンディー上陸作戦の火蓋が切って落とされた日、通称、Dデイです。 史上最大の作戦とも言われるこの戦い、ナチの崩壊の始まりを告げる戦闘でもありました。 これによって、ナチは対ソビエトと対英米という二つの長大な戦線で戦うことになり、ついにはベルリンの総統官邸地下壕が落ちるまで、破滅への道を突き進んだのです。 わが国はソビエトが突如として参戦するに及び、ナチの崩壊を知る人々は2正面作戦は不可能と判断したのでしょうか、本土決戦を避けて降伏するという道を選びました。 これには連合国も拍子抜けしたことでしょう。 わが国の狂信的な軍国主義者は、冷静な判断など出来ずに、ナチのように本土決戦を選び、宮城が落ちるまで戦い続けるだろうと思い込み、ために戦後の占領政策は、わが国が完全に崩壊した場合のみしか、シュミレーションしておらず、アジアなどに広大な領土を維持し、国家としての機能が生きているままの状態での占領を考えていなかったと聞き及びます。 当初...
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思考の冒険

世の中には不思議なことがたくさんありますが、一番の不思議は、私たちがこうして生きていることでしょうね。 その不思議を思えば、幽霊が出ようが、宇宙人が飛来しようが、どうということもありますまい。 で、その不思議の謎を解こうと、様々な宗教や学問が発達してきたわけですが、この世がどのように成り立っているかということは解明できても、なぜ存在しているかは、永遠に解明できないでしょう。 もちろん、唯一絶対神のようなものを設定すれば説明はできますが、ではその神様がなぜ存在するのかを問うたなら、たちまち答えに窮するでしょう。 結局私たちは、真っ暗闇の世界を手探りで進み、やがて死んでしまうだけの存在です。 そこに意味を見出そうとしたところで、それは空しい徒労に終わるでしょう。 うつ状態が激しいとき、主治医は今にも自殺してしまいそうな私の様子を見て、「人は生きているだけで意味があるのですよ」と諭しました。 自殺を思いとどまらせるための方便にしか過ぎないその言葉に、私は心動かされることはついにありませんでした。 しかしそれでも、人は生きることに意味を見出そうとします。 社会的成功とか、個人的幸福とか、自己実...
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悲劇

平成27年(2015年)も大晦日を迎えました。 これまでの一年一年がそうであったように、今年もまた、地獄のように長い一年でした。 よく、時があっという間に過ぎるという嘆きというか言説を耳にしますが、あれは私には理解不能です。 一年365日、ほんのわずかの楽しみはあるものの、圧倒的多数の苦しみと悪戦苦闘しながらどうにかこうにか一日をこなしているというのが私の本音です。 そしてその日月の積み重ねの末に、長い一年が終わります。 それを敷衍してみれば、おそらくは亡くなるまで、悪戦苦闘は続くのでしょうね。 そうであってみれば、死は福音なのかもしれません。 現世の苦闘から解放されるわけですから。 世の中では様々なニュースを振り返る愚行が繰り返される日でもあります。 確かに一つ一つを思い起こして見れば、多くのニュースがありました。 しかしそれは過ぎ去り、記憶の底にしまいこまれるだけです。 どんな大事件が起きたところで、人々の暮らしの基本は、食って寝て働いてという、つまらぬ日常があるに過ぎません。 私はもしかしたら、物心ついて以来、カタルシスを心の奥深くで願っているのかもしれません。 カタルシスを求め...
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聖山

私は待つことと坂道を上ることが大嫌い。 もちろん階段を上がることも大嫌いです。 従って、登山が趣味なんて、マゾヒストとしか思えません。 その私が、学生の頃、山岳信仰に興味を持ち、恐山や月山、大峰山のふもとまで、バスで登れるところまで行き、登山者向けの宿に泊まって麓から霊力を得ようとしたことがあります。 平地にある寺院でも通常、「○○山××寺」のように、山を名乗るのが通例です。 インドで言う須弥山など、仏教にも山岳信仰的な要素が残っています。 役小角が始めたとされる修験道、山岳信仰と仏教、とくに密教とが融合した、不思議な宗教というか儀礼ですが、もともと山がちの国土で、我がくにびとが、恵みを与えてくれるとともに時にはひどい災厄をもたらすお山を畏れ敬ったのは謂わば当たり前とも言えるでしょう。 その昔は、サンカと呼ばれる山の民がいたそうです。 定住せず、山や山里を移動して暮らす人々で、被差別民とも盗賊とも言われ、未だに明確な定義は無いとか。 昭和30年以降、ほぼサンカは姿を消し、定住するようになったと言われます。 そういうわけで、私は登山をしたことがなく、今後もする気はありませんが、山への畏怖...
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