思想・学問

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STAP細胞はありません

理化学研究所、STAP細胞の再現実験の結果、作れなかったため、STAP細胞は現時点では存在し得ないという結論にいたりました。 予想どおりですが、ずいぶん発表を急いだ感があります。 年内に決着をつけたかったんでしょうか。 来年度の予算は、ざっくり5億円程度減額されるそうで、小保方氏という人、大したものです。 その小保方氏は理化学研究所を退職するそうです。 この一連の経過を聞いて、明治時代に大きな話題をさらった千里眼事件を思い出します。千里眼事件―科学とオカルトの明治日本 (平凡社新書)長山 靖生平凡社透視も念写も事実である ――福来友吉と千里眼事件寺沢 龍草思社 東京帝国大学の福来友吉博士が、超能力者と思われる女性を調査して、念写・千里眼などが存在すると主張。 その主張に懐疑的な学者やマスコミが集まり、公開で実験を行いましたが、女性曰く、極めてナイーブな状況で行われ、その場に否定的な空気が流れると、精神上の力が発揮できなかったとのことで、実験は失敗。 福来博士はアカデミズムの世界から追放され、手弁当で研究所を作り、生涯、孤独に研究を続けたそうです。 心理実験のようなものは、安定した結果を...
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人間(じんかん)何年?

今日から師走ですね。 平成26年(2014年)も残すところ、ちょうど一カ月となりました。 早いもので、とは言いますまい。 一つ一つを思い起こしてみれば、とてつもなく長い年月で、そもそも一年前、私は別の部署に座っていたことを思えば、隔世の感があります。 よく世間の人は、特に中高年は、年月の流れを、あっという間と表現しますね。 私にはその心性が理解できません。 私には、年月の流れは、常に牛歩の歩みのように思われ、もどかしくさえ感じます。 私は今40代半ばを迎えましたが、かつて人間(じんかん)五十年という言葉があり、人の世にいられる期間は五十年くらいと考えられてきました。 そうであるなら、40代半ばは老人ということになりましょうか。 しかし栄養状態が良くなり、医学の進歩もあり、人間(じんかん)は80年にもなろうとしています。 下手をするとそれは90年にも100年にもなる可能性があり、私はまだ半分も生きていないのかもしれません。 実感としては、結構長く生きたような気がするのですがねぇ。 行きつけの薬局では人生ゲームのようなポスターが貼ってあり、それによると60歳が総合的な判断力が最も優れている...
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他者実現

今朝、新聞のコラムで他者実現という言葉を知りました。 自己実現という言葉は、現代日本社会では人生の最終的な目標のように考えられ、これは留保なく良いこととされているようです。至高体験―自己実現のための心理学 (河出文庫)Colin Wilson,由良 君美,四方田 犬彦河出書房新社 しかしコラムでは、自己実現は戦後民主主義が作り出した偽の偶像ともいうべきで、おのれの欲望を満たそうとする営為に他ならない、と切り捨てられていました。 欲望である以上際限が無いのは当たり前で、ある段階を実現できればさらに次の段階と、まるで過食症の患者が大飯を喰らっては嘔吐し、さらに大飯を食い続けるという、永遠に終わらない欲望の連鎖だと言うのです。 これに対し、他者実現というのは、分かりやすく言えば他人の自己実現を第一に考えることで、愛の行為とされているとか。 早くも昭和18年には、波多野精一という哲学者の「時と永遠」に提唱されているそうです。時と永遠 他八篇 (岩波文庫)波多野 精一岩波書店 これは個人主義から派生した自己実現とは対極にあるもので、東洋哲学を倫理のバック・ボーンに持つ私たち日本人には、素直に腹に...
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昨日は小雨降る中、珍しく国立科学博物館に出かけました。 私は博物館はお好みではありません。 美術館はよく行きますが。 博物館はなんだかお勉強させられているようで、なんとなく足が遠のくのです。 さる方から国立科学博物館で開かれているヒカリ展の招待券をもらったので、無料ならばと出かけたしだいです。 おそらくLEDによるノーベル賞受賞に乗っかろうという魂胆でしょう。    オーロラや宝石、星などの光る自然物から、蝋燭やランプから裸電球、蛍光灯、LEDへといたる照明など、あらゆる光る物をあつかっていて、文系人間の私には少々難しかったですねぇ。  それでも、日頃接することがほとんどない理系の世界に、多少の感銘は受けました。 雨の上野公園、いつもの土曜日ほどではないにせよ、結構な人出で、観光客と思しき白人が大勢いて、例によって着物姿の私は歩く観光資源と化したのでした。にほんブログ村 人気ブログランキングへ
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見果てぬ夢

現在、天皇皇后両陛下の傘寿を寿ぎ、奈良国立博物館で正倉院展を開催中だそうですね。 先般NHKでその特集番組を放送していました。 はるか古代に、建築にしろ、絵画にしろ、また、楽器や衣装にしろ、非常に優れた文物を作り出し、それが今も鮮やかに保存されているとは、誠に喜ばしく、また驚くべきことです。 人が人たる所以のものは、実際の用にたたずとも、美しい物を作らずにおられないことにあるのかもしれません。 そうかと思えば、人は有史以来人間という同じ種同士で殺し合いを続けており、それは今も無くなっていません。 それならば人の人たる所以のものは、殺し合いにあると言えるかもしれません。 この相反する人間の性向が、同じ人間のなかに同時に存在することが、人間の不思議であり、人間たる所以なのでしょうか。 物事には二面性があるようです。 善と悪、戦争と平和、○○教の正義と××教の正義など。 これらは物事の裏表で、どちらかが失われればもう片方の存在も危うくなります。 悪が無くなれば善も消滅し、戦争がなくなれば平和の達成も不可能になりましょう。 因果な世の中です。 私たちは言葉では恒久平和を求め、善が普く世を覆うこ...
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