思想・学問

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黄泉に行く

汝の敵を愛せ、とキリストは説いたと伝えられます。 これは普通に考えれば到底受け入れがたいことです。 受け入れがたいことを受け入れるから立派な行為だとされるのでしょうね。 ただし、ただ単純に敵を愛するというよりも、敵を愛するという行為が、神様を愛するという行いにつながり、もって、人は神を愛し、愛される、という理屈のようです。 それによって、天国の門が開かれる、という利益が得られるというわけで、神の愛は無償かもしれませんが、人の愛はどこまでいっても対価を求めるもののようです。死ねばみな 黄泉に行くとは 知らずして ほとけの国を ねがふおろかさ 本居宣長の和歌です。 この人、日本神話に書かれていることを頭から正しいと信じ、仏教を批判しました。 神話では、黄泉の国は穢れた場所だとされていますから、誰だってそんなところに行くよりも、極楽往生を遂げたいと思うのが人情でしょうに。 この人、仏教や儒教などに侵されたわが国の思想体系を深く憂い、大和心をこそ良しとして、その本質に迫ろうと、「古事記伝」などの大作や、「源氏物語玉の小櫛―物のあわれ論」を著しました。古事記伝 1 (岩波文庫 黄 219-6)倉...
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とびお教

現在未開の民族の習俗と考えられている素朴な自然崇拝やシャーマニズムは、かつてどの民族でもみられたものと思います。 東洋においては仏教や儒教がおこり、それらは廃れました。 もっともわが国においては、なぜか仏教受容後も神道という形で残り、連綿と現在まで続いています。 これはわが国の人々の精神性に、寛容とバランス感覚という優れた資質を生み出す素になったことでしょう。 一方、西洋・中東ではユダヤ教・キリスト教・イスラム教という、よく似た教義を持つ三つの宗教が隆盛を極め、彼らの道徳規範となってきました。 その過程で彼らは自然崇拝やシャーマニズムを捨て去り、ために独善が生まれたものと推測します。 ナチズムはキリスト教を否定し、古代ゲルマン民族の土俗的な宗教を復活せしめようとしましたが、敗戦により頓挫。 当時、SS(親衛隊)将校のじつに99%がキリスト教を棄教したというから徹底しています。 ヤハウェの3宗教では、最後の審判ということが説かれます。 遠い将来、救世主が現れて、死者も含め、この世に存在した、あるいは存在するすべての人間は審判により天国行きか地獄行きかを決められるというのです。 いわばこれ...
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夢日記

学生の頃、夢日記をつけていたことがあります。 枕元にノートとシャープペンを置き、目覚めたなら、覚えているかぎりの夢を書き留めるのです。 そのうち、奇妙なことが起きました。 夢の記憶が鮮明になり、それが夢の出来ごとなのか、現実なのか、曖昧になってきたのです。 これは危険だと思い、夢日記を止めてしまいました。 筒井康隆は長く夢日記を書き続けており、時にはそこからインスピレーションを得て、作品化することもあるそうです。 精神的に強い人なのだと思います。 現実が夢に飲み込まれる恐怖を感じないのでしょう。 名匠、ヴィム・ベンダース監督に「夢の涯てまでも」という佳品があります。 夢、わけても幼いころの幸せな夢に溺れ、眠ってばかりいる人々を描いて、痛々しくも切ないえいがでした。 いわば、夢中毒。 夢日記に危険を感じた私には、ヴェンダース監督の意図が良く分かります。夢の涯てまでも ウィリアム・ハート,ヴィム・ヴェンダース電通 夢か現か幻か、なんて言いますね。 また、人生の栄華は一炊の夢、とも。 これは中国の故事で、ある青年がうとうとし、栄華に満ちた人生を夢に見るのですが、起きてみるとまだ飯が炊けていな...
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仇波(あだなみ)

日米開戦三ヶ月前の御前会議において、昭和陛下は祖父である明治天皇の御製、 よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風の 立ちさわぐらむ を読みあげられたと伝えられます。 従来、開戦を憂慮し、暗に開戦に反対の意向を表明したものだと解釈されてきました。 しかし、近年、某近現代史家の発表によると、当時会議に出席していた近衛文麿ら複数名のメモから、昭和陛下は波風を、あえて仇波(あだなみ)と読み替えられた、と主張しているそうです。 よもの海 みなはらからと思ふ世に など仇波の 立ちさわぐらむ と、なります。 そうだとすると、まるで意味が異なってきます。 仇波と読み替えられたというのが本当なら、日本人は平和を希求しているのに、なんだってまた敵は騒ぎを大きくするのじゃ、これでは戦を避けようがないではないか、と慨嘆しているような印象に変わってきます。 昭和陛下が開戦を望まず、外交努力によって日米間の対立を解消したいと願っていたことは間違いないでしょう。 しかし、全く日本の言い分を聞こうとせず、一方的に要求を突きつけてくる米国に苛立っていたであろうことも、想像に難くありません。 大御心が奈辺におありであ...
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神武天皇祭

明治7年から昭和23年まで、今日、4月3日は祭日でした。 以前だったらお休みできたのですねぇ。 悔しい。 初代天皇である神武天皇の忌日ということで、神武天皇祭と呼ばれていたそうです。 この日、かつては現役の今上陛下は奈良の橿原神宮に詣でることを慣例にしていたそうです。 嘘か真か、没年は紀元前586年と伝えられますから、ずいぶんべらぼうな話です。 実在したかどうかすら疑わしい天皇ですが、わが国民は古事記や日本書紀に伝えられる神話をわが国がわが国たるための物語として受け入れ、それによって国柄が形成されていったものと思われます。 今も、先帝とその3代前の天皇と神武天皇の忌日には、宮中で祭祀が行われているそうです。 そしてもちろん、橿原神宮をはじめとする全国の神武天皇を祀る神社ではこの日に祭祀を行っています。 記紀には、古代、120歳を超える天皇が何人も登場し、これが古代の天皇はフィクションだとする説の根拠の一つになっていますが、中国の古い歴史書によれば、わが国ではかつて、半年に一つ年齢を加算する風習があったとのことで、そうであれば130歳は65歳ということになり、当時としては長生きにしても、...
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