思想・学問

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小さな幸せ

昨日は精神科の診察がありました。 最近はわりと調子が良いので、世間話に終始しました。 精神科医は、仕事は適当にこなして、日常のちょっとしたことに幸福感を覚えられるようになったなら、それが一番良いと言います。 偉くなったところで、大したことはない、と。 それはそうでしょうねえ。 偉くなったところで大したことではありません。 ていうか、精神病で長く休んでしまった私が出世するはずもなく、出世を望んだところで、虚しいかぎりです。 偉くなると言えば、今、自民党の総裁選のニュースが盛んに流れています。 政治家は、偉くなりたいのでしょうねぇ。 それに幸福感を覚えるのなら、大いにやったら良いでしょう。 今回は本命不在と言うか、誰が勝つのか、予想がつきません。 河野、岸田、高市が激しい権力闘争を繰り広げています。 その裏では安倍、麻生、二階、森などが暗躍しているようです。 猿山の猿のボス争いとたいして変わらないような気がします。 私は、地味でつまらないけれど、安定政権を築くことが出来るのは、岸田候補だと思っています。 河野は舌禍事件を起こしそうだし、高市は右に振れているように思うからです。 それにしても...
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意識を機械に移植する? 

私はかつて、「人工とびお」という記事で、私の思考パターンや興味関心、性格等を人工知能に覚えさせ、それに折々の社会情勢や事件を自動的に入力することで、人工とびおが出来上がり、私の死後もこのブログを更新させ続けたい、と書きました。    下の記事です。      ↓     人工とびお - ブログ うつと酒と小説な日々 (goo.ne.jp) 私としては思考の遊びのつもりだったのですが、同じようなことを考える人はいるもので、すでに研究は進み、東大の脳神経科学者によると、20年以内に実用化できるんだそうです。 昨日の新聞を読んで、本当かいなと思いました。 びっくり仰天。 新聞によると、 脳は一千億個を超える神経細胞が電気信号をやり取りして情報処理を行う一種の電気回路だ。ということは、脳を十分に模した回路を作れば、そこに意識がやどらないはずはない、 と言うのです。これにより、人の意識を機械に移植することが可能だ、とも。 これが本当なら、意識のうえだけでは、一種の不老不死ということになります。 機械に移植された意識が、本当に自分の意識と言えるかは疑問ですが。 この技術は、人の死生観や倫理観に大き...
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金縛り

昨夜、ソファでいつの間にやらウトウトして、そのまま眠ってしまいました。 ただ、眠りが浅かったらしく、悪夢というか、金縛りにあいました。 金縛りというと、かつては心霊現象の一つと考えられることが多かったようですが、最近は睡眠障害と呼ばれ、肉体は眠っているのに脳が起きているという状態の時に起きると聞いたことがあります。 時折私も経験しますが、怖ろしいものです。 昨夜は、自分がソファで眠ってしまったことを自覚しており、何者かが私に害を為そうとうかがっていると思い込んでいます。 一刻も早く逃げ出さなければならない、と思いながら、体が動きません。 当然です。 眠っているわけですから。 しかし金縛りの最中はすでに目覚めているという意識があり、目覚めているのに体が動かない、逃げ出したいのに逃げられない、という状況でした。 びっしょり汗をかいてはっきり目覚めてから同居人に聞くと、ひどくうなされていたから何度か体をゆすって起こそうとしたが起きなかった、とのことでした。  こういうこと、十年以上前、頻繁に経験しました 上司からパワー・ハラスメントを受けてうつ病が再発した頃です。 その時は金縛りというより悪...
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神様 仏様

私が日蓮宗の寺で生まれ育ったことは、このブログで何度も申し上げたとおりです。 およそ仏教ほど、経典の多い宗教もありますまい。 キリスト教であれば、新約・旧約の聖書があれば事足りますし、イスラム教においてはコーランがあれば良しとします。  しかるに、仏教にはどれだけ仏典があるのか、偉いお坊さんも、仏教学者も分からないのではないでしょうか。 多分1,000や2,000はあるのではないかと思います。  一方、わが国において仏教と深く結びついた神道には、そもそも経典にあたるものが存在しません。 したがって、体系立った教学のようなものがありません。 自然崇拝と、ただ清浄と言い、清き明き心と言い、おそらくは生活規範のような物を旨としてきたように思います。 そして、八百万の神々なんていうとおり、何柱の神々がおわしますのか、誰にも分かりません。 およそありとあらゆる自然物や偉人が神であると考えられ、八百万というのは、無限というのと同義かと思います。 これらは、多くの多神教に見られることです。 それだけの神々がいながら、じつは神道には一神教的な側面が存在します。 天照大神を最高神とし、何よりも天照大神を...
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時間

今週もやっと終わりました。 長いような、短いような。  20年近く前、連日22時くらいまで(時には完徹)残業を余儀なくされるブラックな機関で働いていたことがあります。 任期を終え、無事出所(3年間の出向任期を終え、出身機関に戻ることを出所と呼んでいました)の際に催される送別の宴の際、「3年間は短かったけど、1日は長かった」とスピーチする人がいました。 うまいこと言うなぁと感心したことを覚えています。 時間が流れることを短いととらえるか、長いととらえるかは、個人差はありますが、一般に子供や若者が時間の流れを長いと感じ、中高年は短いと感じるような気がします。 考えてみれば、20年の間に、生まれた赤子は一人では何も出来なかったのが、歩けるようになり、喋れるようになり、幼稚園、小学校、中学校、高校と卒業し、大学に入る人は入って、無事成人と相成るわけです。 この20年間は思い出しても長かったと感じます。 しかるに、20歳~40歳は少し短く感じます。 大学生が就職し、仕事を覚え、中間管理職になり、という一般的なコースをたどれば、そこそこ長く感じるかもしれませんが、0歳~20歳ほどではないでしょう。...
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