思想・学問

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隠遁への願望

秋もずいぶん深まって、今日は初冬の寒さです。 なんとなく、寂しい季節ですね。 叶わぬ夢と知ってはいますが、秋も深まってくると、隠遁への願望が心中深く湧き起ってきます。 俗にして髪なし、と半隠遁の旅の姿を自嘲したのは松尾芭蕉でしたか。 沙門にもあらず、俗人にもあらずとおのれを述べたのは、禅坊主でありながら和歌や漢詩、書をたしなんだ良寛でした。 宗教者というより芸術家ですね。 鴨長明も西行も、出家して隠遁しながら、精力的に芸術的活動にいそしみました。 秋は、私をしてこれら隠遁者、宗教者の仮面を被った芸術家の生き方に、憧れを抱かしめるに十分な力を持っているようです。 しかし、私はしがないサラリーマン。 出家して隠遁しながら芸術的活動に励むなど、夢のまた夢です。 それは路上生活者にまっすぐに堕ちていく道でしかありません。 せめては定年後の隠遁生活に希望を持って、まだ長い現役生活を乗り切るしかありません。 もし十分な蓄えがあれば、隠遁できるのに。にほんブログ村 人気ブログランキングへ
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嘘八百、あるいは芝居

平凡な毎日をおくるなかでは、ひどい悪や、素晴らしい美を経験することはほとんどありません。 日常生活が退屈な所以と言えるでしょう。 日々を平凡に生きていると、素晴らしい美的体験や、逆に反吐が出るほどひどい悪に巡り合いたいという極端な欲求を持つことがあります。 それが、グロテスクなホラー映画や、美的な芸術を鑑賞したいという欲求に繋がるのでしょう。 たびたび指摘したことですが、私は、真実は嘘八百の中にしか存在し得ない、という予感を強く持っています。 自然科学はこの世の在り様を解明することはできても、在り様の真実を突き止めることは出来ません。 人文科学にいたっては、ほとんど思考の遊びに堕しています。 私が学問を信じない所以のものです。 文学作品などの芸術の分野は、端から真実の探求を捨て去り、おのれの直感や霊感の命ずるままに、美しいと思うもの、あるいはある見方を提示する作品を生み出していると言えるでしょう。 逆説的ですが、真実の探求を捨て去ったからこそ、真実に近づくことが出来るのだろうと思います。 私の精神性は、そういった嘘八百の世界に強いシンパシーを感じるように出来ているようで、そのためか現実...
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可能性の冒険

400年も生きるサメの存在が確認されたそうです。 400歳ですよ。 驚愕です。 で、大人になるのに150年もかかるそうです。 よく、鶴は千年亀は万年なんて言いますが、実際は鶴で80年くらい、ゾウガメで200年くらいの寿命だと聞いたことがあります。 400歳とは信じがたいですねぇ。 大阪夏の陣で豊臣家が滅んだのがおよそ400年前ですから、そんな昔からこの世を生き抜いているのですね。 犬の寿命は10数年と言います。 人間は80年くらい。 頑張っても100歳をやっと超えるくらいでしょう。 そう考えると、寿命というものが持つ意味も、なんだか空しい感じがします。 健康で長生きしたいというのは多くの人が持つ願望でしょうが、まさか150歳まで生きたいと考えている人はいないでしょう。 しかしそのサメにしてみれば、150歳なんてやっと大人になった青年と言ったところ。 ただ、宇宙のあまりにも長い歴史を考えてみれば、400歳も80歳も大差ありますまい。 まさに一睡の夢というべきでしょう。 その一瞬のような生を、私たちはほとんど無意味に過ごしています。 もっとも、何が無意味で何が有意義なのかはそれぞれの気持ち...
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死生

人間と動物を分ける所以のものは、ひとえに人は自分及び身近な人、はてはあらゆる生き物がいずれ死ぬ存在だとしっていること、それゆえに葬儀を営むことになると言えるのではないでしょうか。 古く、葬儀はネアンデルタール人にまでさかのぼるとか。 その一事をもって、ネアンデルタール人こそは、人類の始まりと言えるでしょう。 自分や家族、友人が必ず死ぬということを、私たちは知識と知っています。 しかし、核家族化が進むと、実際に人の死に目にあうということがかなり珍しい経験になりました。 かつて2世代、3世代が同居していた頃、今よりも寿命は短く、死は実感としてはるかに身近であったことでしょう。 さらには、かつて死に関することは最も重要な思索のテーマでしたが、現代社会は死を忌避しているか、あるいは無視しているように感じます。 いつまでも元気で生きることを何より重要だと感じてはいないでしょうか。 誰でしたか、西洋の哲学者が、現存在としての人間は死を経験しておらず、死んでしまえば現存在ではなくなるので、実態として死を感得することはあり得ず、死は存在し得ない、みたいなことを言っている人がいました。 それは屁理屈だろ...
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若さ

私は毎日車で通勤しています。 朝夕、車の中でラジオを聞いて過ごしています。 ラジオではよく商品の売り込みのコーナーがありますが、ほとんど毎日、手を変え品を変え登場するのが、ダイエット商品と若返りのサプリメントです。 両者は同じ根っ子を持っているに違いありません。 要するに、いつまでも若々しくいたい、という欲望。 この欲望を持つのは人間の、いや生物の本能とも言うべきなのかもしれません。 しかし、絶対に叶えられない欲望でもあります。 大体いくつ若く見られたら良いのでしょうね。 100歳が90歳に見えたところでどうということもありますまい。 60歳が20歳に見られるわけもないし。 で、この願いが行き着く先は不老不死ということになるでしょうね。 死にたくない、いつまでも若々しく健康でありたいと願うのは、気持ちは分かりますが、あまりにも切ないことです。 叶えられない願いを持ち続けることほど切ないことはないでしょう。 古くは秦の始皇帝が探させたという不老不死の妙薬。 くだって、「銀河鉄道999」の機械の体、「火の鳥」などの漫画。 誰も叶えたことが無く、物語の世界でそれを得た例があっても、必ず不幸に...
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我々

今週も一週間が終わりました。 金曜日の終業後ほど気分の良いものはありません。 この瞬間のために、5日間働いていると言っても過言ではありません。 これはサラリーマンなら大抵の人がそうでしょう。 昔、「月曜日が、待ち遠しい」というコピーのCMがありましたが、それはワーカホリックの変態というべきで、貴重種でしょうね。 私たち事務職は組織で動いており、我々という意識が強烈です。 それは業務を遂行するうえで必要な意識だと思いますが、それも過ぎれば全体主義みたいな、連帯責任みたいな、我=個を殺す考えにつながってしまいますので、さじ加減が難しいところです。 私はエキセントリックな性格にみられることが多く、我々を否定するような言動をして、叱られたり嫌味を言われたりすること度々です。 しかし私はそんなことは気にしません。 面と向かって言われれば反論すれば良いし、陰口ならば放っておけば良いだけですから。  しかし私は、我々を完全に否定したことなどありはしません。 我々を意識することは、倫理観の維持につながるでしょうし、共同体や組織の繁栄に必須です。 ただ、我々意識にも限度があるし、我という意識も我々以上に...
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接触

せこすぎる都知事の辞職だの、IS支持者による同性愛者が集まるクラブでの銃乱射だの、ニュースを見ているといやになってきます。 また、職場では、外部資金獲得の算段だの、つまらぬ資料作成だの、くだらなすぎていやになります。 そんなとき、私の頭はどういうわけか、世の中で不思議と言われる現象を思い浮かべてしまいます。 不思議なことはたくさんあり、というか私がここにこうして存在していることが一番の不思議ですが、電卓をたたきながら、頭は宇宙の不思議に飛んでいました。  宇宙人の存在は間違いないところです。 宇宙に飛び立った我々地球人こそ、他の星の住民から見れば宇宙人であるに違いないからです。 この広い宇宙には無数の星があり、地球にしか生命が存在しないと考えるのは無理があるでしょう。 しかし、宇宙はあまりにも広いので、知的生命が他に存在していても、地球人と接触できるほどの能力を持っているかどうかはわかりません。 また、地球人が誕生し、しかも文明を築いたのは宇宙の歴史からみればごく最近のことなので、異星人の文明はすでに滅んでしまっているかもしれず、逆にまだ単細胞生物段階なのかもしれません。 時代が一致し...
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門前の小僧

今日も今日とてつまらぬ仕事におわれ、時がながれてしまいました。 私は働きたくない病とでもいうべき精神状態のまま、毎日働いています。 しかし不思議なもので、面倒な仕事は早く片付けて楽になりたいという思いと、やり直しはしたくないという考えから、早くて精確に仕事をこなし、しかも残業をしないので、あいつは暇だと思われ、ますます仕事が増えるという悪循環に陥っています。 日々思うのは、宝くじが大きく当たって退職し、旨い物を食ったり旅行をしたり芝居を観たりして、遊んで暮らしたいという、煩悩にまみれたことどもです。 大乗仏教では、すべての人に仏性が有り、誰もが悟りを開く可能性を持っていると説きます。 しかし自分の心をのぞいてみても、仏性のぶの字も見当たりません。 およそ成仏など考えられないことです。 同じ仏教でも小乗仏教はすべての人に仏性があるとは説きません。 どこの宗派かは忘れましたが、誰にでも仏性があり、成仏できる可能性があると説くのは、衆生が絶望しないようにするための方便にすぎない、と説いていて、なかなか鋭いと思ったことがあります。 まぁ、冷静に考えて、誰にでも仏性が有るのだと仮定しても、大抵の...
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Dデイ、あるいは平和を戦い取る

今日は世界の歴史のなかでも、特に重要な日です。 1944年のこの日、連合国軍が海を渡ってナチス・ドイツ支配下のフランス、ノルマンディー地方への侵攻を開始した、ノルマンディー上陸作戦の火蓋が切って落とされた日、通称、Dデイです。 史上最大の作戦とも言われるこの戦い、ナチの崩壊の始まりを告げる戦闘でもありました。 これによって、ナチは対ソビエトと対英米という二つの長大な戦線で戦うことになり、ついにはベルリンの総統官邸地下壕が落ちるまで、破滅への道を突き進んだのです。 わが国はソビエトが突如として参戦するに及び、ナチの崩壊を知る人々は2正面作戦は不可能と判断したのでしょうか、本土決戦を避けて降伏するという道を選びました。 これには連合国も拍子抜けしたことでしょう。 わが国の狂信的な軍国主義者は、冷静な判断など出来ずに、ナチのように本土決戦を選び、宮城が落ちるまで戦い続けるだろうと思い込み、ために戦後の占領政策は、わが国が完全に崩壊した場合のみしか、シュミレーションしておらず、アジアなどに広大な領土を維持し、国家としての機能が生きているままの状態での占領を考えていなかったと聞き及びます。 当初...
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思考の冒険

世の中には不思議なことがたくさんありますが、一番の不思議は、私たちがこうして生きていることでしょうね。 その不思議を思えば、幽霊が出ようが、宇宙人が飛来しようが、どうということもありますまい。 で、その不思議の謎を解こうと、様々な宗教や学問が発達してきたわけですが、この世がどのように成り立っているかということは解明できても、なぜ存在しているかは、永遠に解明できないでしょう。 もちろん、唯一絶対神のようなものを設定すれば説明はできますが、ではその神様がなぜ存在するのかを問うたなら、たちまち答えに窮するでしょう。 結局私たちは、真っ暗闇の世界を手探りで進み、やがて死んでしまうだけの存在です。 そこに意味を見出そうとしたところで、それは空しい徒労に終わるでしょう。 うつ状態が激しいとき、主治医は今にも自殺してしまいそうな私の様子を見て、「人は生きているだけで意味があるのですよ」と諭しました。 自殺を思いとどまらせるための方便にしか過ぎないその言葉に、私は心動かされることはついにありませんでした。 しかしそれでも、人は生きることに意味を見出そうとします。 社会的成功とか、個人的幸福とか、自己実...
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悲劇

平成27年(2015年)も大晦日を迎えました。 これまでの一年一年がそうであったように、今年もまた、地獄のように長い一年でした。 よく、時があっという間に過ぎるという嘆きというか言説を耳にしますが、あれは私には理解不能です。 一年365日、ほんのわずかの楽しみはあるものの、圧倒的多数の苦しみと悪戦苦闘しながらどうにかこうにか一日をこなしているというのが私の本音です。 そしてその日月の積み重ねの末に、長い一年が終わります。 それを敷衍してみれば、おそらくは亡くなるまで、悪戦苦闘は続くのでしょうね。 そうであってみれば、死は福音なのかもしれません。 現世の苦闘から解放されるわけですから。 世の中では様々なニュースを振り返る愚行が繰り返される日でもあります。 確かに一つ一つを思い起こして見れば、多くのニュースがありました。 しかしそれは過ぎ去り、記憶の底にしまいこまれるだけです。 どんな大事件が起きたところで、人々の暮らしの基本は、食って寝て働いてという、つまらぬ日常があるに過ぎません。 私はもしかしたら、物心ついて以来、カタルシスを心の奥深くで願っているのかもしれません。 カタルシスを求め...
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聖山

私は待つことと坂道を上ることが大嫌い。 もちろん階段を上がることも大嫌いです。 従って、登山が趣味なんて、マゾヒストとしか思えません。 その私が、学生の頃、山岳信仰に興味を持ち、恐山や月山、大峰山のふもとまで、バスで登れるところまで行き、登山者向けの宿に泊まって麓から霊力を得ようとしたことがあります。 平地にある寺院でも通常、「○○山××寺」のように、山を名乗るのが通例です。 インドで言う須弥山など、仏教にも山岳信仰的な要素が残っています。 役小角が始めたとされる修験道、山岳信仰と仏教、とくに密教とが融合した、不思議な宗教というか儀礼ですが、もともと山がちの国土で、我がくにびとが、恵みを与えてくれるとともに時にはひどい災厄をもたらすお山を畏れ敬ったのは謂わば当たり前とも言えるでしょう。 その昔は、サンカと呼ばれる山の民がいたそうです。 定住せず、山や山里を移動して暮らす人々で、被差別民とも盗賊とも言われ、未だに明確な定義は無いとか。 昭和30年以降、ほぼサンカは姿を消し、定住するようになったと言われます。 そういうわけで、私は登山をしたことがなく、今後もする気はありませんが、山への畏怖...
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この世ならぬもの

水木しげる先生が93歳で逝去されました。 妖怪を題材にした漫画、戦争体験を元にした漫画、どれも印象深いものです。 私がこの人に深いシンパシーを感じるのは、かつて日本社会において実際に存在するものとされてきたこの世ならぬ存在への予感を、堂々と表明し、それを面白く描き出した点にこそあります。 第六感だか霊感だか、名前はどうでも構いませんが、私は、現在存在しないとされている何者かが、確かに在ると思っています。 それは日本に限らず、どこの社会においても、神話や怪談などで語り継がれてきたことで、それらが在るからこそ、人々はそれらの存在を近しいものと感じ続けてきたのであろうと思っています。 ただし、それらは恐怖すべき対象では無い、あるいは恐怖すべき存在はごくわずかでありましょう。 水木先生が描き出した妖怪の類も、どこかユーモラスで、人間と共生する存在とされており、おそらくはそれが実態に近いものと思われます。 また、芸術家などが感じるインスピレーションは摩訶不思議なもので、それこそまさに、この世ならぬ者との感応が生み出したものでしょう。 水木先生が示された、この世ならぬ者との親和性を、今こそ取戻し、...
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肉体

私が長期病気休暇を余儀なくされていた頃、精神科医からさかんに散歩を勧められました。 うつ状態にあると部屋に閉じこもってひたすら落ち込んでいくばかりでなく、急激に太って内臓の疾患にかかることも多いことがその理由のようです。 休み始めたばかりの頃はとても用もないのに外を歩き回る気になれず、寝てばかりいましたが、病状の回復とともに、医師の勧めにしたがって歩くことができるようになりました。 そこで気付いたことは、最初は嫌々でも、歩いているうちに調子が良くなって、気分も良くなるということ。 もともとスポーツをする習慣がない、運動嫌いの私であれば、運動で気分が良くなるという話を知ってはいても、実感するのは初めてのことでした。 そこで私は、肉体に閉じ込められた精神は、単に閉じ込められているのではなく、激しくその支配を受けていることを知ることになります。 もちろん、うつ病などの疾患が、体を動かせば治る、なんて、巷間ささやかれている俗説を主張する気はさらさらありません。 特に症状がひどい初期段階においては、服薬と休養が、良くなってきても服薬が重要であることは論を待ちません。 そのことを大前提に、精神障害...
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破滅一歩手前の美

夢でも野望でも大志でも、言葉はどれでも構いませんが、夢を諦めないで的な歌謡曲はあまたあります。 少年の頃は私も人並みにそれらの言葉に魅力を感じていましたが、年を取ると白けてくるというか、じつにどうでも良いことのように感じます。 夢や野望や大志というものは、要するにそうでありたいという自己実現欲求かと思いますが、それはまさしく執着というものです。 そう、お釈迦様が戒めた執着です。 最近では、何かにこだわることを、「こだわりの逸品」などのように、まるで一つの道に精進しているかのような使い方をしますが、本来の意味から言えば誤用です。 本来は、「~にこだわってはいけない」というように、こだわりを、一つのことに執着する悪い意味で使っていました。 いつから本来の意味が誤用に転じたのか分かりませんが、私が子供の頃にはそういう使い方はしていなかったように思います。 他にも、本来は自分には軽すぎる役目という意味の「役不足」という言葉を、自分には重すぎる役目という意味に使ったり、「不言実行」のパロディであったはずの「有言実行」という言葉が元々あった言葉であったかのように使われるようになりました。 言葉は変...
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