思想・学問

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絶対に知りえない

今日もお上の要請に従って、昼飯を食いに外出した以外は、家に閉じこもっていました。 コロナ太りは必至でしょうねぇ。 帰宅後、かの有名な「ベン・ハー」がテレビで放送されていたので、なんとなく、観てしまいました。 ローマ時代のユダヤの王族を描いた大河ドラマ、というくらいしか知識がなかったのですが、観てみたら、キリスト礼賛みたいな話なのですね。ベン・ハー 特別版(2枚組) チャールトン・ヘストンワーナー・ホーム・ビデオ 大河ドラマとしては面白く鑑賞しましたが、ラストがキリストの磔と奇跡の誕生というのでは、少々白けます。 まともにキリスト教を信じている人には、必然とも言うべきラストなのかもしれませんが、日本人の大半はキリスト教徒ではありませんし、私がそうであるように、ずっこけたのではないでしょうか。 あの長い長い映画は、何のために作られたんだろうという疑問を感じます。 キリスト教のことはよく知りませんが、隆盛の始まりが教祖の磔というのは、なかなかに残酷なものです。 後に多く生まれるキリスト教の宗教絵画は、私にはどれもSMっぽく感じられます。 しかしながら、欧州を始めとして、多くの人々があの宗教を...
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滅ぶ

SEKAINO OWARIというバンドがありますね。 中二病を地で行くような名前です。 縁起でもないと言えばそのとおりです。 しかし、全世界が破滅する、という観念には、どこか人を浮かれさせる作用があるように思います。 滅ぶということ。 誰でしたか、自滅を美とせず、と書いた小説家がいました。 それは自滅を美と感じる人が多いからこそでた言葉。 自滅を美としない人が圧倒的に多かったならば、わざわざ書くこともありますまい。 三島由紀夫は、破滅に向かってまっしぐらに突き進む姿こそ美しい、という意味の言葉を残しました。 私もまた、破滅ということに、どこか浪漫的な美を感じてしまう不届者の一人です。 しかしそれは、観念の遊びに過ぎません。  やったことはともかく、ナチのファッションや深夜の集会などは、美的であったと感じます。 そしてまた、ヒトラーは、我々は世界を焼き尽くす、と、中二病のようなことを言っています。  世界の終わりという観念が人を浮かれさせたとしても、それが現実のものになろうとした時、人々は全力でそれを阻止しようとするでしょう。 多くの国がナチの滑稽とも言うべき野望を打ち砕いたように。 今...
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建国記念

今日は建国記念の日。 戦前は紀元節と称され、初代である神武天皇が即位した日とされています。 なんでも紀元前の何年かは忘れましたが、その何年だかの1月1日に即位されたと古事記や日本書紀などに記されており、それを西暦に直した日が今日なのだとか。  なんとも嘘くさい日ではありますが、国家や民族には物語が必要です。 革命で国家が成立したとか、独立戦争で勝利したとかいうのは、概ね近い過去の出来事であり、日付ははっきりしています。 革命前も独立前も、国家や民族というのはあったはずですが、現代の国家という意味では分かりやすいでしょう。 そういう意味では、わが国の場合、連合国と講和を結んだサンフランシスコ平和条約締結の日が新生日本の建国の日にあたるのかもしれません。 しかしそれでは、戦前の日本を否定することにもつながり、わが国の伝統文化であり、物語であるところの、民族の中核とでもいうべきものが、忘れられてしまうかもしれません。 そういう意味で、神武天皇の即位の日という、信じがたい、いわば嗤うべき日に建国の日を定めたことは、明治政府の、欧米列強に対する矜持だったのかもしれません。 おかげ様をもちまして、...
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ブッダ・ダンマあるいは至高体験

私は学生の頃、英国の思想家にして神秘主義に深い関心を寄せたコリン・ウィルソンの著作を好んで読みました。 なかでもマズローが唱えた至高体験を独自に解釈っした「至高体験 自己実現のための心理学」には感銘を受け、何度も読み返しました。至高体験―自己実現のための心理学 (河出文庫)コリン ウィルソン河出書房新社 至高体験とは、なにも神秘主義的な体験ではありません。 例えば晴れた土曜日の朝に感じる、何事にも代えがたい幸福感に包まれた感じとか、分かりやすい言葉で解説さあれています。 しかしそこに至るには階段を上らなければなりません。 これは健康な人が感じる幸福感で、マズローはこの至高体験を繰り返して生きることを良しとしました。 当たり前といえば当たり前ですが。 マズローは至高体験に至る道を、5段階で説明しています。 すなわち、①生理的欲求、②安全の欲求、③所属と愛の欲求、④承認欲求、④自己実現の欲求、そして、その先にあるものこそが至高体験というわけです。 大抵の人は食えて、安全で、家族や恋人などに愛され、愛し、自れが認められれば、それでよしとするでしょう。 しかしその先には、自己実現欲求さらには至...
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二つの夢

年末年始の長い休暇、夢をみているように楽しく過ごしています。 1月4日への恐怖は、まだわいてきません。 夢と言えば、沢庵禅師の禅語を思い出します。 是(ぜ)も亦夢(またゆめ) 非(ひ)も亦夢(またゆめ) 色々と解釈できると思いますが、是とか非とかの相対的な知識や判断の境地、といったところでしょうか。 是も非も夢ならば、人生そのものが夢ととらえられるかもしれません。 沢庵禅師は夢に託して人生を歩むことを好んだようで、夢百首という歌集を残しています。沢庵 (中公文庫)水上 勉中央公論新社 また、道元禅師は、 本末(もとすえ)も みな偽りの つくも髪 思い乱るる 夢をこそ説けという短歌を残しています。道元一日一言 (致知一日一言シリーズ)大谷哲夫・編致知出版社 沢庵禅師にしても道元禅師にしても、夢と言う言葉に、二つの意味を見出しているように思えます。 一つは睡眠中にみる夢。 一つは夢から醒めたのちに見る夢。 例えば修行僧でいえば、さとりを開くことに執着し、夢の中でさとりを開こうとするのが第一の夢。 修行僧が夢から醒め、夢には実態がないように、この世界に存在するらしいものは、すべて実相がないと...