
嘆きの週あたま
月曜日、これからの一週間を思うと、気が重くなります。 電車通勤をしていた頃、電車に揺られながらよく読んだ夕刊紙に、毎週「嘆きの週あたま」という記事が連載されていました。 サラリーマンなら誰もが、月曜日を嘆いているのでしょうね。 月曜日を嘆くその理由の奥深くをのぞき込むと、私は私が何者でも無いと感じてぞっとします。 世間的には事務職の小役人ということになるのでしょうが、私の心のなかでは、そういう肩書には違和感を覚えます。 30年近く小役人をやっているにも関わらず。 では月曜日を嘆いている私は何者でしょうね。 私は何者か、という疑問を敷衍すれば、人間とは何者だ、という疑問が湧き上がってくるのは当然の仕儀と言えましょう。 ソクラテスは「人間とは自己を追求する存在だ」と言い、カントは「人間とは共同体のなかで善を追求する存在だ」としました。 また、私の亡き祖母は、「人間は褒められたくて生きている」と言いました。 どれもあたっていると思います。 そのような考え方は、いずれも「人間は~だ」という風に語られますが、20世紀にいたって、人間は何者でもなく、何者かになるのだ、という考えが広まります。 善で...