思想・学問

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共通認識の不可能性とシンクロニシティ

時折、絶対的な孤独感を感じることがあります。  この世に存在しているように感じられるものすべてが、私自身の認識によるものにすぎず、実際は存在していないのではないか、と。 これは、唯我論とか独我論とか呼ばれる考え方で、はるか昔から、哲学者を悩ませてきました。ウィトゲンシュタインと「独我論」黒崎 宏勁草書房自我体験と独我論的体験―自明性の彼方へ渡辺 恒夫北大路書房 そういった哲学者の営みはひとまずおいて、私は私の感覚だけを語りたいと思います。 まず、リンゴは赤い、と言った場合、私が見ているリンゴの赤さと他者が見ている赤さが同じと言えるのかは、誰にも証明できません。 まして色盲の人はまったく違う色を見ているでしょうし、全盲の人は見ることが出来ません。 見る、ということが、まずは疑わしく感じます。 話は変わりますが、なんと世の中には、全盲の写真家がいるそうです。 見えないものをどうやって撮影し、どうやってそれを確認するのでしょうね。フレームのない光景―盲目の写真家いのちの軌跡中川 晶子主婦と生活社 同じことは、聞くことにも言えますし、それを敷衍して、人間の持つすべての感覚に同様のことが言えるで...
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惑う

生きる意味、みたいなことについては、誰もが一度は考えたことがあるでしょう。 大学を出て、安定した職業に就いて、結婚もしてマンションも買って。 精神障害もほぼ克服して。 子宝には恵まれなかったとはいうものの、私は表面的にはしっかりと生きてきたように見えるでしょうね。 食うや食わずのような状況に置かれていると、安定して食えるようになることが人生の目標になるので、かえって生きる意味を考えないようになるそうです。 むしろ先進国などの豊かな社会のほうが、生きがいとか生きる意味について思い悩む人が多いのだとか。 そして一般的に、思春期、中年期、老年期にそういった思いが強くなるんだそうです。 思春期については、まぁ、当たり前と言えます。 中年期は、ある程度の社会的地位や収入を得て、このままこうして生きるためだけに働き、老いていくのか、という絶望感から。 老年期は、引退しているためか、自分は世の中に必要とされていない、死んだほうが喜ばれる、という悲哀から。 なんだかこのところ、私は生きがいだとか、生きる意味だとかをぼんやりと考えて、とてつもない落ち込みに入り込むことが多くなりました。 まさに中年期の葛...
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芸術と酒なしで生きる

夏の終わりが近づいているようです。 今さら感が漂う今日の暑さも、夏の断末魔のような気持ちさえしてきます。 この猛烈な残暑のなか、ぼんやりとした頭で、はるか昔に読んだ、芸術についての思索が浮かんでは消えていきます。 芸術もまた、儚い夏の如くだからでしょうか?  芸術論というのはあまりにもたくさんあって、正直、何が何だかわかりません。 しかし、ニーチェ中期の芸術観は分かりやすいのではないでしょうか。 芸術と酒なしで生きること。-芸術作品は酒と同じような事情にある。つまり、両方とも必要とせず、いつも水ですませ、その水を塊の内部の火、内部の甘美さでくりかえしおのずと酒に変えていくほうがずっとよいのである。 「人間的な、あまりに人間的な」という著作にみられます。人間的な、あまりに人間的な〈上巻〉(新潮文庫) (1958年)阿部 六郎新潮社人間的な、あまりに人間的な〈下巻〉(新潮文庫) (1958年)阿部 六郎新潮社人間的な、あまりに人間的な (まんがで読破)ニーチェイースト・プレス 正直難解ですが、この一節はすとんと腹に落ちます。 芸術を、陶酔を求める酒か麻薬のようなものと見なすのは、分かりやす...
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間違った考え、あるいは先人の知恵

首都圏の、ここ数日の雨とそれに伴う気温の低さは少々異常に感じられます。 今週いっぱいはこんな感じなんだとか。 来週、8月も下旬にいたって暑さがぶり返したところで、それはほとんど残暑と言っても良いでしょう。 今年は冷夏なんていうものじゃなく、梅雨が明けたら秋がきた、みたいな感じです。 昔だったら雨乞いの逆、なんて言うのか知りませんが、気象の神様の魂を鎮める儀式でも執り行ったことでしょう。 今はそんなことはしませんが。 しかし、合理的精神というか、科学的精神というか、そういうものはこの世を生きる動物の一種である人間にとって、万能ではないことは明らかです。 科学や理屈では判明していないことはあまた在るわけですから。 むしろ、祈祷、あるいは呪いと言った、現在否定されている精神的な行動、魔術的思考とも言うべきものも、人間には必要なのだろうと思います。 それは経験的に。 そして例えば、慰霊祭やら葬式やら、一見無駄に思えるようなことも、現代に脈々と受け継がれ、むしろそれは大切な行為だとみなされています。 また、例え、精神病だというのが本当だとしても、本人や家族が悪魔憑きとか狐憑きだと信じていれば、エ...
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戦闘本能

8月。 先の大戦を振り返る季節がやってきました。 人間には絶望的なほどの戦闘本能とも言うべき性質が備わっているように思います。 戦争にしても革命運動にしてもヤクザの抗争にしても、同種同士で傷付けあうという本能こそ、人間の根源的な性質であることは、歴史を見れば否定できないものではないでしょうか。 スポーツやゲームなどで戦闘本能を満足させることができるでしょうか? それはまるで、ガムを噛んでタバコの代わりとしようとするごとく、また、ノンアルコールビールで飲酒欲求を満足させるかのごとく、虚しいことのような気がします。 戦闘本能を十分に満足させるものは戦闘しかない、というのが、結局のところ本当なのではないでしょうか? それを肝に銘じて、では平和を維持しつつ、戦闘本能を満足させる方法はないのか、を考える必要がありましょう。 救いがないようですが、私はそういう方法は結局のところ存在し得ないのだろうと思います。 本能であるのなら、それを失えば人間は人間ではなくなってしまうでしょう。 それならば、人間は人間でなくなる努力をすれば良いということになるのかもしれません。 人間を超えた存在。 神をも超える存...
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宗教遍歴

私が初めて宗教ということを意識したのは、「オーメン」シリーズや「エクソシスト」シリーズなど、キリスト教を題材としたオカルト映画でしたねぇ。【Amazon.co.jp限定】オーメン製作40周年記念 ダミアン コンプリートBOX(映画第1作~第3作&リメイク版ブルーレイディスク+TVシリーズDVD5枚組) 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパンエクソシスト ワーナー・スペシャル・パック(3枚組)初回限定生産 エレン・バースティン,リンダ・ブレアワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント でもキリスト教を深く知ろうとは思いませんでした。 何しろ小学生でしたから。 私は日蓮宗の寺に生まれ育ちましたが、日蓮宗の教えにさしたる興味は持ちませんでした。 法華経を最高のお経とする日蓮上人の教えが、よく理解できなかったこともあります。 法華経を読んだ時の印象は、なんだか例え話と、観音経や虚空会、二仏並座など、ありえないSF的な演出ばかりで、理論理屈が無いように思えたものです。 スペクタクルとしては面白いですが。 江戸時代の白隠...
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損得か、思想信条の違いか

現在、世界の人口はおよそ70億人なのだそうです。 1900年にはおよそ16億人だったそうですから、怖ろしい勢いで増えていることになります。 一方、わが国をはじめ、先進国は減少傾向。 豊かな国で人口が減るのは不思議ですね。 人類にとっては永遠とも思える時間のなかで、今この瞬間に同時に生きているというのは、例え遠い異国の、会ったことも無い人であっても、強い縁があるのだろうと思います。 まして日本というマイナーな言語をあやつる1億ちょっとの人々は、まさに同胞。 その中でも家族や友人、同僚になって言葉を交わす人々というのは、奇跡のような確率の縁ですね。 そう思うと、身近な人も、そうでない人も、すべての人々が限りなく愛おしく感じられます。 一方で、戦争が絶えたことはなく、テロは頻発しています。 愚かなことですが、これが人間の限界なのでしょうか。 チンパンジーは、集団での戦闘を繰り返すのだとか。 一方、チンパンジーより少し小さいだけのボノボは、集団での戦闘を行うことはないそうです。 ボノボの特徴は、異性間でも同性間でも、疑似的性行為を頻繁に行い、親密さを増すことで、平和を保っているのだとか。 LO...
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大予言

私が小学生だった1970年代後半、ノストラダムスの大予言という本が流行って、テレビでも特集番組がたびたび放送されました。 当時は、1999年7月に人類が滅ぶ、という予言が、恐怖をもって語られることがもっぱらでした。 1999年7の月、恐怖の大王が天から降ってくる。 彼はアンゴルモアの大王を蘇生させ、その前後、マルスが正義の名のもとに世界を支配する。 うろ覚えですが、上記のような内容だったと思います。アンゴルモアの大王という言葉が何を指すのか、今もって定説は無いようですが、マルス(火星)というのは、米国を指すとされています。 要するに何か恐ろしい事態が起きるらしいこと、その当時、米国が正義の名のもとに世界を支配している、ということが読み取れます。  恐怖の大王を、巨大隕石だと解釈したり、宇宙人だと言ったりする怪しい研究者がテレビで恐怖を煽っていましたね。ノストラダムスの大予言 迫りくる1999年7の月人類滅亡の日 (ノン・ブック)五島勉祥伝社 小学生だった私は、1999年7月だと自分は29歳になっているのかと思い、遠い将来だと感じつつ、30歳まで生きられないのかと、本気で心配したことを懐...
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老年の青春期

今日は馬鹿に暑い日でしたね。 しかし、ここ数年、明らかに暑さを感じにくくなっているように感じます。 真夏でも、半袖を着ることがなくなりました。 布が足りないような気がして、なんとなく不安なのです。 そういえば、老人は真夏でも暑さをそれほど感じず、ためにエアコンを使わずに熱中症になることがあると聞きました。 私は8月で48歳になります。 昔であれば人間(じんかん)五十年、なんて言って、アラフィフは老人の部類だったのでしょうが、今は50歳なんて普通に考えれば中年ですし、国会議員なんかは若手のような扱いをうけているようですが、自覚的にはずいぶん衰えたような感じがしています。 疲れやすくなったし、書類作成など、手を動かす仕事が面倒で仕方ありません。 体重は新人の頃とほぼ同じで、髪も黒々ふさふさなので、見た目の衰えはシミが増えたくらいですが、最近私を悩ませているのは、緑内障による左目の悪化です。 右目は正常なので、両目で見る分には右目がカバーしてそうでもありませんが、左目だけで物を見ようとすると、視野が極端に狭く、真ん中に黒い線のようなものがあって、難儀します。 右目も悪化したら、車の運転どころ...
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自分だけの真理、あるいは超人

長い一日。 長い一週間。 切ないばかりに短い週末。 これらを積み重ねて、人々は生きています。 生きるということの意味を問う暇もなく。 それは絶望に至る道なのでしょうか。 美的な存在・倫理的な存在・宗教的な存在。 キリスト教を深く信仰した哲学者キルケゴールは、人間の在り様をざっくり上の三つに分類しました。 私は西洋哲学には疎く、正確な理解ではないと思いますが、一時期、西洋哲学の書物を読み漁ったことがあり、その時のおぼろな記憶では、そんなようなことだったと思います。 多くの凡人は、美的な生き方に甘んじているものと思われます。 美的というと何やら高尚な感じがしますが、要は酒を飲んだりパチンコに興じたりする、平凡な生き方と考えれば分かりやすいでしょう。 かくいう私もそうです。 そこから一歩進んで、倫理的な存在があります。おのれの良心に従って、あれかこれかを選択する、意識の高い生き方です。 しかしキルケゴールは、美的な存在も、倫理的な存在も、やがて絶望=死に至る病の淵に立たされるだろうと予言しています。死に至る病 (岩波文庫)斎藤 信治岩波書店 美的存在は虚無や不安などに襲われ、倫理的存在は自己...
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相撲

ようやっと、稀勢の里が横綱に昇進しましたね。 遅咲きと言われますが、三役までは超スピード出世でした。 大関になるときと、今回、横綱に昇進する際に苦労しました。 日本出身横綱の誕生は19年ぶりとかで、ずいぶんモンゴル勢に押されていました。 相撲の起源は古く、日本神話に遡ります。 天照大神が出雲に使者を送り、大国主命に国譲りを迫った際、大国主命は二人の息子が応じるというなら国譲りに同意する、と応えます。 二人の息子のうち、一人はすぐに応じますが、一人が力比べをしようと言って、使者と相撲を取り、使者が勝ったため、大国主命は巨大な宮殿を建設することを条件にして天照大神にこの国を譲ったわけです。 この宮殿こそが、出雲大社とする説があります。 で、その子孫が天皇というわけで、平たく言えば、高天原に住んでいた神々が、この国を分捕ってしまったということです。 しかも、その後、初代天皇である神武天皇は東征の名のもとに侵略を重ね、ついに本州は天照大神の子孫が支配することになったわけです。 「古事記」や「日本書紀」では、東征は露骨な侵略戦争として描かれますが、大国主命の息子と天照大神の使者は、単に相撲をとっ...
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畏怖

キルケゴールは「死に至る病」で、絶望を罪と断じ、絶望こそが死に至る病だとしました。 そして絶望を脱するには、真のキリスト者でなければならない、とも。死に至る病 (岩波文庫)斎藤 信治岩波書店 イスラム教では最後の審判は必ず訪れる、と警告し、アッラーへの信仰によって天国へと至ることを求めました。 浄土教では阿弥陀仏にすがることを薦め、禅宗ではひたすら座って瞑想することを求めています。 神道では清き明き心を良しとしました。 何が本当だか分かりません。 宗教的真実が一つなのだとしたら、一つ以外は嘘つきということになりましょう。 あるいは、仏教における門のように、どの宗教に入信しても頂きは一緒ということも考えられなくはありませんが、ちょっと無理筋のような気がします。 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はほぼ同じような教義を持っていますが、一方で少しの違いに目くじらを立てて、殺し合いを続けてきました。 それどころか、キリスト教においてはカソリックとプロテスタントで争いをしていた過去があります。 まこと、信仰とは厄介なものです。 わが国では、檀家で氏子でクリスチャン、などと揶揄されるように、ほぼ無宗...
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常不軽(じょうふきょう)

法華経の中に、常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)という章があります。 法華経は大部の経典で、さまざまな、品つまり章立てがなされています。法華経〈上〉 (岩波文庫)坂本 幸男,岩本 裕岩波書店法華経〈中〉 (岩波文庫)坂本 幸男,岩本 裕岩波書店法華経〈下〉 (岩波文庫 青 304-3)坂本 幸男,岩本 裕岩波書店 火宅、つまり火事になっているのに気付かず、燃え盛る家で遊んでいる子供をとおして、人類の在り様を描いた譬喩品や、観音様の力の偉大さを描いた観世音菩薩普門品などは、なんとなく知っているという人が多いのではないかと思います。 で、常不軽菩薩品。 これは不思議な話です。 常不軽菩薩は、特段仏典を勉強するわけでもなく、ただひたすら、誰に対しても、「私はあなたを決して軽んじない、あなたは、菩薩としての修行を行ないなさい。あたながたは、正しく完全に覚った尊敬されるべき如来になるでありましょう」  と言い続け、時には逆にバカにされたと感じて怒り出す人もいるなか、ひたすらそれを言い続けるのです。 私は仏教を完全に独学で学びましたので、この品の正しい理解をしているとは思っていません。 しか...
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今、ここ

金曜日のお昼休みを迎えました。 あと半日でお休み。 でも週末の天気はあまりよろしくないようです。 先週は田原町から浅草あたりを散歩しました。 その記憶は鮮明です。 しかし、時間は存在しない、という説を唱える人がいます。 つまり、人は常に、今、ここにしか存在し得ず、過去は過ぎ去っており、未来は想像しかできないので、過去も未来も、今、ここには存在せず、しかも人は今、ここにしか存在し得ないゆえに、過去も未来も無く、あるのは変化だけだ、という、屁理屈みたいなものです。 しかし変化があるということ、しかも常に変化し続けるのが現世である以上、変化こそが時間の正体であり、諸行無常と言うとおり、変化こそがこの世の本質だと思えば、時間が存在しない、とは言えないような気がします。 言えるとしたら、時間旅行は不可能(今の人間の能力では)ということだけなのではないでしょうか。 こんな思考を職場の昼休みに繰り広げるというのも、月曜日から金曜日まで出勤し、土日は休むという、ある種円環的な時間のなかで生きる私にとって、週末というのはその円環の区切りであるからかもしれません。 しかし、時間は、一日一日の繰り返し、一週...
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バッドトリップしかしないドラッグ

またもや辛い一週間が始まりました。 つい、なんで生きているのかな、という青臭い思いが頭をもたげます。 誰にも答えられない問いではありましょうけれど。 抹香臭い坊さんならば、仏教を学んで修行して、生きる意味を知りましょう、と答えるかもしれません。 バタ臭い西洋坊主なら、神の愛と天国を信じて今を生きましょうと答えるかもしれません。 いずれも、心を打ちません。 宗教では、この問いに答えることは出来ません。 答えたとしても、信仰を持たない者にとっては無意味です。 一つ言えるのは、金銭欲や出世欲、名誉欲を満足せしめようとしても、空しいばかりだということです。 欲望は際限がないので、いくらお金持ちになったところで、もっと欲しいと思うだけでしょう。 もちろん、食うに困るほど貧乏では、怖ろしく不幸でしょうけれど。 無ければ欲しいと思い、あればもっと欲しい、あるいは失うのが怖いと思うのがお金というもので、じつに厄介です。 もちろん私はお金が無い者の常で、お金持ちになれば人生面白おかしく生きられ、なぜ生きるのか、なんてくだらないことに悩まなくなるんじゃないかなと、考えている段階です。 しかし考えてみれば、...
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