思想・学問

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ふしだらな娘

14歳の少女が男と駆け落ちし、家に連れ戻されたのは良いとして、就寝中、父親に斬首されるという事件がイランで起きたそうです。 イスラム社会で時折見られる名誉殺人というやつです。 少女は警察に保護された時、家に帰れば命の危険があるので、どこか別の場所で保護してほしいと懇願したそうですが、結局少女の危惧は当たってしまいました。 江戸時代、不義密通は死刑だったと聞きますが、それは大人のこと。 14歳で恋に落ちれば、何も見えなくなって愚かな行動にでるというのは、大人になれば大抵の人は知っています。 父親は我が子をふしだらな娘と決めつけ、殺害に及んだということです。 父親は禁固9年の刑を言い渡されました。 軽い。 殺人を犯して、禁固9年とは何事ですか。 ましてイランは重罰を科すお国柄。 母親は、夫を死刑に処すことを求めているとか。 9年後に出てきたら、他の家族も危ないと危惧しているそうです。 名誉と暴力については、米国南部の人々を対象とした研究で考察されています。名誉と暴力: アメリカ南部の文化と心理リチャード・E・ニスベット北大路書房 それはさておき。  我が国では、恥辱を受けた時、何か月も蟄居...
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信じ込む

明日から土日月と3連休です。 月曜日は電気設備の一斉点検のため、電気が使えないことから、休暇となりました。 8月は休んでばかりのような気がします。 休みが多いのはうれしいですが、仕事が溜まるのが嫌ですねぇ。 月曜日から金曜日まで働き、土日休むというのが基本の生活で、どこか円環的に感じます。 繰り返し、というわけです。 しかし、繰り返しのように見えて、一秒とて同じ瞬間はありません。 常に違う一瞬を生き、その一瞬は消えていきます。 そう考えると、私たちの生は円環的というより直線的と言えるのではないでしょうか。 死に向かって真っすぐに進む道。 それは、生まれ落ちた瞬間から。 先般の義父の通夜・告別式を見て、改めて人は儚いと感じました。 実父の時は、ショックが大きすぎて、人が死んだというより、実父の存在が消えたことが信じられず、儚さを感じる余裕はありませんでしたね。 儚くても、生きている以上、死に向かう一本道をひたすら歩まなくてはなりません。 これは考えてみると怖ろしいことです。 刻一刻と死の瞬間が迫っているわけですから。 言ってみれば、人は生まれ落ちた瞬間から、全員死刑を言い渡されているよう...
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義理

かつて、私の職場においては、今日という日、義理チョコなるものをを10個も15個ももらい、それらを食したなら、歯を悪くし、血糖値を上げる、憎むべき日でした。 それがここ10年ばかりの間に廃れてきて、歯にも血液にも害を及ぼさない、爽やかな、というか普通の日になりました。 誠に喜ばしいことです。 義理チョコなるものは廃れてきましたが、世の中には止めてしまったほうが良いように思われる悪習がたくさん残っています。 中元歳暮、年賀状、香典に香典返し。 さらには、さして親しくも無い親戚、友人、知人とのお付き合い。 虚礼、と言ってしまっては大げさでしょうか。 世の中、義理を欠いてわたっていくのは困難で、私自身、これらの面倒事を引きずりながら生きています。 しかしながらスッタニパーダ(原始仏典)において、お釈迦様は、「犀の角のようにただ独り歩め」と説いています。ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)中村 元岩波書店 同時に、真に優れた友との交友をも重視する文言を残していますが、人間関係から苦悩が生まれることが多いことから、孤独は怖れるものではなく、むしろこれを求めて修行しなさい、ということなのでし...
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過激なものへの憧憬

10月も半ばを過ぎ、すっかり秋めいてきました。 今年は晴れる日が少なくて、なんだか嫌になります。 10月というと、10月事件という、はるか昔のクーデター未遂事件を思い起こします。 錦旗革命事件とも言われ、昭和6年、満州事変の直後に起きた、陸軍の青年将校らによる秘密結社、桜会が画策したものです。 海軍の一部とも結託し、北一輝や大川周明ら民間右翼の大物、大本教などの宗教団体をも巻き込んだ大規模な計画で、時の総理大臣をはじめとして、閣僚らをことごとく暗殺もしくは捕縛し、超国家主義的な軍事独裁政権を目指したものです。 計画は事前に露見し、首謀者たちは捉えられますが、満州に左遷されるなどの処遇を受けただけで、特段処罰されませんでした。 このことは、後の二.二六事件などの重大なクーデターに影響を及ぼしたものと思います。 どうせ大した罰は受けないだろう、みたいな。 ところが、二.二六事件の首謀者たちは、先帝陛下の逆鱗に触れ、弁護士なし、一審のみ、という形ばかりの裁判を受けて処刑されるに至りました。 私は国家主義者でも共産主義者でもありませんが、なぜか過激な思想や宗教に魅せられ、悪事に突き進んでいく者...
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8月15日の物思い

今日は終戦記念日ですね。 今上陛下は近く退位あそばすので、戦没者慰霊の式典に臨席あそばされるのも今年が最後。 私の職場でも、正午に1分間の黙祷が捧げられました。 実際に戦闘を経験した軍人、兵士は、現在では90歳を超えていると思われます。 あと二十年もしたら、第二次大戦を戦った最後の兵士が亡くなった、なんていうニュースが流れることでしょう。 第一次対戦最後の兵士が亡くなったのは、2011年だったと記憶しています。 110歳くらい。 くらい、というのは、私の記憶が定かではないからです。 こうやって、どんなに凄惨な戦いも、自然災害も、人々の記憶からは消え去り、歴史上の出来事になっていくのですね。 戦争や災害に際して、記憶を風化させない、なんて、センチメンタルに大見得を切る人を時折見かけますが、それは無理筋というものです。 その人本人がいくら生涯かけてその悲惨さの語り部として活躍したとしても、後の世の人々は、毎日の生活に追われ、そんなこともあったのだなぁと、どうでも良いことになるであろうこと必定です。 なぜなら、過去の戦争や災害なんて、専門家の研究者くらいしか興味がないし、事実、「源平合戦(前...