思想・学問

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合法化と厳罰化

近年、先進諸国では、同性婚、もしくは同性同士での公的なパートナーシップを認める動きが活発になってきました。 多くのヨーロッパ諸国や、米国の一部の州でこれらがすでに認められています。 わが国ではこうした動きは鈍いですが、わが国の場合、同性婚に反対する人が多いと言うよりも、無関心な人が多いせいではないかと思います。 わが国では男色を悪とする見方は伝統的にほとんど存在していませんでしたし、他人の趣味に口出ししない、というのが一般的な態度なのだろうと思います。 明治の近代化以降、欧米の影響もあって同性愛を忌避する風潮が生まれましたが、それはわが国の伝統には反するものです。 仏教においても、同性愛を禁じるような教えはありません。 しかし、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教では、同性愛は神の教えに背くものであるとし、有名なソドムとゴモラの話を持ち出すまでもなく、これら宗教では同性愛は禁忌でした。 これら3宗教では、同性愛は犯罪とされ、時代や場所によっては死刑でした。 長い差別との戦いのなかで、ユダヤ教とキリスト教では、同性愛を禁じる考えは薄れてきましたが、イスラム教国では、今も犯罪とされているのが普...
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メトロポリス的危機

働けば、金を得ます。 金を得れば、酒に化けます。 働く、という無味乾燥なつまらぬことをして、酔いを得るというのは誠に愚かな生活だと思いますが、私はそれを止められません。 1920年代に製作された映画「メトロポリス」では、ごく一部の支配層=脳と、圧倒的多数の労働者=手による世界を描き出し、脳と手を結ぶ物として、心が必要だとしました。メトロポリス / Metropolis CCP-315 アルフレート・アーベル,ブリギッテ・ヘルム,グスタフ・フレーリッヒ,フリッツ・ラスプ,ルドルフ・クライン=ロッゲ株式会社コスミック出版 この映画はSF映画の原点であり、金字塔とも言われます。 21世紀の現代において、脳と手は明らかに分離しているように思います。 そして手である労働者は、ほぼ仕事だけの日々を送り、人間性を失い、虚無に陥っているように思います。 ていうか、私自身が手でしかなく、ほとんどニヒリズムに沈んでいます。 人間が社会的な生き物であり、細分化された仕事を担うことで碌を食むことができるように出来ていますから、これはある程度仕方がないというか、当然に起こり得る現象です。 では、労働だけ、みたい...
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宗教とカルトを分かつもの

最近、おっさんになったせいか、全く声をかけられなくなりましたが、学生の頃など、都内の繁華街でよく、「手相の勉強をしています」などと言って、明らかに怪しい宗教の勧誘と思われる人に引っかかりました。 もちろん、それに応じるような愚は犯したことはありません。 驚くべきことに、日蓮宗の寺院である実家に、霊感商法だかなんだか知りませんが、高額の壺などを売りつけようとする者が時折訪ねてきたことです。 住職である父は激怒し、一喝して終わりでした。 ていうか、お寺に霊感商法を仕掛けるとは、大したクソ度胸です。 そういうことはもう20年も経験していませんが、時折、イワシの頭でもソンシでも良いから、それは嘘だと知りながら頭から信じ込めたら、生きるのが楽になるんじゃないかなぁと思うことがあります。 既成宗教と新興宗教を分けるものは、要するに古くからある宗教か、最近100年くらいに生まれた宗教かということで、教義上の優劣は問えないものと思います。 時の審判を経てきたという重みはあるにせよ、仏教もキリスト教も生まれたときは新興宗教であったわけですから。 では、カルトと宗教を分けるものは何でしょうね。 カルト(c...
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無力感という悪

私は生まれてこの方、お金持ちになったことはありませんが、さりとて、お金で苦労した、ということもありません。 生活には困らないだけの収入は常にありました。 しかし、テレビのドキュメンタリーなどを見ていると、現代でも、世界にはまともに三食食べられない人々が大勢いることを知らされ、愕然とします。 食べられない、ということは誠に苦しいことでしょう。 また、食べられない、というほどではないにしても、私の大学の同級生で、北海道から上京して、奨学生として新聞配達をしながら学んでいる者がいました。 入学当初は向学心に燃えていることが傍から見ても分かるほどでしたが、しだいに講義中は寝てばかりいるようになり、いつの間にか退学してしまいました。 その後どうしているのか知りません。  貧しいということは、ほとんど悪と言っても良いでしょう。 与えられたパンを奪い合い、粉々にして無駄にしてしまう貧しい子供の姿から、ボードレールは、パンを分け合うことすらしない(できない)、人間の獣性こそが悪であるとみなしました。 アフリカなどで、援助物資を積んだトラックが、停止せずに、ゆっくり走りながら援助物資を投げ与える光景を目...
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戦争は政治の延長か、文化か?

今日は仕事始め。 とは言っても、今日・明日出勤すれば3連休なので、なかなかお仕事モードになりません。 今年は平昌オリンピックが行われ、北朝鮮がどういう対応をするかまだ見えてきません。 仮にオリンピックに出場して、オリンピックでのテロ行為は行わないにしても、またミサイルを発射したりして、日米韓を刺激し、国際社会で非難されるであろうことは確実でしょう。 全く厄介な国です。 かつてクラウゼヴィッツは「戦争論」において、戦争とは、異なる手段による政治の延長に他ならない、と書きました。戦争論〈上〉 (中公文庫)Carl von Clausewitz,清水 多吉中央公論新社 戦争論〈下〉 (中公文庫―BIBLIO20世紀)清水 多吉中央公論新社 これは国家と国家が同じような主義の元に互いの利益を追求した場合に当てはまる言葉だと思います。 例えば帝国主義国家同士が利益をかけて戦う、みたいな。 二つの世界大戦はそのようなものだったと言えると思います。 しかし、現代の戦いはそんなに単純なものではありません。 宗教によるテロだの、民族主義によるものだの。 オセチアと南オセチアが戦争している、なんていう話は...
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