思想・学問

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無から有、そしてまた無へ

無から有へ、そしてまた無へ、といった意味のことが、昨日読んだ「教団X」で書かれていました。 人間の誕生、人生、そして死を表す言葉です。 なるほど、輪廻転生とか極楽とかいうものを否定すれば、ほとんど永遠とも言える長い時間、私たちは人間としては存在していません。 素粒子レベルで考えれば、私たちの元となる物質は存在し続けていたのでしょうが、それは人格を持った人間とは別物です。 そして、ほんの80年ほどの生を生きて、また無へと回帰していきます。 その無もまた、誕生前と同様、永遠と言ってよい時間です。 そう考えると、有、つまり生きているという状態は、奇跡的とも言えるもので、しかもほんの一瞬のような短い時間です。 生きていると嫌なことや辛いことがたくさんあって、早く時間が過ぎてくれ、なんて思うこともたびたびですが、有である時間がほんの一瞬であることを考えれば、時間が早く過ぎてくれなんていう考えは、もったいないものです。 素粒子レベルでは、ビッグバン以来、物質の総量は変化していない、と言います。 素粒子が様々に形を変えて存在し、人間をはじめとする生物もその一つに過ぎない、というわけです。 ちょっと意...
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人間以上

五千円札で知られる新渡戸稲造。 彼がクリスチャンであったことは有名ですが、神秘主義的な側面を強く持っていたことはあまり知られていないのではないでしょうか。 彼がキリスト教に入信したころ、神というものをどう捉えればよいのか悩んだと伝えられますが、「神の存在と霊魂の不滅であるが、この事は唯信ずべきものにして、二十年考えても、二千年考えても、解することのできぬものである」というキリスト教神秘主義の言葉に出会い、悩みは氷解したそうです。 イワシの頭も信心から、と言いますから、信じるほかない、と達観したんでしょうかねぇ。 また、彼はキリスト教神秘主義と東洋思想との一致を見出し、「必ずしも神と限るものではない。仏教の世尊でも、阿弥陀でもよい、神道の八百万の神でも差支えない。(中略)ただ人間以上のものがある。そのあるものと関係を結ぶことを考えれば、それでよいのである」と述べています。 そして彼は、亡くなった祖父の伝言を仲介者と称する巫女から聞いたり、交霊会に出たりして、神秘主義的な傾向を強めていきます。 ついには、神の証としての光・声・言葉を見たり聞いたりすることが出来たと言います。 後には、小宇宙...
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ユートピア願望は諸刃の剣か

パリ同時テロからちょうど2年だそうです。 世に争いの種が尽きることはあるんでしょうかねぇ。 歴史を発展の途上と捉えて、その最終段階に恒久平和が訪れる、と考えるのは、どうしても無理があるでしょうね。 かといって、歴史は繰り返す式の、歴史を円環的に捉えるのもバカげていると思います。 時間は矢の如く一方向に向かっているというのが、人間の捉えられる時間の概念ですから。 恒久平和を求めるのは、どこにもない場所を意味する、ユートピアを求めることと同義だろうと思います。 ユートピアを未来に求める人は、常に希望をに飢えている人でしょうね。 それでも、ユートピアを過去に求める人よりはマシなんじゃないでしょうか。 例えば、縄文時代は階級も差別もなく、自然と一体化した理想社会だった、みたいな。 そんなことを考えたところで、現代人が縄文の昔に戻れるはずもありません。 ユートピアを求める、という精神性には、人間の可能性を切り開き、実現化する動機づけになる、という肯定的側面がある一方、ユートピアを求めるという行為そのものが虚しいことであり、人間に無力感を植え付けるという側面もあります。 理想主義とかユートピア願望...
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共通認識の不可能性とシンクロニシティ

時折、絶対的な孤独感を感じることがあります。  この世に存在しているように感じられるものすべてが、私自身の認識によるものにすぎず、実際は存在していないのではないか、と。 これは、唯我論とか独我論とか呼ばれる考え方で、はるか昔から、哲学者を悩ませてきました。ウィトゲンシュタインと「独我論」黒崎 宏勁草書房自我体験と独我論的体験―自明性の彼方へ渡辺 恒夫北大路書房 そういった哲学者の営みはひとまずおいて、私は私の感覚だけを語りたいと思います。 まず、リンゴは赤い、と言った場合、私が見ているリンゴの赤さと他者が見ている赤さが同じと言えるのかは、誰にも証明できません。 まして色盲の人はまったく違う色を見ているでしょうし、全盲の人は見ることが出来ません。 見る、ということが、まずは疑わしく感じます。 話は変わりますが、なんと世の中には、全盲の写真家がいるそうです。 見えないものをどうやって撮影し、どうやってそれを確認するのでしょうね。フレームのない光景―盲目の写真家いのちの軌跡中川 晶子主婦と生活社 同じことは、聞くことにも言えますし、それを敷衍して、人間の持つすべての感覚に同様のことが言えるで...
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惑う

生きる意味、みたいなことについては、誰もが一度は考えたことがあるでしょう。 大学を出て、安定した職業に就いて、結婚もしてマンションも買って。 精神障害もほぼ克服して。 子宝には恵まれなかったとはいうものの、私は表面的にはしっかりと生きてきたように見えるでしょうね。 食うや食わずのような状況に置かれていると、安定して食えるようになることが人生の目標になるので、かえって生きる意味を考えないようになるそうです。 むしろ先進国などの豊かな社会のほうが、生きがいとか生きる意味について思い悩む人が多いのだとか。 そして一般的に、思春期、中年期、老年期にそういった思いが強くなるんだそうです。 思春期については、まぁ、当たり前と言えます。 中年期は、ある程度の社会的地位や収入を得て、このままこうして生きるためだけに働き、老いていくのか、という絶望感から。 老年期は、引退しているためか、自分は世の中に必要とされていない、死んだほうが喜ばれる、という悲哀から。 なんだかこのところ、私は生きがいだとか、生きる意味だとかをぼんやりと考えて、とてつもない落ち込みに入り込むことが多くなりました。 まさに中年期の葛...
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