社会・政治

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平成最後

平成31年4月30日を迎えました。 言わずと知れた、平成最後の日。 私は昭和44年生まれ。 平成を迎えたころ、私は大学生でした。 昭和陛下の崩御を受けて、悪友と二人、皇居へ向かったことを懐かしく思い出します。 皇居周辺は、先帝陛下のご遺徳をしのぶ人々で溢れかえっていました。 平成4年の4月に就職。 若いころは今ほど役人に厳しい時代ではなく、のんびりと、やりたい放題やっていました。  同居人は職場の同期。 ほどなくして、私は穏やかな同居人の人柄に惚れ、お付き合いが始まりました。 平成10年に結婚。 子宝には恵まれませんでしたが、今も楽しくやっています。 その後驚天動地の小泉改革が始まり、職場は大混乱。 私は精神障害を発症することになります。  精神障害には長く苦しめられましたが、ここ10年ほどは服薬を続けながら安定して働けています。 私にとっての平成は、前半がやりたい放題、後半は精神障害に苦しめられたものでした。 令和の時代に入って、私は何を目指すんでしょうね。 とりあえずはきちんと出勤を続けること。 飯の種である以上、これは致し方ないことです。 後はプライベートを充実させることでしょう...
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2月26日

今日は2月26日。 昭和11年の今日、大規模なクーデター未遂事件、2.26事件が起きたのでした。 陸軍将校ら数名が、1,400名もの下士官兵を動員し、政府要人を暗殺した日。 しかし彼らは幼稚にも、先帝陛下を殺害しようとか、幽閉しようとかいう考えは全く無かったと伝えられます。 理論的指導者であった民間人の国家社会主義者、北一輝は、事件の一報を聞き、皇居は占拠したのかをまず確認したと伝えられます。 そして、それがなされていないことを知り、深い失望とともに、クーデターの失敗を確信した、とも。 先帝陛下は激怒し、煮え切らない陸軍幹部を前に、朕が近衛師団を率いて鎮圧にあたらむ、と断じるに至り、ついに青年将校たちは賊軍となったのです。 おそらく、5.15事件の時は穏便な沙汰が下ったこともあり、2.26の青年将校たちは高をくくっていたのかもしれませんんね。 しかし、先帝陛下の怒りは凄まじいものでした。 その後、わが国では大規模なクーデターは起きていません。 自衛隊がクーデターを起こすとも思えません。 しかし、世の中何が起こるか誰にも分かりません。  昭和53年に製作された「皇帝のいない八月」は、軍国...
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領土

領土問題というのは、主に隣国との間で発生し、それは世界中に存在します。 わが国にも北方領土や竹島、尖閣諸島等の領土問題があります。 多くは戦争や、戦後のドタバタで取ったり取られたりしたもので、どの国も領土は1ミリも手放したくない、というのが本音でしょうから、これを平和的に解決するのは困難を極めます。 沖縄や小笠原が平和的にわが国に返還されたのは奇跡と言って良いでしょうね。 一歩間違えたら、ハワイのように、米国の州になっていたかもしれません。 もっとも、沖縄には広大な米軍基地が残される、という条件が付いていましたが。 で、北方領土。 プーチン大統領と安倍首相の会見を見ましたが、領土を返すとか返さないとかいう話は一言もでませんでしたね。 当然と言えば当然です。 ロシアは島々を戦争の結果得たロシア領と考え、わが国は終戦後に攻めてこられて分捕られた、不法占拠の状態と考えているわけですから、話がかみ合うはずもありません。 ちなみに、日本共産党は北方4島のみならず、千島列島全てを返還しろ、と要求していると聞いたことがあります。 要するに明治8年の千島・樺太交換条約の状態に戻せ、ということで、さすが...
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お隣仲良く

このところ徴用工の問題で、日韓関係が最悪ですね。 私の職場には韓国人の研究者が何人もいて、彼らと一杯やったこともありますが、反日というのは日本でいう右翼のようなもので、韓国人のごく一部しかおらず、日本のマスコミが面白おかしく大きく取り上げているだけだ、と口をそろえて言います。 また、来日前は韓国人というだけでひどい差別を受けるかと思っていたら、全然そんなことはなかった、とも。 あちらではわが国の全員が嫌韓感情を持っているかのように報道されているようです。 お互い様、ということでしょうか。 一般庶民レベルではそれほど関係が悪いとは思いませんが、国同士となるとまた別なのでしょうね。 確かに私も、韓国人そのものに嫌悪感は持っていませんが、今回の韓国の判決はあり得ないと思います。 お隣同士、うまくやれないものでしょうかねぇ。
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9月11日

今日は9月11日。 現代社会を生きる者にとって、忘れられない日です。 2001年のこの日、悪夢の同時多発テロが起きました。 あの日、私は遅い夏休み中で、同居人が山寺に行きたいというので、山形旅行に行き、ちょうど帰った日でした。 東北はひどい台風で、山形新幹線が止まってしまい、山形からバスで仙台に向かい、仙台から東北新幹線に乗りました。 ひどく疲れてしまい、夜9時頃には、一人、床に着いたのですが、テレビを見ていた同居人から大変なことが起きていると、たたき起こされたのを思い出します。 惨劇の映像を見た時は、疲れも眠気も吹き飛びました。 旅客機が2機続けて高層ビルに突っ込むなんてあり得ないし、その後ビルが倒壊する映像も衝撃的でした。 映像は繰り返し流されましたから、多くの人の目に焼き付いたのではないでしょうか。 あれから、世界は変わりました。 国と国との戦争から、テロとの長い長い戦いが始まり、それは今も続いています。 いつ終わるのか、見当が付きません。 あるいは終わらないのかも。  それに先んじて、わが国ではオウム事件が起きており、死刑囚はすべて処刑されましたが、世界がテロとの戦いに突き進む...
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