社会・政治

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追悼 テロの犠牲者

またもやテロ事件が起きてしまいました。 場所はバングラディシュの首都。 しかも今回は7人もの日本人が犠牲に。 日本人の一人は、テロリストに向かって "I'm Japanese, please don't shoot."と叫んだそうですね。 アラブ人は親日的だというイメージから出た言葉でしょうが、テロリストに通じるはずもありません。 しかし、その叫びはあまりに切なく悲しく胸に迫ってきます。 一縷の望みを日本人であることに託したのでしょうから。 人を殺すという場合、金欲しさか、怨恨か、快楽か、テロか、大方このどれかが動機になっているように思います。 テロの場合、自分たちこそが正しく、現在の社会が間違っていると信じ込んでいることが、性悪と言えるでしょう。 かつてテロといえば左翼過激派の専売特許だったものが、オウムなどの宗教に取って代わり、今回のテロもイスラム原理主義者による宗教的テロと考えられています。 しかしこれだけイスラム原理主義者によるテロが続くと、イスラム教そのものに問題があるのではないかと邪推したくもなります。 もちろん、穏健なイスラム教徒は平和に日々を過ごしているわけで、彼らに何...
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EU離脱

英国から衝撃的なニュースが飛び込んできました。 EU離脱派が勝利確実になったとか。 驚きです。 40年以上、EUの主要国として生きてきた英国。 どうしても名誉ある孤立が欲しかったのでしょうか? 離脱して、英国はやっていけるのでしょうか? ポンドは? そして円は? どうなるのでしょう。 わが国で言えばに米安保をやめるような話ではないのでしょうか。 しかし決まってしまったものは仕方ありません。 英国の今後を見守りたいと思います。
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謎の失踪

北海道の置き去り小学生、5日経ってもみつかりません。 しかも15キロ四方を捜索しているというのに。 妙です。 昔なら、神隠しということになるのでしょう。 しかし現代では、例え遺体になっていても、徹底的探すのが常。 大体7歳児の足でそんなに遠くに行けるわけもなく、また、5日も飲まず食わずだったら死んでしまいます。 この謎の答えは、誰かに連れ去られたか、殺されたと考えるのが自然でしょう。 しかしそんな田舎で誰が? 児童を連れ去りたい、もしくは殺したい、と願う変質者だとしたら、多くの児童がいる場所を物色するでしょう。 まったくもって奇妙です。  しかし世の中には謎の失踪事件というのが時折発生します。  ハーメルンの笛吹男しかり、船舶や飛行機が謎の失踪を遂げるとされるバミューダ・トライアングルしかり。 バミューダ・トライアングルにいたっては、ブラックホールが存在するだの、宇宙人が拉致するだのといった奇想天外な説が唱えられるほど、多くの失踪事件が起きています。  超常現象でないとするなら、両親を疑うほかないような気がします。
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広島訪問

オバマ大統領が広島を訪問とか。 長い間米国では、原爆投下は本土決戦を避ける動機になり、結果として多くの米国人・日本人の命を救った、として正当化されてきました。 そういう面が無いとは言いませんが、無差別大量殺戮であることは間違いなく、無理目な理屈だと思います。 今回、オバマ大統領は戦争被害者すべての慰霊のために広島という象徴的な町を訪れるのであって、原爆投下を謝罪するものではない、とのことです。 そりゃそうでしょうねぇ。 謝罪などしたら、米国世論が黙っていないでしょう。 しかし、71年間誰一人として広島もしくは長崎を訪れた米国大統領はいないわけですから、訪問するだけでも大きな一歩と言えるでしょう。 思えば8年前、かの大統領は核なき世界を目指すと演説してノーベル平和賞を受賞しました。 その流れにそうものなのでしょう。 じつは私は被爆2世。 母が幼い頃長崎で被爆しています。 母は75歳になる今も健在ですから、被爆による健康被害はほとんどなかったのでしょうね。 幸いなことです。 変なことを言うようですが、原爆で亡くなった方は碑に名前を刻され、手厚い供養を受けてきており、戦争被害者のなかのエリー...
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憲法

今日は憲法記念日ですね。 護憲派も改憲派も集って気勢を挙げていることでしょう。 私は憲法論議に関しては、すっかり白けています。 事実上、憲法は解釈の変更によって、成立当初とはかけ離れたものになっています。 軍事力は持たないと言いながら、軍隊以外の何者でもない自衛隊を保持していますし、政府は核武装すら、必要最小限であれば憲法違反ではない、という立場です。 それならいっそ、憲法を変えたほうがすっきりするだろうとは思いますが、面倒な手続きを経なくても解釈の変更でいくらでも変えられるなら、憲法を改正しようという意欲も失せることでしょう。 立憲主義および法治という観点から言って、国の最高法規を、解釈だけでいかようにも出来るというのは、はなはだ危険だと思います。 解釈を変えるなら、条文そのものを変えるべきでしょうに。 この事態、明治維新まで形の上だけは存在したという養老律令に似ています。 要するに形骸化しているのですね。 憲法に関しては、いつも9条ばかりが問題視されます。 9条が国際情勢に対応不可になってしまったことは火を見るより明らかだと思いますが、昔懐かしい冷戦期の左右対立の影響からか、今でも...
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