私はこの頃、世の中のなにもかもが奇妙なものに思えてしかたありません。
物語というのは、化け物が出てきたり、むやみに人が死んだり、現実にはあり得ないような熱い恋愛がくり広げられたりします。
物語の親ともいうべき神話は、奇妙な話のオンパレードです。
美術も、ガラクタとしか思えないようなものを並べたり、ディスプレイを並べて点滅させたり、奇妙です。
科学というのも、宇宙空間を光の速さで移動すると時間の流れが遅くなり、地球に帰還すると浦島太郎状態になるとか、異次元の存在とか、奇妙な説を展開しています。
サラリーマンが行っている仕事も、たいして良くないものをさも素晴らしいもののように宣伝して売りつけたり、儲かってもいないのに書類上のカラクリで儲かっているようにみせかけたり、死ぬほどどうでもいいことをがん首そろえて話し合い、半日つぶして結局継続審議になったり、上司の下手くそなゴルフをナイスショット、とか言って手を叩いて喜んで見せたり、なんだか奇妙です。
文学者にいたっては、古典の写本で新しい発見があり、どこが違うかと言ってたった1行、けりがなくて体言止めだ、とか言って大騒ぎしたり、考古学者は自分で遺物を埋めて自分で掘り出し、そんなことを繰り返してゴッドハンドとか言われながら結局ばれて、下を向いたまま記者会見したり、医学者は患者が意識を失って回復する見込みがないからと臓器を他人に移したり、じつに奇妙です。
テレビなんぞはお前は躁病か、というような、芸人と称しながら何の芸もないおっさん、おばはんを何人も並べて騒音でしかない座談会を開いたり、あるいは芸能人の誰それがはらんだだの別れただの、そうかと思えば騒々しい流行歌を歌う若いやつらを何人も集めて歌わせ、アーティストなどと称したり、貴重な電波を使って視聴者を小馬鹿にしたような番組ばかり垂れ流し、奇妙もここに極まりました。
そもそもこんな記事を書いて喜んでいる私が奇妙の親玉です。
奇妙で不思議な地球で生きる変な生物である私たちは、この違和感から逃れる術を持ちません。
そのせいか私は、食い物を獲ったり作ったりする第一次産業につきたい、という欲求を持ちます。
食い物を獲ったり作ったりすることは、最も普遍的な仕事に思えるのです。
しかし虫に触れないし、魚の死体にも触れない、犬や猫ですら蚤がいそうで触れない私は、第一次産業に従事する資格はないのです。
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