今年は亡父の新盆。
今日は休暇をとって実家である日蓮宗のお寺にお参りに行ってきました。
多くの参拝客が訪れる8月13日、忙しいなかで、母と少し会話してきました。
新住職たる兄は檀家のお経周りで留守。
11月には大規模な亡父の本葬が控え、まだ実家には亡父の気配が濃厚に漂っていました。
亡父の死から5ヶ月で14キロ落ち、母からは痩せてちょうど良い感じになったが、これ以上痩せないほうが良い、と言われました。
そんなことは分かっているのですが、無理に飯を食えば吐いてしまうので、少量でも三食欠かさぬことを心がける他ありません。
どんなしんどいことが起きようと、生きている限り人生は続きます。
自ら命を絶ってしまう人もいますが、放っておいてもいずれは死ぬ命、自ら縮めるつもりはありません。
ある程度生きていれば、肉親や友人など、近しい人の死に目に会うことは避けられません。
長生きすればするほど、そういう機会は増えるでしょう。
お釈迦様は幼いわが子を亡くした母親に子どもを生き返らせてくれと懇願され、村の中から50年間1人の死者も出していない家を見つけ出せば生き返らせよう、と約束します。
しかしどの家を訪ねても、50年間葬儀を出していないという返事は返ってきません。
それによって若い母親は、死は必至の運命であり、わが子といえどもその冷厳な事実の前には、諦めざるを得ないと気付くわけです。
私はこの五ヶ月、人の死ということを常に意識してきたように思います。
人の死を考え続けることが、父が最後に私に課した宿題のような気がしてなりません。
それは誰にとっても苛烈な課題であることでしょう。
しかし死と言う不明の事態そのものがあまりに苛烈である以上、その苛烈から目を背けることはできません。
私自身がその不明な事態に捕われてしまう瞬間まで、その宿題は続くのです。