昨日は同居人の誕生日でした。
54歳。
出会った時、同居人は23歳、私は22歳、社会人1年目でした。
お付き合いして6年も経ってから一緒になりました。
あれから25年。
今年は銀婚ということになります。
誕生日ということで、午後、クラシックコンサートに出かけました。
私はクラシックは疎いのですが、生は迫力があります。
コンサートに限らず、芝居にしてもスポーツにしても落語や漫才にしても、テレビやユーチューブで観るのとは大きな違い。
最後に生で観たのは国立劇場での歌舞伎。
「天竺徳兵衛韓噺」(てんじくとくべえいこくばなし)という通し狂言でした。
コロナ禍の前、もう3年半も昔のことです。
近頃は患者が減っていないにも関わらず、マスクの着用を見直すだとか、危機のレベルを下げるだとか言っています。
まるでコロナの流行は収まったかのごとくです。
私はまだまだ対策を徹底すべきだと思っています。
それはともかく。
クラシックコンサートを堪能した後は、一般的な鮨店よりもちょっと高い鮨屋で夕飯。
刺身や焼き物、椀物などのつまみを食し、さんざん酒を呑み、あがりの鮨を10貫ほど食い、腹いっぱいになりました。
誕生日ということで、アワビなどの高級食材をバンバン頼んだせいか、二人で5万円を超えてしまいました。
さらには日本バーテンダーコンテストで優勝したことがあるというバーテンダーがシェーカーを振る店でカクテルなど楽しみました。
たまの贅沢ですからこのくらい良いでしょう。
結婚後25年経っても、子供が出来なかったせいか、未だに世界に二人だけが取り残されたような気分が続いています。
この感覚、ずっと続くのでしょうか。
危機が無かったわけではありません。
私が激躁状態に陥ったとき、手こそ上げませんでしたが、言葉の暴力みたいなものは浴びせたように思います。
症状がきつかった時のことは実はあんまり覚えていないのですが、躁を抑える薬を飲み始めて醒めた時、離婚を切り出されるのではないかと本気で思いました。
しかし同居人は、病を憎んで人を憎まずという感じで、許してくれました。
ありがたいことです。
危機を乗り越え、50代も半ばに達しようとして、定年後を意識せずにはいられません。
定年が60歳よりも上になる可能性は大きいと思いますが、還暦が一つの達成であることは間違いないと思います。
その時何を思うのでしょう?
どういう心境になろうと、この世界を二人だけで生きていければと、切に願います。