文学

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外科室

私の中学時代の友人が、山形大学医学部附属病院で外科医をやっています。 たまたま彼が出張で東京に来るというので、明日、会う予定になっています。 私と彼は、中学時代、互いを意識しあう仲でした。 1学期に彼が学級委員をやれば、2学期は私。 3学期はどちらかの取り巻きがやるという具合。 女子生徒が男子生徒の人気投票をやれば、彼が1位で私は僅差で2位でした。 彼は学力優秀、スポーツ万能の優等生タイプで、私は斜に構えた変人タイプ。 でも二人で話をするのは、楽しいことでした。 外科医というのは体力も要るし知力も要るし、まして人の命に関わる仕事で、ずいぶん苦労も多いようです。 思い立って、何十年ぶりかで泉鏡花の「外科室」を読み返しました。 以前、坂東玉三郎監督、吉永小百合主演で映画化され、50分の短編といことから、入場料1,000円ということが話題になりました。 「外科室」は、外科手術を受けることになった伯爵夫人が、麻酔をかけるとうわ言で秘密を漏らしてしまうから麻酔は嫌だ、と拒否します。 周りはずいぶん説得しますが、外科医はおもむろにメスを取り、麻酔なしで手術を始めます。 メスが骨に達した時、伯爵夫人...
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三好作品の教材

三好達治の詩に、「郷愁」という作品があります。 蝶のやうな私の郷愁!......。 蝶はいくつか籬(まがき)を越え、午後の街角に海を見る......。 私は壁に海を聴く......。 私は本を閉ぢる。 私は壁に凭れる。 隣りの部屋で二時が打つ。 「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。─ 海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」 海という文字には確かに母が潜んでいますね。 で、フランス語では、母はmere(メール)。 そして海はmer(メール)。 二つの言語で、それぞれ海と母が単語に組み込まれています。 母なる海、とかいう言い方は、万国共通のようです。(ただし、海に面している国の言葉に限って) それにしても、「郷愁」というタイトルで海と母を登場させるとは、三好先生もお人が悪い。 そんことやられちゃ、ぐぅの音も出ません。 気持ち悪いですねぇ。 でも「郷愁」、人気あるんですよねぇ。 不思議。 それに比べて、教科書で習った「雪」は見事でしたね。  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。短い...
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積雪

朝起きたらびっくりです。 雪が積もっていました。 千葉市内は2センチの積雪。 北国の方からみたらお笑いでしょうけれど、千葉市内で2センチは大雪です。 でも土曜日で良かったです。 平日だったらすってんすってん転倒する人が続出するでしょうし、無謀にも冬タイヤもはかず、チェーンもつけずに車を出して立ち往生する輩が渋滞を引き起こすでしょう。  幸い今日は晴れ。 明日も晴れる予報なので、月曜日には車で出勤できるでしょう。 しかしこの雪景色にこの陽射しの強さ、春はすでに来ているようです。 風まぜに 雪は降りつつ しかすがに 霞たなびき 春は来にけり                                よみひとしらず 「新古今和歌集」所収の和歌です。 風にまぎれて雪はふっているけれど、そうはいっても霞がたなびいているところを見ると春がきたようだ、というほどの意かと思います。 今朝の千葉市の光景は、まさにこういうものかもしれません。 関東南部では、雪は冬というより早春の訪れを告げるもの。 昔「なごり雪」という春先の雪を歌った流行歌がありましたね。 春先の雪が街を一時的にもせよ銀世界に変え、そ...
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雪見

もう私が働く職場の庭では、梅がふくらんでいます。 それなのに今日は午後から雪になりました。 雪が降ると寒いですねぇ。 幸い積もることはなさそうです。 梅の花 それとも見えず 久方の 天霧る雪の なべて降れれば                                                    よみひとしらず 「古今和歌集」に見られる歌です。 春の雪で、梅の花が雪にまぎれてそれと分からない、という情景を詠んだ、寒々しいような、春が待ち遠しいような感じがよく出ていますねぇ。 手だれによる和歌と思われますが、よみひとしらずなんですねぇ。 では敬愛する蕪村先生は雪見をなんと詠んでいるでしょう? いざ雪見 容(かたちづくり)す 蓑と笠    与謝蕪村 蕪村は放浪の後、京都に居を構え、二度と旅に出ることはありませんでした。 芭蕉に比べ、軟弱な都会人だったのですねぇ。 さあ、雪見だ、といって重装備をする姿が、都会的と言えば都会的、大げさといえば大げさ。 京都ごときでそんなに降らないでしょうにねぇ。 どちらにしても、そこはかとないユーモアが漂います。 風狂の人の句ではありえませんねぇ...
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荒魂

石川淳の初期の長編に、「荒魂」という作品があります。 主人公佐太は、生まれた日は死んだ日だった、という紹介をされ、その破天荒な生きざまが綴られます。 化け物じみた生命力を持つ佐太は、口減らしのために生まれるとすぐにりんごの木の下に埋められてしまいますが、穴から這い出て大声で泣き叫びます。 父親はさらに頭を殴ってさらに深く埋めますが、やっぱり這い出てしまいます。 やむなく育てることにしましたが、姉二人を犯し、兄三人を召使のように使役し、父親は自分が元埋められていた場所に埋めてしまいます。 荒魂(あらみたま)は和魂(にぎみたま)と対をなす概念で、怖ろしい、荒ぶる神を表します。 佐太はこの後田舎を出て仲間を得、革命とも争乱ともつかない騒動に身を投じるのですが、果たして荒魂は佐太その人を指しているのでしょうか。 あるいは佐太の一派すべてを? この作品は石川淳お得意の現世的野心や神性に加え、現代風俗や経済問題などまで書き込み、べらぼうに面白い作品に仕上がっています。 しかし、「至福千年」や「紫苑物語」、「狂風記」に見られるような異常な緊張感とか、構成の妙に欠けるような気がします。 某文芸評論家は...
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