文学

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冬の日

凍てつくような曇り空が広がっています。 冬の訪れは急激で、私の精神を冒すためのようにも思われます。 それでも私は、私のたましいを守らなければなりません。 長い精神障害の末に、どんな病気であれ、家族も医者もあてにはならぬ、あてになるのはおのれ一人だと知ったからです。 西脇順三郎に「近代の寓話」という詩集があります。 現代詩を好まない私ですが、この詩集に収められた「冬の日」という詩は、私のたましいの琴線にふれるようです。或る荒れはてた季節果てしない心の地平をさまよい歩いてさんざしの生垣をめぐらす村へ迷いこんだ乞食が犬を煮る焚火から夏の終わりに薔薇の歌を歌った男が心の破綻をなげいている実をとるひよどりは語らないこの村でラムプをつけて勉強するのだ「ミルトンのように勉強するのだ」と大学総長らしい天使がささやくだが梨のような花が藪に咲く頃まで猟人や釣り人と将棋をさしてしまったすべてを失った今宵こそささげたい生垣をめぐり蝶と戯れる人のため迷って来る魚狗(かわせみ)と人間のためはてしない女のためこの冬の日のために高楼のような柄の長いコップにさんざしの実と涙を入れて             心が弱ってし...
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文学上の虐待

わが国の文学作品中に子どもへの虐待が登場するのは、明治43年の長塚節作、「土」が初めてです。 怒鳴りながら彼は突然おつぎを殴った。おつぎは麦の幹とともに倒れた。おつぎは倒れたまましくしくと泣いた。 それまではわが国文学中に子どもを殴るという行為は見られません。 戦国時代の宣教師ルイス・フロイスや明治のお雇い外国人は、日本では子どもへの体罰が見られないことに驚嘆の意を表明していますが、文学上もそれらの指摘と一致しています。 明治末期になって子どもへの体罰が見られるようになったのはなぜでしょうね。 欧化政策が当たって、教育にも欧米流の体罰で躾ける流儀が定着したのでしょうか。 それとも新興帝国主義国家として列強の一角に名を連ねるにあたり、兵士でもある国民を軍隊流の鉄拳制裁でしつけようという風潮が興ったのでしょうか。 今となってはわかりません。 しかし子どもへの体罰・虐待は法がこれを禁止しているにも関わらず、一部教師などは愛の鞭だなどと倒錯したセリフを吐いて、これを正当化しています。   大きな間違いです。 体罰は法律違反なのです。 許されるのは、生徒が明らかな害意をもって襲ってきた場合に正当...
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歌合せ

寒い曇りの休暇。 出かける気になれず、小林恭二の「短歌パラダイス」を読みました。 小林恭二というと小説家であり、俳句もよくする俳人でもあり、というイメージがありますが、和歌にも強いんですねぇ。 これは某日、熱海の旅館で行われた現代を代表する歌人たちによる歌合せの報告です。 歌合せとは、すなわち歌合戦。 二手に分かれたチームの歌人が和歌を詠み合い、審判である判者(はんじゃ)が双方の意見交換を聞いた上で優劣を決するというものです。 詠む人を方人(かたうど)、自チームの応援のため意見交換の際、自チームの和歌を褒め、敵チームの和歌をけなす人を念人(おもいびと)と呼ぶそうです。 意見交換に方人は参加できませんが、方人と念人は交代しますので、二つの役割をこなしながら、チームのみなが和歌を詠み、判定されるというわけです。 当然のことながら、自チームの和歌が劣っていると思っても、念人は自チームの和歌を褒めなければなりません。 このあたり、おのれの思想と関係なく、与えられた意見を主張するディベートに似ています。 弁護士なんかとも似ていますね。 室町時代くらいまでは盛んに行われ、「七十一番職人歌合」などの...
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謀反

西暦658年の12月13日、有間皇子が謀反の疑いをかけられて処刑されました。 享年19歳。 従兄の中大兄皇子に命を狙われていることを知り、精神を病んだふりまでして命長らえようとしましたが、中大兄皇子の意を汲んだ蘇我赤兄に謀反を唆され、中途半端な回答をしたことが命取りになりました。 中大兄皇子から尋問された折、「天と赤兄と知らむ、我もはら解らず」と、悔しい胸のうちを一言だけ述べたそうです。 「万葉集」に、皇子が亡くなる前の歌が二首載っています。 いは代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む 願いかなって無事であったなら、また帰って来てこの松を見よう、というほどの意ですが、刑場に連れて行かれる途中で詠んだ歌と知れば、哀切極まりないものです。  家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る これも切ないですねぇ。 家で食事をする時は食器に飯を盛るが、旅の途中なので椎の葉に盛る 、という、なんていうことのない歌のようですが、その旅が死地に向かうものなんですからねぇ。 昔の皇族は戦国大名のように、身内同士で血で血を洗う戦いを続けていたのですねぇ。 今の平和を祈る天皇と...
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人外境通信

中井英夫といえば、大長編ミステリー「虚無への供物」が有名ですが、私はむしろ短編にこそ、この作者の面目が現れていると思います。 そこで、「人外境通信」を昨夜読みました。 独立した短編が編められ、最後には最初の作品と同じモチーフに戻っていく、という心憎い手だれによる至芸です。 そのモチーフは、薔薇。 まず、「薔薇の戒め」というタイトルで、薔薇にまつわる不思議な物語が展開します。 その後の短編でも三角関係の悲劇を椅子の視点で描く「笑う椅子」、金色の瞳を持つ青い猫に魅せられた女性の奇妙な経験を描いた「青猫の惑わし」など、まさにこの世ならぬ人外境の出来事を描いて読者を幻惑します。 最後は「薔人(ばらと)」。 薔薇というモチーフがどの作品にも流れています。 人工的に彩られた、どこかに存在する影の王国、人外境。 そこに彷徨い込んだ時、人はそこが人外境とは気付かぬまま、奇妙な経験をするのです。 しかし私たちの日々の生活を思う時、奇妙な事件やくだらぬいさかいが頻発し、理想的な人間社会が存在すると仮定してみると、こここそが人外境なのではないか、という疑念に捉われます。 「人外境通信」は「とらんぷ譚」の三作...
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