文学

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ウランバーナの森

昨日は奥田英朗のデビュー作「ウランバーナの森」を読みました。ウランバーナの森 (講談社文庫)奥田 英朗講談社 ウランバーナとは、サンスクリット語で盂蘭盆会の意味。 明らかにジョン・レノンをモデルにしたと思われる主人公、ジョンとその妻ケイコ、幼い息子ジュニアが、軽井沢の別荘地でひと夏を過ごす幻想的な物語です。 奥田英朗といえば、ユーモア小説からミステリーまで、幅広くエンターテイメントを描く作家のイメージがありましたが、今作は純文学の香り漂う上品なものでした。 ジョンはひどい便秘に悩まされ、医者に通います。 ストレス性だろうということで、途中から精神科に移ります。 軽井沢の森では、靄が立ち込めると、不思議な現象が発現します。 ジョンと関係の深かった死者が、靄の中から現れ、つかの間の逢瀬を楽しむのです。 ジョンは困惑しながらも、関係が良かったとは言えない母親や、ひどい言葉をなげつけて傷つけてしまったマネージャーらに会い、謝罪したりして、癒されていきます。 お盆には死者がこの世に帰ってくるという故事を念頭に置いた物語なのでしょうね。 それは現実に出来したことなのか、精神科医の催眠療法によるもの...
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崩れる

いつもどおり朝は6時半に床から出ました。 私は生活のリズムが崩れることを怖れ、休みの日でもいつもどおりに起きるようにしています。 水のシャワーを浴びて頭をすっきりさせ、納豆と明太子とソーセージをおかずに朝飯を食いました。 その後珈琲を飲みながら新聞を丹念に読みました。 8月15日という日ではありますが、安倍談話以外はそれほど戦争ネタはなく、少しほっとしましたね。 続いて読書。 貫井徳郎にしては珍しい短編集を読みました。  「崩れる」です。 崩れる・怯える・憑かれる・追われる・壊れる・誘われる・腐れる・見られる、という8つの短編が収録されていました。 タイトルをすべて動詞にしていますが、物語に共通性はありません。 じつにバラエティに富んだ作品群で、いずれも日常のちょっとした恐怖や奇妙さを描いています。 それでも、いわゆる奇妙な味というわけではなく、この作者らしい、短いながら本格的なミステリーの香りを醸し出しています。 作者は長編をよくしますが、まるで短編の名手のような印象を受けました。 器用な人ですね。崩れる 結婚にまつわる八つの風景 (角川文庫)貫井 徳郎角川書店(角川グループパブリッ...
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神鳴の

朝から大気の状態が不安定なようで、雨が降ったりやんだり。 さっきからは雷が鳴っています。 夏らしいといえば夏らしい天気です。 神鳴の わづかに鳴れば 唐茄子の 臍とられじ と葉隠れて居り 正岡子規の和歌です。 雷を神鳴と表現しています。 唐茄子とは、かぼちゃのこと。 雷がわずかに鳴っただけで、庭のかぼちゃがへそをとられまいと葉に隠れた、というユーモラスな和歌です。 「竹乃里歌」という歌集に見られますが、上の歌の後に、 神鳴の 鳴らす八鼓(やつづみ)ことごとく 敲き(たたき)やぶりて 雨晴れにけり という和歌が見られます。  こちらは解釈の必要はありますまい。 字義どおり、力強くて神話的な趣を感じさせます。子規歌集 (岩波文庫)土屋 文明岩波書店竹乃里歌―正岡子規全歌集土屋 文明,五味 保義岩波書店 病床にあっても、正岡子規は季節の移ろいを感じつつ、時にユーモラスに、時に力強く季節を切り取ってみせました。 その執念はどこから来たのでしょうね。 季節感を何より大切にするわが国の詩歌の世界は、地球温暖化や異常気象、また冷暖房の普及によって、もはやこの世のものでは無いような感すら覚えます。 こ...
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トンデモドクター、第3弾

デブで子供のように無邪気な精神科医、伊良部先生が活躍する連作の第3弾を読みました。 「イン・ザ・プール」、「空中ブランコ」に次いで、「町長選挙」を読みました。イン・ザ・プール (文春文庫)奥田 英朗文藝春秋空中ブランコ (文春文庫)奥田 英朗文藝春秋 明らかにナベツネをモデルにしたと思われる短編やホリエモンを擬したと思われる作品に続いて、離島の診療所に2か月限定で赴任した伊良部医師と島の町長選挙の珍騒動を描いた表題作など、ますますパワーアップしてくれちゃってます。 また、胸の開いたミニのナース服に身を包んだクールなナース、じつはパンクロックのバンドをやっていて、何かと金がかかることが初めて明かされます。 今回もまた、大いに笑わせてもらいました。 いやぁ、愉快。町長選挙 (文春文庫)奥田 英朗文藝春秋
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せみ啼くや

久しぶりに涼しい朝を迎え、午前中は窓を開けるだけで、冷房を使わずに済みました。 このくらいなら楽ですねぇ。 しかしお昼をいただく頃には太陽が顔をだし、私はそれを恨めしく眺めました。 せみ啼くや 行者の過る 午の刻 わが敬愛する与謝蕪村の句です。 セミがうるさく啼き騒ぐ真昼時、仏教だか修験道だか知りませんが、行者のいでたちの者が通り過ぎていくさまを詠んでいます。 カンカン照りの太陽、それをさえぎる物とて無い往来のイメージと、行者という言葉が醸し出す神秘的な要素、それに、いっそ不気味でさえあるセミの大音声が、逆に静けさを感じさせ、夏の陽射しにぼうっとなった頭が見せる幻のような、絵画的印象を感じさせる句です。 与謝蕪村は絵描きでもあり、句の多くが絵画的であることを思えば、当然なのかもしれません。蕪村句集 現代語訳付き     (角川ソフィア文庫)玉城 司角川学芸出版 近年の流行歌では、夏の恋を扱ったりして、夏休みとあいまって夏は楽しい季節であるかのように歌いますが、本来日本人にとって夏は過酷な季節であり、おそらくは疾病に罹る者や亡くなる者が多かった、死の季節であったろうと推測します。 そのよ...
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