文学

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大人の絵本「図書館奇譚」

今日は昨日とは打って変わって弱い雨が降りました。 私は雨に閉じ込められて、絵本を楽しみました。 村上春樹の小説にドイツ人の画家が幻想的な挿絵を描いた、豪華で美しい絵本「図書館奇譚」です。 オスマン・トルコの収税政策について知りたくなった少年が、行き着けの図書館を訪れます。 レファレンスで本を調べると、地下に行くよう司書に指示されます。 100回以上通って、初めてその図書館に地下があることを知ります。 地下では気が短い老人が本を探してくれ、迷路のような複雑な道を通って、閲覧室に案内されます。 しかし、着いたところは監獄で、少年は足に鉄球をつけられ、収監されてしまうのです。 何が起きているのか分からない少年。 少年の世話をするのは、羊男と口が聞けない美少女。 2人は老人に支配されています。 老人の目的は、少年に本を読ませて知識を与え、しかる後少年の脳みそを吸うこと。 知識が詰まった脳はじつに美味なのだそうです。 脳みそを吸われると、人は悩みの無い、夢のような世界でぼんやり暮らすことになるというのです。 新月の晩、少年は羊男と美少女とともに、脱出を試みるのです。 奇妙で幻想的で読みやすい小説...
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張りぼての城

天気予報では、首都圏は大雪だと騒いでいましたが、千葉市周辺はただの雨です。 千葉県北西部には大雪警報が出ていますが、千葉市も大きくくくれば北西部だと思いますが、いったいどこに雪が降っているのでしょうねぇ。 不思議です。 まぁ、降らないと言って降るより、降るぞ降るぞと脅しておいて降らないほうが気分的にはよろしいようです。 去年はひどく降りましたからねぇ。 実際の雪は、とくに出勤しなければならないサラリーマンにとって、なかなか恨めしいものですが、観念上の雪となるとまた趣を異にします。 例えば、私が敬愛してやまない若山牧水のこんな歌。 おとろへし わが神経に うちひびき ゆふべしらじら 雪ふりいでぬ 当時流行りの神経衰弱を患っていたのでしょうか、あるいはまた、純粋に芸術上の問題で憂愁に沈んでいたのでしょうか。   雪が衰えた神経にさわるというのは、おそらく精神上のことであろうと思います。 そう思うと、辛い雪が歌人を責めているというより、歌人はどこか心地よいメランコリーに浸っているようにも感じられます。 ひとしきり あはく雪ふり 月照りぬ 水のほとりの 落葉の木立  こちらは先ほどの歌と比べて...
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春を待つ

今日は馬鹿に寒いですね。 寒さは今日あたりが底でしょうか。 明日は雪になるかもしれないと、天気予報では言っていました。 去年は雪でひどい目にあいました。 首都圏は極端に雪に弱く、すぐに電車は止まるし、タクシーは事故を恐れてか、休むドライバーが多いように感じます。 稼ぎ時だと思いますがねぇ。 私は冬タイヤもチェーンも持っていないので、雪が降ったら公共の交通機関に頼らざるを得ず、それが結構なストレスです。 去年、ごつい長靴を買ったので、電車が動いてさえいればとくだん問題はありません。 去年は履物が悪く、何度もこけました。 寒さが底を迎えれば、もう春はすぐ。 私は春愁の気にあてられて、春には憂鬱に沈むことが多いですが、さすがにこう寒いと春が待ち遠しく感じられます。 啓蟄や 日はふりそそぐ 矢のごとく 高浜虚子の句です。 啓蟄は例年3月初旬。 それまではまだ一か月以上ありますが、降り注ぐ日を待ちわびながら、日々の雑事をこなしていきたいと思っています。虚子五句集 (上) (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店虚子五句集 (下) (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店
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伝染(うつ)る

私の職場、インフルエンザが猛威を奮っています。 20人ほどの小さな課で、3人が罹患してすでに治りましたが、今日2名から電話があり、罹患したそうです。 すると20分の5ということになります。 すいぶん多いですね。 幸い、私はインフルエンザに罹患していません。 去年は発症してえらい目にあいました。 50キロしかなかった体重が47キロまで落ちましたし。 今は少し増えて、50キロから52キロの間をうろうろしています。 お年寄りや子供でないかぎり、通常、インフルエンザで死に至ることはありません。 薬を飲まなくても、かなりしんどい思いはしますが、大抵は自然に治るようです。 ただ、普通の風邪よりもはるかに高い熱が出るし、全身の倦怠感、喉や鼻の痛みが辛いので、その辛さと感染力とが、人をしてかの病を怖れさせているように思います。 そういえば去年、インフルエンザで外出禁止になっているのに、懸案の仕事があるとかで出勤し、「早く帰れ」と言われ、「私のは犬型インフルエンザだから人にはうつりません」と笑えない冗談を言い、「お前を心配して言ってるんじゃない。ほかの職員のためだ」と上司に叱られている間抜けなやつがいま...
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藪入り

江戸時代、藪入りという習慣があったそうです。 3年間奉公すると、年に2度、3日程度実家に帰れるという嬉しい習慣です。 通常、1月16日と7月16日が藪入りとされていたそうです。 つらい奉公に耐える子供にとっても、迎える親にとっても待ちに待った日でしょう。 それを思えば、週休2日、年休も20日あって、祝日にも休める現代のサラリーマンは恵まれています。 しかし、別れはすぐにやってきます。 藪入りや 犬も見送る かすむまで  こんな川柳が残っているほど、藪入りの終わりは切ないものだったようです。 しかし、奉公先で経験を積み、成長した子供は親許で過ごすのが退屈だった場合もあるらしく、友人と遊んでまわっていたという話も伝え聞きます。 藪入りの 二日は顔を よそに置き そんな奉公人の様子を表した川柳です。 お年頃の奉公人には、親許は堅苦しかったのかもしれませんね。 今も中学生くらいになると親が疎ましく感じるのがむしろ普通ですから。 江戸時代の奉公人やその親の切ない願いを乗せた藪入り。 多くの落語の題材にもなっています。 私たち現代のサラリーマンは、古人の苦労を偲び、あまたの労働運動などに身を投じた...
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