眼科医の許可が出て退院したものの、なかなか左目のゴロゴロとした違和感と赤さが取れません。
鏡で見る私の左目は異様に赤く、知らない人が見たらさぞかし気色悪く思うでしょう。
次の診察は5月8日の金曜日。
それまでに赤さや違和感が取れていると良いのですが。
今朝の朝食はあまり旨くありませんが血糖の上昇を抑えるという全粒粉パンを2枚。
昼はホタテの小エビとブロッコリーがたっぷり載ったジェノベーゼとサラダをいただき、食後に珈琲を2杯飲みました。
晩は葱と鶏肉の炒めと生キャベツ、トマトを食す予定。
これから出来るだけ何を食したかを記録していきたいと思います。
糖尿の気もあるので。
緑内障、高コレステロール、高血圧、気管支喘息、糖尿、双極症。
眼科と内科と精神科に定期的に通っています。
その他半年に一度の歯のクリーニング。
年を取ると病院通いを自慢するようになると言いますが、本当にそうですね。
人の体も経年劣化は避けられず、どんなにメンテナンスをしても、必ず、全員、死に至ります。
私の肉体も緩やかに衰えているのを感じます。
もっと年を取ると、衰えは加速度的に早くなるのでしょう。
先般、私の大学時代の恩師である、歌人にして国文学者の岡野弘彦先生が101歳で大往生を遂げました。
長いこと皇室の和歌指南役を務め、歌会始の選者でもありました。
学生時代は歌人で国文学者の先達、折口信夫(おりくちしのぶ)、と同居し、同性愛の関係であったのは、おそらく事実だろうと思います。
羽織袴姿で教室に現れたり、英国紳士風のブレザーで講義をしたりする洒落者でした。
大学在学中から、東京に住んでいては歌心を失うと、熱海に住んでいました。
俳人でもあった角川春樹社長と親交を結び、熱海の自宅でしこたま酒を呑み、深夜、海岸で二人で法螺貝を吹くと、旅館の部屋の明かりが次々とついて面白かったと、悪戯な笑みを浮かべていたことを思い出します。
当時一世を風靡していた俵万智の口語短歌を毛嫌いしていらして、岡野先生を古い歌人の、俵万智を新しい歌人の代表とする論評を読んで激怒したりしていました。
その口語短歌も今では当たり前の物になり、短歌は短い現代詩となり果てました。
岡野先生は私が在学中に現代の伊勢物語を書きたい、と言って早期退職されました。
したがって、私達世代は最後の弟子であったことになります。
最後まで矍鑠としていたと聞き及びます。
あんなに元気ならば、100歳まででも生きてみたいと思いますが、さすがに無理でしょうね。
岡野先生のご冥福をお祈りします。