森鴎外は、小学校入学以来、軍医として陸軍省に勤務している状態にいたるまで、自らの生活を、「芝居をしているかのようだ」と言っています。演出家は世間、自分は役者というわけです。
そして、深夜、読書や執筆に励む自分を、化粧を落とした状態だ、とも。
それなら、もはや芝居で活躍できなくなった私は、数奇者として生きる他ありません。
鴨長明は、「発心集」で、「数奇」を、「人の交わりを好まず、身の沈めるをも愁へず、花の咲き散るをあはれみ、月の出入を思ふに付けて、常に心を澄まして、世の濁りにしまぬを事とす」と、説明しています。
現代では、その語感から、「色好み」とする向きもありますが、それは字が違います。
職場で腫れ物扱いされている以上、せめて拙い化粧を落とした私は、数奇を気取りましょう。