自助

文学

 最近、平日の晩酌をしなくなったことは前に書きました。おかげで夜が有意義に過ごせていることも。

 私の場合、べつだん医者に禁じられたとか、血液検査の数値が悪化したとか、そういう健康上の理由ではなく、あくまで私の気分が乗らない、というだけの話です。ですから興が乗れば、いつでも飲むでしょう。

 酒好きな文学者や芸術家は枚挙にいとまがありませんが、毎日一升の酒を飲み、43歳で死んだ若山牧水ほど、無類の酒好きを知りません。
 医者に酒を禁じられて、それでも飲み続けたわけですが、禁酒を試みたことはあるらしく、ずいぶんうらみがましい、酒恋しい歌を詠んでいます。

 人の世に たのしみ多し然れども 酒なしにして なにのたのしみ

 酒やめむ それはともあれ ながき日の ゆふぐれごろにならば何とせむ

 朝酒は やめむ昼酒せんもなし ゆふがたばかり少し飲ましめ

 
私も酒は嫌いではありませんが、上記三首はなんだか和歌というより愚痴にちかいですね。
 若山牧水には抒情的な歌が数多くありますが、このような煩悩丸出しの歌もあります。
 ファンの一人として、少し残念。

 世のアルコール依存症患者の自助グループに、断酒会とAA(
Alcoholics Anonymous)があります。
 じつはこの両グループの会合に、アルコール依存症を騙って参加したことがあります。
 そういうお話を書いてみようと思って、取材のつもりで参加しました。信義にもとる行動であったと、反省しています。

 そこでは様々な、酒にまつわる失敗談や、犯罪行為が語られていました。
 なかには酒で傷害事件を起こし、懲役を終えた日、競馬で200万円儲け、翌日には酒と女ですべて使い果たしてしまった、というツワモノもいました。
 ウイスキーの小瓶を常備し、職場のトイレでちょくちょく飲む、とか。
 離婚や借金は当たり前のようでした。

 しかし私が感動したのは、そこまで酒にのめりこんでいた人々が、自助グループに参加することにより、見事に立ち直っていく姿です。
 赤ちょうちんを目にしてはぐっと堪え、酒屋の前でしばし立ち止まっては我慢し、それこそ綱渡りのようにして、何年も断酒を続けているのです。
 断酒会の懇親会は、お茶とお菓子だけです。さぞ飲みたいでしょうに。
 私が「一日出勤」を積み重ねたい、と書いているのは、断酒会の標語である「一日断酒」のパクリです。

 うつ病などで休職している人たちの集まりであるリワークでは、私はまぎれもなく当事者でした。
 そこでも、回復していく人々に深い感銘を受けました。
 そして私自身が、復職してそろそろ二カ月になりますが、今のところ順調です。主治医もリワークの威力に驚いています。

 心ならずもなんらかの障害を負ってしまった人々へのケアが極めて重要だと、つくづく思うのです。