旧約聖書に拠れば、アダムとイブは知識の果実を食べてしまったがゆえに、楽園を喪失したことになっています。
これは一人キリスト教の問題に留まらず、広く人類全体の社会を言い表わしているものでしょう。
私たちは荒野に立っているのであり、あるいは立ち続け、あるいは歩き続けなければならないという、失楽園の苦しみを生まれながらにして持っています。
川端康成に「眠れる美女」という佳品があります。
強い睡眠薬で深い眠りに落ちている美少女。
高額の金を払って一夜を共にするのは、老いて不能となった老人。
本番行為以外は眠っている美少女に質の悪いものでなければ、いたずらをしてもよい、というのが店のルールです。
しかしここを訪れるのはいずれも役立たずの老人。
本番行為など、夢のまた夢です。
そこで老人たちはただ添い寝し、あるいは全身をなでまわし、若い女体に接することで、過ぎ去ったプレイボーイ時代の思い出に浸ったり、若さへの憧憬を取り戻したりするのです。
そこに、一人だけ、性的能力を保持したままの老人がやってきます。
しかし老人は戸惑います。
薄暗い部屋のベッドで昏々と眠る裸の美少女。
老人は、自分にはルールを破ることができる、と強く思います。
それどころか、殺すことだって、と。
しかし美少女のはだかにきむすめの印を認めた時、老人は愕然として戦意を喪失します。
老人は何度もその館に通い、深く眠る裸の美少女と一緒に眠ります。
取り返しようのない若さや、美少女の将来のことをつらつら考え、もしここで犯せばこの娘はおれの最後の女になる、と気付き、では最初の女は誰であったろう、と考えます。
そして気付いたのは、最初の女は母親でしかあり得ない、ということでした。
このことから、この佳品を母体回帰願望の小説、と読まれることが多かったように思います。
しかし私は、楽園を失ったことにさえ気付かないまま、荒野を歩き続け、ついに人生の終焉に近づいた老人が、楽園を求めたのではないかと考えます。
でもその館は、悪魔の館。
甘美な、しかし死ぬしかない夢を、完璧な舞台装置で見せてくれる、この世のものではない館。
現に、目を覚まさなかった老人が出てしまいます。
映画「さくらん」で、江戸随一の通人と呼ばれた老人が、毎夜の吉原通いの末、ある花魁の腕の中で事切れますが、それを思い起こさせます。
人間にとって、老いも若きも性は生そのもの。
生そのものである性が、自分にとって不可能になってしまったら、悪魔の館に足を運ぶ他ありますまい。
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