- 私の中学時代の友人が、山形大学医学部附属病院で外科医をやっています。
たまたま彼が出張で東京に来るというので、明日、会う予定になっています。
私と彼は、中学時代、互いを意識しあう仲でした。
1学期に彼が学級委員をやれば、2学期は私。
3学期はどちらかの取り巻きがやるという具合。
女子生徒が男子生徒の人気投票をやれば、彼が1位で私は僅差で2位でした。
彼は学力優秀、スポーツ万能の優等生タイプで、私は斜に構えた変人タイプ。
でも二人で話をするのは、楽しいことでした。
外科医というのは体力も要るし知力も要るし、まして人の命に関わる仕事で、ずいぶん苦労も多いようです。
思い立って、何十年ぶりかで泉鏡花の「外科室」を読み返しました。
以前、坂東玉三郎監督、吉永小百合主演で映画化され、50分の短編といことから、入場料1,000円ということが話題になりました。
「外科室」は、外科手術を受けることになった伯爵夫人が、麻酔をかけるとうわ言で秘密を漏らしてしまうから麻酔は嫌だ、と拒否します。
周りはずいぶん説得しますが、外科医はおもむろにメスを取り、麻酔なしで手術を始めます。
メスが骨に達した時、伯爵夫人は痛みからか起き上がります。
「痛みますか」
「いいえ、あなただから、あなただから」
かく言いかけて伯爵夫人は、がっくりと仰向きつつ、凄冷極りなき最後の眼(まなこ)に、国手をぢっと見守りて、
「でも、あなたは、あなたは、私を知りますまい!」
いふ時遅し、高峰(外科医)が手にせるメスに片手を添えて、乳の下深く搔切りぬ。医学士は真っ青になりておののきつつ、
「忘れません」
その声、その呼吸(いき)、その姿、その声、その呼吸、その姿。伯爵夫人はいと嬉しげに、いとあどけなき微笑(えみ)を含みて高峰の手より手をはなし、ばったり、枕に伏すとぞ見えし、唇の色変りたり。
その時の二人がさま、あたかも二人の身辺には、天なく、地なく、社会なく、全く人なきが如くなりし。
すこし長くなりましたが、「外科室」の鬼気迫るクライマックスを引用してみました。
じつは手術の9年前、二人は小石川植物園を散策中、すれ違っていたのです。
たった一瞬すれ違っただけで、二人は互いの名前も知らぬまま、密かに純愛を育んでいたというわけで、伯爵夫人が危惧した秘密とは、夫に知られてはならぬこの純愛だったというのです。
そして高峰という外科医、その日のうちに伯爵夫人の後を追って自殺してしまいます。
鏡花先生、最後に、
語を寄す、天下の宗教家、彼ら二人は罪悪ありて、天に行くことを得ざるべきか。
と結んで、二人ながら地獄に落ちたのではないかと心配しています。
いわゆる純愛とか悲恋とかの物語というのは、ハッピー・エンドは有り得ないようです。
もしこれといった困難もなく祝福されて結婚したなら、物語としての起伏に欠けますし、なおも書き連ねれば純愛というより凡庸な家族の物語になってしまい、求めあう男女の激しい感情は消えてなくなってしまうでしょう。
してみると、純愛を描こうとする行為は、なるべく男女を引き離すよう様々な装置を考えるのが主たる作業になるべきで、誠に下品で意地悪な仕事にならざるを得ません。
でありながら、「外科室」の持つ息苦しいまでの濃密な美的気配は、一体何事でしょうね。
有り得ない物語を提示することで人間に普遍な美的感情を呼び起こすという離れ業を、このような戯作調でやられては、現代作家はもはや出る幕がありませんねぇ。
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