昨日、11月25日は三島由紀夫の忌日、憂国忌でした。
45歳、小説家としてまだまだこれからという時期になんであんな死に方を選んだのでしょうね。
一説には、一緒に自決した弟子の森田必勝との情死であったとも言われています。
嘘か真か、三島由紀夫の遺体を解剖したら、直腸から森田必勝の精子が出てきたとか。
彼が同性愛者であったことは公然の秘密ですが、結婚して子どももいたことを考えると、バイセクシャルだったと考えるのが自然でしょうね。
憂国忌の元になった小説「憂国」は国を憂える物語というより、憂国の情を持つ将校がひたすら情交を繰り広げるという、官能小説に仕上がっています。
そしてまた、市ヶ谷駐屯地に向かう直前に書きあげた「豊饒の海」の最終作「天人五衰」のラストの、なんと乾いてシニカルであることでしょう。
とてもこれから市ヶ谷駐屯地に出かけて自衛官にクーデター決起の檄を飛ばし、夢破れて自決する人の文章とは思えません。
激情に駆られた風がなく、極めて冷静なのです。
もともと三島由紀夫の小説は人工美の極北にあるもので、熱い感情とは無縁でシニカルなものです。
想像するに、彼は何も天皇を中心とする国家主義的な社会体制を実現しようなどと、かけらも考えていなかったのではないかと思います。
ただ、あまりに価値観が多様化した戦後社会にあって、一種の宗教とでもいうべきものに身を捧げ、宗教的法悦のなかでの死を望んだように思えてなりません。
その宗教というのが、彼にとっては天皇を中心とする国家主義体制を築くという大義であったのだと思います。
求めているのは法悦のなかの死ですから、それはキリスト教の殉教でも、なんでもかまわなかったのだと思います。
現に彼は、「薔薇刑」という、自身を聖セバスチャンになぞらえたマゾヒスティックな写真集を出版しています。
マゾヒスティックな欲望こそが、彼の自決の真相なのではないでしょうか。
ご冥福を祈ります。

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