そのこと

文学

 昨夜、ウィスキーのロックをちびちびやりながら、かつて傾倒した三島由紀夫「鏡子の家」をぱらぱらと眺めました。

 昭和30年代の東京を舞台にした青春群像劇で、夫と別居して信濃町で娘と暮らす鏡子の家に入り浸る4人の若者の成功と挫折を描いた作品です。
 すでに「金閣寺」などで名声をおさめていた三島由紀夫が、いわゆるメリー・ゴーラウンド方式と言われる、複数の主人公が互いにあまり関わることなく物語が進んでいくという手法を採った意欲作ですが、当時の文芸評論家からは酷評されたようです。
 読み手が三島由紀夫に追いついていなかったものと思われます。

 メリー・ゴーラウンド方式と呼ばれる手法は映画でも使われ、名作「愛と哀しみのボレロ」などが製作され、私はこの手法の物語をわりと好んでいます。

 野心あふれる若いサラリーマン、プロを夢見るアマチュアボクサー、売れない画家、売れない俳優の4人の青年が同格の主人公であり、戦後の高度成長を冷ややかに見ながら4人の希望あふれる若者に自宅をサロンとして提供する鏡子が狂言回しのような役割を担っています。

 彼らはそれぞれに成功し、鏡子の家から離れていき、結局挫折するのです。

 最後に、童貞の売れない画家を鏡子が誘惑します。
 その時の鏡子の言葉がなかなか良い味をだしています。

 「そしてあなたは、そのことを知ったのかしら」

 というようなニュアンスだったかと記憶しています。

 そのことを知らない画家は、鏡子にそのことを教えられるのです。

 三島由紀夫と言う人は早熟の天才で、16歳にして「花ざかりの森」でデビューして以来、常に自分より年上の主人公を描いてきました。

 「鏡子の家」で初めて自分よりずっと若い若者たちの青春群像を描いたのです。
 そのため、この小説の底辺には、それまでの三島作品には感じられなかった、失った若さへの憧憬ともノスタルジアともいうべき雰囲気が流れており、そこが良いという人もいれば、キンキラキンの美的世界が特徴の三島作品らしくない、と言って毛嫌いする人も多かったようです。

 自分自身が43歳になり、8月には44歳という立派な中年を迎えて、年をとるということは体力が衰えたり、健康診断の結果が悪化していったり、ゆるやかに死に向かっていくことだと痛感させられます。

 考えてみれば、力士だって野球選手だって、40代半ばに至って現役でがんばっている人は滅多にいません。

 事務職であるため、スポーツ選手ほど明らかな衰えは感じていませんが、それでも堪え性がなくなったり、万事億劫に感じたりするようになりました。

 そのためか、近頃、「鏡子の家」のような作品が、味わい深く感じられるのです。

鏡子の家 (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社


花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社


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