死と桜

文学

 予報では、今日の首都圏は23度ほどにも気温が上がるとか。
 桜もいよいよ見ごろというわけです。

 これは花見に出かけなければなりますまい。

 しかし連日の送別会で疲れた肝臓に昼酒は禁物。
 それなら近場で酒肴打ちそろえての、花が目的なんだか酒が目的なんだかわからない花見は止して、ちょっと足を伸ばして上野か靖国・千鳥が淵あたりを散策するのが上策というもの。

 花見というと浮かれたように見えますが、桜は狂い咲き、狂い散るその様から、生き死にの在り様を否が応でも考えさせる、怖ろしい花でもあります。

 国文学者にして民俗学者の折口信夫(おりくちしのぶ)は、歌人、釈迢空(しゃく ちょうくう)として、独特の句読点を用いた歌を多く残しています。

 人も馬も 道ゆきつかれ 死ににけり。 旅寝かさなるほどの かそけさ

 道に死ぬる馬は、仏となりにけり。 行きとどまらむ 旅ならなくに

 ちょっと読みにくいですが、私は桜の季節、このような不吉な歌を思い出しては、慄然とします。

釈迢空歌集 (岩波文庫)
富岡 多惠子
岩波書店

 私の友人に、この人を神のように崇めている者がありました。
 「死者の書」などの小説も書いていて、独特の文体が魅力的でした。

死者の書・身毒丸 (中公文庫)
折口 信夫
中央公論新社

 死ということに執りつかれていたんでしょうか?

 今日は桜を愛でつつ、いつか行く道について考えたいと思っています。
 

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