夏至を過ぎる頃

文学

  もう夏至を過ぎてしまったんですねぇ。
 これから少しづつ陽が短くなると思うと寂しい限りです。

五月雨に 物思ひおればほととぎす 夜ふかく鳴きて いづち行くらむ
 
 古今和歌集にみられる 紀友則の和歌です。

 五月雨は旧暦であることを考えれば梅雨時。
 夏至なんて言葉はわりと新しいので、直接夏至という言葉を織り込んだ和歌なんてあり得ません。
 五月雨とか短夜(みじかよ)なんかが夏至の頃を表すと言えましょう。

 わが国の古典文学では、なぜか夏の詩歌が極端に少ないのですよねぇ。

 わが国の夏は非常に苛烈ですから、歌心も起こらなかったのかもしれませんね。

 そんな嫌な季節にも、物思いに沈み、ほととぎすがどこへ行くのかぼんやり考え、同時におのれの今後、ひいては人の一生というものの儚さを嘆いているような感じも受けます。

 時の移ろいや自身の衰えを嘆いても詮無いことではありますが、それを嘆かずにはいられないというのもまた、人の性であるように思います。

 だんだん陽が短くなるというのに気温はどんどん上がっていくのは奇妙なものですね。
 今はまだ夕方職場を出るころ明るいですが、秋になり冬が来ると真っ暗。
 
 あれが嫌なんですよねぇ。

 精神障害発症以来、私は夕陽が大の苦手。
 だんだん暗くなっていく様は、おのれの精神を暗示しているかのごとくです。

 病癒え、鋼の精神を身に付けたと周りには吹聴してまわっている私ですが、じつは夏至が過ぎたことさえ嘆かわしい、か弱い心を克服し得ていないのです。

古今和歌集 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)
中島 輝賢
角川学芸出版

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