すまじきもの

文学

 今日は15時から17時まで2時間だけ休暇を取りました。

 なんだか嫌になっちゃったというか、忙中閑ありという感じで、急ぎの仕事が無いためか、勤労意欲益々減じ、ついには早退してしまったという次第。

 逆に言えば、仕事嫌いの私でも、急ぎの仕事があれば自然とやる気が湧くわけで、骨の髄まで宮仕えの賎しい根性が身についてしまった感じがします。

 すまじきものは宮仕え、という言葉があるとおり、役所や会社などの組織で働くのは、精神衛生上もよろしくありませんし、何よりも自分の意見が正しいと思っていても、職階が上の者の馬鹿げた意見に従わなければならないのがしんどいですねぇ。

 職階が上だからと言って、正しい判断が下せるわけではありません。
 まして自分の出世にばかり興味がある人というのは、自分の手柄は自分のもの、部下の手柄も自分のもの。

 誠にバカバカしい世界です。

 精神病を患ってから出世に興味が無くなった私から見ると、阿呆と馬鹿の集団が、この世を動かしているように思えます。

 文語調で格調高く描かれた「戦艦大和ノ最期」において、海軍の若い将校たちが、敗色濃厚な祖国の現状を憂い、海軍を良くするためにはどうしたら良いかを話し合ううち、少佐以上全員殺害、という笑えない結論を導く様は、現代の組織にも通じるものです。

 アメリカンジョークに、世界の軍隊を端的に言い表したものがあります。

最強の軍隊は、
  アメリカの将軍
  ドイツの将校
  日本の下士官
  韓国の兵士

この逆、世界最弱の軍隊は
  イタリアの将軍
  ソ連の将校
  イギリスの下士官
  中国の兵士

だとか。

 なんとなく、ニュアンスは伝わります。

 わが国は将軍も将校も無能で、兵士を直接指揮する下士官が有能だということでしょうか。
 会社で言えば、主任とか係長とかですかねぇ。

 嫌な話です。

 しかしそれでも、食うためには阿呆らしい宮仕えを続けなければなりません。

 有能な下士官にも兵士にもなりたくないし、嫌われる愚かな将軍や将校にもなりたくありません。

 私が憧れるのは、世捨て人。

 食うに困らぬ金があれば、即座に遁世するでしょう。
 ただし、昔のように山中に庵を結んで、というわけにはいきません。
 山中ではあまりに不便だし、昔のように食い物を恵んでくれる奇特な人などありはしません。

 現代の世捨て人は、大都会に棲息するのが相応しいと思います。
 大都会のマンションでは、近所付きあいは皆無。
 会えば挨拶くらいするでしょうが、隣は何をする人ぞ、という感じ。

 そんな便利な都会の片隅で、人知れず静かな生活を送れたら、と願わずにはいられません。
 あるいは定年を迎えればそうなれるんでしょうか。

 しかし、バブルの頃に比べたら、給料は安いし、退職金も半分程度に落ち込んでいると聞き及びます。

 死ぬまで働けということでしょうか。
 それでは夢も希望もあったものではありません。

  高度経済成長期には、年功序列で給料も上がり、何より社会が豊かになっていくのを実感できたのではないかと想像します。

 しかし、今やわが国は先進国のなかでも少子高齢化が特に進んでいます。
 もはや衰退していく一方のような気がします。

 私はこの国で生まれ育ち、どっぷりとこの国の文化や慣習、倫理規範に浸かっています。
 今さら他国では暮らせません。

 この国がどう衰退していくのか、あるいは一発逆転があるのか、見届けないと、死に切れません。

 それには長生きしなければなりませんが、宮仕えというもの、相当なストレスで、それゆえに命を縮めるような気がします。

 まこと、食うためにすまじきものをするというのは、しんどいものです。