失われた時

文学

 3連休あけの月曜日。
 気分が良かろうはずがありません。
 辛い一日を無事乗り越えました。

 それはさておき。

 阪神タイガースが38年ぶりに日本一に輝いたそうですね。
 38年前と言えば私は16歳。
 ずいぶん長いこと日本シリーズ制覇から遠のいてたのですね。

 私が16歳の時、阪神ファンは道頓堀に飛び込んだり、自転車やカーネルサンダースを道頓堀に放り投げたり、やりたい放題でした。
 正直、テレビで見るそれらの光景は不快でした。

 16歳といえば、精神の漂流が始まった頃でした。
 日々の憂鬱な感情は常態化し、時折来る激しい高揚感に戸惑っていました。
 考えてみればその頃から躁鬱気質だったのかもしれません。
 表面上は楽し気に過ごしているように繕っていましたが、実際は真逆でした。
 青春の憂鬱と言うんでしょうか。

 一匹狼と言うほどではありませんでしたが、私は群れることが嫌いで、中学、高校、大学と、部活動やサークル活動は一切しませんでした。
 親しい友人は少しいましたが、基本的に一人を好みました。
 そのため私は結婚を決めるその瞬間まで、生涯独身でいようと思っていました。

 しかし縁というのは不思議なもので、なんとなく付き合っていた女性とダラダラ4年間もたってしまい、互いに20代も終わりに近づいて、両方の親からの強いプレッシャーに負けて、ダメなら離婚すれば良いくらいの気持ちで私が28歳、彼女が29歳の時に結婚しました。
 それが今の同居人です。 
 早晩別れるのだろうと思っていましたが、何の因果か25年も一緒にすごしてしまい、銀婚を祝うまでになってしまいました。
 ここまで来ればもう別れるのも億劫で、なんとなく、一緒にすごしてしまうんだろうという予感を持っています。

 それでも時折、部活もサークル活動もせず、わずかな友人と青春の傲慢さで周りを見下し、根拠の無い自信に満ち溢れていた頃が懐かしく思い出されます。
 今は自信を無くした初老に近い木っ端役人で、夢も希望もなく、ただ死ぬのが怖いから生きているだけです。

 30代半ばで精神病まで発症してしまい、私の人生は大いに狂うことになりました。

 でもそれで良いのです。
 自分の能力の限界も見えましたし、まぁまぁ人並みの生活は出来ていると思っています。

 紅茶の香りがプルーストを過去に誘い、長大な小説「失なわれた時を求めて」を書かせたと言います。
 それでは阪神優勝が私を過去に誘っているのかもしれません。
 でもだからと言って、プルーストの真似は出来ません。