文学

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文化

今日は文化の日ですね。 悲しいかな、私は職場で昨日に引き続き開催される漢籍文化の国際シンポジムのため、出勤です。 漢籍文化ということで、パネリストも講演者も客も中国人だらけ。 ちまたで言われているほど、彼らのマナーは悪くありません。 さすがは研究者やそれに準じる人たちと言うべきでしょう。 文化の日とは言いますが、元をただせば明治天皇の誕生日。 戦前までは明治節という祝日でした。 みどりの日を昭和の日に改めたように、文化の日も明治の日と改めたらどうかと思います。 長い鎖国の夢から醒めて、冷酷非情な帝国主義全盛の時代にわが国を帝国主義列強の地位にまで押し上げた先人の苦難の歴史に思いを致す日としたほうが、趣旨に沿うと思います。 文化の日では、何が何やらわかりません 降る雪や 明治は遠く なりにけり と、中村草田男が詠んだのは昭和6年のことだったとか。 明治が終わって21年後のことですね。 すると平成の御代も24年。 昭和は遠くなりにけり、といったところでしょうか。炎熱―中村草田男句集 (ふらんす堂文庫)横澤 放川ふらんす堂にほんブログ村 人気ブログランキングへ
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暴走老人

田中文部科学大臣、石原都知事の言動を、暴走老人と称しましたね。 言いえて妙と言うべきでしょう。 もっとも、そう言い放ったご当人も暴走おばさんではありますが。 みんなの党やら日本維新の会やらたちあがれ日本やら、どうやら民自に対抗できそうな勢力が揃ったと思ったのか、都知事の職を放り出してそれらの神輿に乗ろうという考えが見え見えです。 石原都知事と言う人、気骨があり、発信力があり、カリスマ性もあるようですが、少々頭に血が上りやすい質のようで、今度の行動も逆上気味です。 老人性の判断力の衰えを感じますねぇ。 17年前、国会でこの国の政治のありようを痛烈に批判して辞任した時も、その片棒を担いでいたのはお前だろうがと、ツッコミをいれたくなりました。 月日は流れ、都知事を13年も勤めて、やっぱり国政の場でなければ政治のありようを変革できないと気付いたとは、少々オツムが弱いのではないかと思います。 もともと都知事は芥川賞を受賞して小説家として世に出ました。 小説家というのは読んで字のごとく、小さな説を述べる人ではないんでしょうか。 それが国家国民を論じるだけならともかく、権力も欲しいとなると、穏やかで...
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海辺の光景

安岡章太郎の小説に、「海辺の光景」という佳品があります。 海の見える病室で、愛憎相半ばする母親の最後を看取る中年男の話です。 3月に父が亡くなってから、私はこの佳品のことをよく思い出します。 海辺と浅草寺の五重塔がよく見える父が亡くなった浅草寺病院の個室とでは、もちろん趣きが異なります しかしそこには、親を亡くすという根本的な類似があり、私にとって父を亡くした経験により、「海辺の光景」という小説は、切実な意味を持つものとなりました。 この小説の主人公は、どう見ても先が長くない母を見ながら、過去の思い出に浸ります。 それは決して良い思い出ばかりではありません。 私は父危篤の報を受け、浅草寺病院へ見舞いに行き、その数日後に、父ははかなくなってしまいました。 驚異的な生命力を持った男だと思い込んでいただけに、その呆気ない死は、私を呆然とさせずにはおきませんでした。 その後一ヶ月で、私は精神的ショックから食い物を受け付けなくなり、5キロ落ちました。 一ヶ月も過ぎると、生きている人間というのは都合よくできているものらしく、精神的ショックは感じなくなりました。 しかし、その後も体重はじわじわ落ち続...
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原稿依頼

実に久しぶりに、某出版社から、原稿の依頼が舞い込みました。 原稿用紙換算で50枚程度、ブラックな小説が欲しいとのことでした。 原稿料は原稿用紙1枚あたり2千円という、格安なもの。 私の実力は、世間ではその程度にしか評価されていないのですね。 なんだか寂しくなりました。 で、私は迷うことになります。 50枚程度、2~3日もあればじゅうぶん書けるでしょう。 問題は、精神科医から小説の執筆を禁じられていること。 私は小説の執筆を始めると、大体、躁状態に陥ってしまうのです。 創作をする人は多かれ少なかれ一緒だと思いますが、自分の作品に絶対の自信を持っています。 そうでなければ、創作なんて出来はしません。 そのような状態は、自分を神様とでも思うような、躁病患者の症状と酷似しています。 だからこそ、精神科医は私に小説の執筆を禁じているのでしょう。 しかし、依頼が来れば書きたくなるのは本能のようなもの。 早速私の頭の中では、様ざまなアイディアや、文章そのものが出来上がっています。 それを形にするかしないかだけの状態になっています。 躁を抑えるリーマスという薬を毎日朝夕飲んでいても、ちょっとしたきっか...
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古人

明日はこの前の日曜出勤の振替でお休み。 今宵は心置きなく、独り、焼酎をいただきました。 そうはいっても、ロックで2杯。 ずいぶん酒が弱くなったものです。 同居人は近頃忙しいとかで、残業のためかまだ帰りません。 私としては独りの酒を楽しめて、うれしいかぎりです。 同居人はじつは私よりも酒が強いくらいですが、私のような愚かさは持ち合わせていないようで、毎日晩酌するような馬鹿な行為には及びません。 せいぜい、週末、私と2人で飲むくらいです。 2人の酒も楽しいですが、独り飲む酒はまた格別です。 横に「新古今和歌集」か「方丈記」でもあれば、私は古人を友として、愚かな酒に酔うのです。 古人は多く酒に酔い、花に酔い、月に酔って、わが国の文芸の花を開かせました。 それは昨今の愛だの恋だのを恥ずかしいくらいにストレートに歌う流行歌とは違って、じつに奥ゆかしいものです。 私はそれら古人の詩歌に接するたび、兼好法師の「徒然草」の一節を思い出します。 何事も、古き世のみぞ慕わしき。今様は、むげに卑しくこそなりゆくめれ。 兼好法師の時代にも、昔は良かった式の、老人のたわ言が幅を利かせていたのですね。 これは老境...
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