文学

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旅のラゴス

私は筒井康隆が書いたものをほとんど読んでいますが、じつは最も気に入っているのは、「虚人たち」のような実験的な文学作品でも、「東海道戦争」のようなコメディ調のSFでも、「時をかける少女」のようなSFジュブナイルでもありません。 筒井康隆としては異色の作品、「旅のラゴス」を最もよしとします。 文明を失った代わりに、様々な超能力を身に付けた人々が住む世界で、ひたすら旅を続けるラゴス。 旅の途中、王になったかと思えば奴隷になったり。 親しい人ができても、彼はその人と別れて旅を続けます。 別れ際、いくらなじられようと、ラゴスは旅を続けざるを得ないのです。 旅を描いた日本文学のなかでは、渋澤龍彦の「高丘親王航海記」にならぶ名作です。 「高丘親王航海記」がどこか乾いた幻想文学だとすれば、「旅のラゴス」は感傷的な要素を含んだ哲学的な作品です。 なにゆに彼は旅を続けるのか。 その旅に目的はあるのか。 よくわからないまま、短編の連作という形で、少年だったラゴスが成長し、老いていきます。 ポイントは、ラゴスの旅ではなく、旅のラゴスであるという点。 人生を旅に喩えるのは古来よく行われてきたことですが、この作品...
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ガラス玉演戯

「ガラス玉演戯」とも「ガラス玉遊戯」とも訳されるドイツのノーベル文学賞受賞者、ヘルマン・ヘッセの畢生の大作。 ヘルマン・ヘッセというと、少年の成長や挫折を描く青春文学の作家、というイメージが強いですが、「荒野のおおかみ」あたりから、急激に文明批判や精神世界への言及を強めていきます。 その行きついた果てが、「ガラス玉演戯」でしょう。 未来、芸術と数学と瞑想を伴って行われる究極の芸術、ガラス玉演戯が生まれます。 主人公クネヒトはガラス玉演戯の名人となります。 クネヒトの意味はしもべ。 究極の芸術の名人が、しもべ。 それだけでも、なんだか意味ありげです。 クネヒトは、もはや内面の嵐に突き動かされて社会から脱落することはありません。 瞑想の力によって社会的な秩序と内面の自由を調和させることができるからです。 学問と芸術、論理と感性を同時に表現し、調和させ、統一することを可能にする世界語、それがガラス玉演戯であり、クネヒトはその最高位にまで上りつめるわけです。 しかしこのガラス玉演戯の神聖な世界に対立するものとしての俗世の存在が、主人公を更なる調和と統合に向かわせます。そして・・・。 結末は人に...
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大いなる助走

筒井康隆の小説に、「大いなる助走」という作品があります。 同人誌に参加し、自分が所属する大企業を内幕を暴露した小説を書いた青年が、大企業にいられなくなり、直本賞なる権威ある文学賞を受賞するため、選考委員にあの手この手で働きかけ、しかし受賞を逃がし、選考委員を殺害してまわる、というハチャメチャな小説です。 直本賞を受賞するために、女好きの選考委員には恋人を差出し、男色家の選考委員には自らの体を捧げ、金を積み、それでも受賞できなかった青年は、ほぼ頭が狂います。 映画化もされ、佐藤浩市が青年作家を演じ、鬼気迫るなかにもどこか滑稽な、このおとぎ話の主人公を演じて見事です。 半分呆けちゃった選考委員がいたり、実力がある新人作家は選考委員の生活を脅かすという理由で落としたり、ちょうどその頃筒井康隆が何度も直木賞候補に挙がりながらついに受賞できなかった私怨ばらしの小説と評され、筒井康隆は世の中に私怨ばらしではない小説があるか、と開き直って話題になりましたね。 これを読んだのは高校生の頃で、「大いなる助走」、というタイトルがすんごく気になりました。 つまり同人誌などで書いているのはプロになるための助走...
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俗情との結託

大西巨人といえば、あまりにも長い小説「神聖喜劇」が有名です。 これは第二次大戦中の対馬守備隊を舞台に、驚異的な記憶力を持つインテリの新兵が、その記憶力と法的知識を武器に、上官らと対決する姿をとおして、旧日本軍、ひいては組織全般が持つ非人間性を提示してみせたもので、長く緻密な描写と神学論争とも言うべきディスカッションが延々と続き、正直、面白くありません。 私はそもそも理屈が勝った小説を好みませんので、辛抱たまらず途中で投げ出し、幻冬舎から出ている漫画版でどうにか読みとおした記憶があります。 しかしこの作者が「神聖喜劇」を発表する以前、俗情との結託を排する文学論を唱えていたことを思えば、その面白みのなさも納得できるところです。 俗情とは、人情、あらゆる欲望、社会世相など、人間が生きる要素すべてと言っていいでしょう。 すなわち文学とは俗情を描くものであるとも言え、俗情との結託はいわば文学の必然というべきものです。 しかし大西巨人は、俗情との結託である文学・芸術を批判しています。 その結果現れるのが、俗情と乖離しながら俗情らしきものを客観的に提示し、なんらの解釈も加えず、面白そうでもなく、感動...
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秋雨

久しぶりに本格的な雨ですねぇ。 秋雨というには少し寒いでしょうか。 今シーズン初めて、コートを着て出勤しました。 通勤の電車内では、少し浮いていました。 まだちょっと暑かったかもしれません。 秋といえば、月にしても菊にしても、わが国の和歌や俳句ではもっとも多く詠まれる時期であり、風情漂う季節です。 秋には過ごしやすい季節でありながら、冬の足音に慄くどこかさびしげな感が漂います。 俳句の名手、正岡子規の秋雨の句からいくつか拾って、秋雨を詠む作法を見てみます。 犬痩せて 山門淋し 秋の雨     犬痩せて、という文句が不気味で良いですねぇ。 さびれたお寺の山門に、雨の中痩せこけた犬。 一幅の絵のような句です。 秋雨や 色のさめたる 緋の袴 色がさめた緋というのが貧乏くさくて寂しさを盛り上げています。 その袴、やっぱりはくんでしょうねぇ。 はきたくないですねぇ。 秋の雨 香爐の烟 つひに絶えぬ べつになんということもない現象なのですが、つひに、という文句が効いていますねぇ。 なんということもない現象が、限りない寂しさを象徴しているように感じられるから不思議です。 わずか三つの秋雨の句を見ただ...
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