文学

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せっかくの土曜日の朝、雨が降っていますね。 気温はけっこう高いようですが、雨が降るとどこへも行く気が起きません。 花は散り その色となく ながむれば むなしき空に はるさめぞ降る 「新古今和歌集」に見られる式子内親王の和歌です。 桜の花は散ってしまい、その気色を眺めていると、空から春雨が降ってきて、さらに虚しい気分になってしまいました、というほどの意かと思います。 桜はもうとっくに散った今朝の雨の気分にぴったりです。 今日のような日は、古今の書物をひも解いて、古人を友としてひと時の慰めを得るのが良いようです。 それとも、大好きな怖い映画でも借りてきましょうか。新古今和歌集〈上〉 (角川ソフィア文庫)久保田 淳角川学芸出版新古今和歌集〈下〉 (角川ソフィア文庫)久保田 淳角川学芸出版 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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屋上の狂人

今、精神障害者は、グループホームや心理カウンセラーなどの力を借りて、障害を抱えたまま、社会に適応して自立した生活を送ることが求められています。 古くは座敷牢に一生閉じ込められていたことを思えば、隔世の感があります。 しかし私は、自立することが、そのまま精神障害者にとって幸せなのか、疑問に思うことがあります。 菊池寛の小説に、「屋上の狂人」という作品があります。 むやみと高いところに登りたがり、高いところから空を眺めてさえいれば幸せなのです。 ある時父親が、息子に憑いている者を払ってほしい、と巫女を連れてきます 巫女は狐が憑いていると見抜き、木の枝にぶら下げて煙で燻せば狐が出ていく、と言います。 母親は「そんなむごいことはできない」と言い、弟は「医者が治せないものは世界中の神様を連れてきたって治せない」と言います。 母親は情から、弟は合理的精神から、巫女のやり方を批判します。 さらに弟は、「兄さんがこの病気で苦しんどるのなら、どなな事をしても癒して上げないかんけど、屋根へさえ上げといたら朝から晩まで喜びつづけに喜んどるんやもの」、「兄さんのように毎日喜んで居られる人が日本中に一人でもあり...
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神の子供たち

村上春樹の短編集に、「神の子供たちはみな踊る」という作品集があります。 米国で映画化もされました。 阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件にまつわる物語群です。 ストレートに両事件を扱ったわけではありませんが、これらを契機として作者が感じた圧倒的な暴力に対する予感が、神話的に語られます。 このたびの震災でも、私たちは自然が発する圧倒的な暴力の前に、人があまりにも無力であることを痛感させられました。 しかしおそらく、古来、私たちは災害にあうたびにたくましくなり、いわば災害を喰らって進歩してきたのでしょう。 今回、地震・津波・原発事故の三重苦という未曽有の災厄に襲われたわけですが、時間はかかっても、日本人は見事によみがえるでしょう。 今回学んだことの一つに、弱い内閣では危機に対応できない、ということでした。 それは誠に不幸な学習方法でしたが、起きてしまったことはどうにもなりません。 最近、枝る、という言葉がネット上で流行っているそうです。 枝野官房長官の働きぶりからきた言葉で、①寝る間も惜しんで働く、②無能な上司の下で必要以上に苦労する、の二つの意味があるそうです。 これもまた、危機に接してわか...
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満開

職場近くの公園の桜が、満開になっていました。 春なんですねぇ。 しかし満開の桜はどこかさびしげです。 命のはかなさを知っているからでしょうか。 もろともに あはれと思へ山桜 花よりほかに 知る人もなし 百人一首にも取り上げられた有名な 大僧正行尊の和歌です。 私が山桜をなつかしく思うのと同じように私のことをなつかしくおもってくれ、こんな山奥では花よりほかに知る人もいないのだから、といった意味かと思います。  この歌はさびしさを歌っていますね。  それは桜の本性であるかのごとくです。 では「山家集」所収の西行法師のあまりにも有名な歌。 願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃  この歌ほど日本人に愛され、人口に膾炙されてきた歌も珍しいでしょう。 数寄の極地をあらわしているともいえます。 しかし桜を賛美しているようで、満開の桜の下で死にたいと、桜は滅びゆくものの象徴であることを暗示してもいます。 では、桜が散った後の歌を、「新古今和歌集」から。 式子内親王の歌です。  花は散り その色となくながむれば むなしき空に 春雨ぞ降る  桜の花は散ってしまい、その様子を眺めていると春雨...
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吃音

今日会った業者の若者、ずいぶんひどい吃音でした。 しゃべらんでよろしい、と思うほど。 私はこれまで、小学生のころ一人、大学のころ一人、ひどい吃音者を友人に持ちました。 鶏が先か卵が先か、二人とも女性が極端に苦手でした。 小島信夫に「吃音学院」という短編があります。 吃音矯正施設での、恋あり、犯罪ありのドタバタ・コメディーですが、小島信夫自身が吃音だったということもあり、障害を負った者の悲しみが底流に流れていたように思います。 吃音矯正施設では、女性が苦手な主人公が同じ吃音者の女性と付き合うことで、吃音をも女性恐怖をも克服しようとします。 彼には吃音ながらプレイボーイのライバルがいます。 言葉が出ない分手が早いんだそうです。 この三角関係を軸に、盲滅法電話をかけて喋ったり街頭で怒鳴ったりの吃音矯正、それに吃音矯正所の指導者の裏の顔などがちらついて、ドライな感じがよく出ています。 私は高校三年生の時は選択科目の関係で女子生徒40人に対し男子生徒5人のクラスだったり、大学も文学部のためか女性が多く、採用された職場も女性が多いため、女性恐怖というのは理解できません。 男だ女だと意識する前に、同...
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