文学

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冷泉家

BS-hiで冷泉家の歌会始を取り上げた番組を放送していました。 参加者はみなおじゃるな格好をし、平安時代そのままに和歌を朗々と読みあげていきます。 宮中の歌会始では洋装ですから、冷泉家のほうが古式ゆかしい儀式をおこなっているんですねぇ。 現代の作詞家やシンガーソングライターはやまとうたを学び、歌の世界をよりよいものにしてほしいですねぇ。 若い少年少女が愛してるだのふられただのと、あまりに直截に歌うのは、どうもいただけません。 花に託したり月に託したり、やんわりと歌ってほしいものです。冷泉家・蔵番ものがたり―「和歌の家」千年をひもとく (NHKブックス)冷泉 為人日本放送出版協会京の雅・冷泉家の年中行事 冷泉布美子が語る冷泉 布美子,南里 空海集英社冷泉家歌ごよみ―京の八百歳冷泉 貴実子,京都新聞社京都新聞出版センター冷泉家歌の家の人々冷泉 為人書肆フローラ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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寒い

今朝は特別仕立てに寒かったですね。 それでもほとんど毎日晴れている関東の冬は、雪に悩まされることがなくて楽です。 こちらでは雪かきは年に一二度の珍しい行事。 電車はとまり、ノーマルタイヤの車はスリップ、交通は大混乱。 要領を得ずに腰を痛めるやつやら、根をつめて体調をくずすやつやら。 雪国の人から見たらさぞ滑稽でしょう。 北風は冷たいですが、関東の冬の穏やかさはありがたいものです。 そこで、松本たかしの句。 玉の如き 小春日和を 授かりし 寒さが続いて、ある日、春のような暖かい日があった、その喜びを素直に表現しています。 門前の 小さき枯野の よき日和 小さき枯野に差す穏やかなお日様が目に浮かびます。  関東は関東でも北関東の雪の夜を思って、次のような句。 雪だるま 星のおしゃべり ぺちゃくちゃと 深夜、凍りついた小さな雪だるまが退屈しのぎにお星様とおしゃべりしてるんですねぇ。 どんな内容なんでしょう。 いずれにしろ、艶っぽい話や武張った話ではないでしょうねぇ。 与謝蕪村の京都の自宅への籠り居の句もよいですが、関東の冬もなかなかよいですねぇ。 松本たかしはもともと宝生流の能楽師の家に生ま...
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げにも人は心がありてこそ

「馬小屋」を見ておもったのですが、人が他人を自在に操るというのは、非常な快感らしいですね。 そのために出世や権力の掌握を望むのでしょうから、人というものはどこまでも下品にできています。  また一方、生身の男や女との付き合いは面倒とばかり、二次元の世界に逃避したまま現実に帰ってこられなくなった輩もいるやに聞きます。  ダッチワイフというのも生身の女の代わりに女の人形を抱くもので、近頃では極めて精巧な人形が出回り、人形を抱えて車に乗る男をあるご婦人が目撃して、死体を運んでいると勘違いして警察に通報した、という笑えない話があります。 これなどはダッチワイフに人格を与えて恋しているといってよいでしょう。 はるか昔、西行法師が高野山での修行の最中、人恋しくてたまらず、死体を集めて人間を作る秘術を行った、という話が「撰集抄」に掲載されています。 この書物は西行法師の著作という触れ込みの贋作ですが、なかなか面白い本です。 人の姿には似侍りしかども、色も悪く、すべて心もなく無く侍りき。 声は有れど絃管声のごとし。 げにも人は心がありてこそは、声はとにもかくにもつかはるれ。 ただ声の出るべき計ごとばかり...
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寒い

大晦日の朝、非常に寒いですね。 季節がくればきちんと寒くなるんですね。 今年の夏の猛烈な暑さがなつかしいような。 でも夏になれば寒い冬が恋しくなるのだから欲張りなものです。去年今年(こぞことし) 貫く棒の 如きもの 大晦日といえば、高浜虚子のこの句がとどめをさすでしょう。 歳時記では新年の季語になっていますが、私の感覚では大晦日の深夜、新年を迎える直前のように思います。 俳句の範疇を超えた、一種の思想性を感じます。 貫く棒とは、真理とも、自然の摂理とも、また、人間の感情とも受け取れます。 貫く棒には年など関係ありませんものね。 しょせん人間が決めただけのもので、お天道様は元日だからといって特別強烈な光を与えるわけではありません。 私はただ、一般常識にしたがって、正月を祝うだけのことです。 今日の私と明日の私が断絶するはずもありません。 そして私は、おつむが少々いかれているので、今年を振り返って反省などしません。 その時その時に良かれと思って行動なり発言なりした結果が現在ですから、良いことも悪いこともすべてひっくるめて自己肯定するのです。虚子五句集 (上) (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店...
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「敵」 筒井康隆

小沢議員が政治倫理審査会への出席を承諾したとか。 私にとってはどうでもいいニュースなんですが、権力闘争がお好きな民主党のお歴々には大変なことらしいです。 どんな小さな組織にも、派閥ができ、権力闘争が起きるとか。 不思議なことではありますが、ヒトという種の本能とも宿痾ともいべき特性なのでしょうね。 スポーツでも敵と戦う姿に観る者は酔いしれるわけですし、戦争映画やチャンバラが廃ることなく人気を集め続けているのもヒトという種の争い好きからきているのでしょう。 筒井康隆の小説に、「敵」という佳品があります。  定年退職して10年、75歳の元大学教授の日常を淡々と、しかしスリリングに綴っています。 もともと子どもはなく、妻に先立たれたため、元教授は一人暮らしです。 たまに訪ねてくる教え子の他には、話し相手もいません。 それでも老学者は毎日商店街に買い物に出かけ、三度の飯を自炊しています。 晩酌を楽しみ、ときにはスナックに出かけて、アルバイトで勤めている女子大生の人生相談に乗ったりもします。 それは慎ましい生活と言ってもいいでしょう。  しかし元教授の精神は、激しく揺れ動いています。 枯淡の境地か...
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