文学

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文学

世の中に、男と女がいればこそ、恋は人生の必定。誠にまれな例なれど、同姓同士の恋もまた必定。 私は齢7つにして、初恋。唇も重ねた。 幼い恋は美しく歌われ、それもまた必定。 なれど幼い恋は幼いほど、好奇心と衝動が先走り、意外や、どろどろにのめり込む気味あり。 オフコースに、「君のいない毎日は、自由な毎日。あれを愛というなら、もういらない」の歌あり。高橋幸弘に、「愛されすぎると、逃げたくて」の歌あり。誠に男というもの、追われることが嫌いらしい。 而して若山牧水に、 逃れゆく 女を追へる大たはけ われぞと知りて 眼くらむごとし  の歌あり。   男が女を追う。これを恋と言う。 ストーカーなど知らぬ、オスはメスを追うべし。草食系だのと、片腹痛し。 婚活などと、馬鹿馬鹿しい。 古式ゆかしい男女の習いを知れば、そんなことは自然に任せるべし。
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死の文学

文学と死は、なんと離れがたく、抱き合っていることでしょう。 あまたいる自殺をとげた文学者。 あるいは情死。または孤独死。自衛隊の決起を促して死んだ文学者もいました。 文学者が死を甘美なものと捉え、そこから抜け出せなくなるのは、故なしとしません。死は未知であり、死を求める者の心に従って、自在に変化し、その魅力的な姿を現します。 私は、精神の病を患い、渇きにも似た切羽詰った心で、自死を模索したことがありました。しかしそれを実行しなかったのは、死は、私にとって魅力的でありながら、あまりに恐ろしいことであったからです。狂気のなかに、わずかに正気が残っていたのでしょうか。 そして今にいたるも、情けなく、生き残っています。 自死をとげた原民喜に、「夏の花」という小説があります。 自身の被爆体験を描いた小説です。 悲惨な被爆地の状況と、被爆者の切ない心情を描きながら、その文章はあまりにも美しいのです。 戦後最も美しい散文と、評されたほどです。 いわば死にいく他者と、死に抵抗する我を描いた小説で、それはまさしく、死の文学です。 もっとも痛ましい状況を、もっとも美しく歌わずにおられなかった作家の心情を思...
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雨が降っています。明日も雨だとか。季節のかわりめに、雨はつき物ですが、なんとなくだるくなって、憂鬱になります。抗うつ薬を三種類、気分安定剤を一種類、抗不安薬を一種類飲んでいますが、ちっとも効いてくれません。机にむかっていても、果てしない奈落の底に落ちていくような錯覚に囚われます。 秋雨や 夕餉の箸の 手くらがり 永井荷風の句です。秋雨で、窓から見る景色ももう暗く、淋しい。晩飯も手暗がりという、秋の憂愁と孤独を詠んだ句と見ました。 しかし、今日の私には、句をひねるほどの余裕もなく、ただ、この世ならぬものが自己のたましいに入り込んでくることへの恐怖に、慄いているのです。永井荷風の本
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向島

だいぶすずしくなったので、昨日は向島界隈を散歩しました。 まずは東向島駅に隣接する東武博物館で東武電車の古い列車に乗ったりして遊び、そのあと街を歩きました。 永井荷風が「濹東綺譚」で描いた昔の私娼街ですが、今は花街らしい面影はありませんでした。小さな古い商店や家、アパートなどが立ち並ぶ、いわゆる下町です。 久しぶりに、リヤカーを引いている人や、腹巻にステテコの老人、浴衣で闊歩する老旦那などを見ました。タイムスリップしたかのようでした。 しかし、あまりにごみごみしているので、住むのは無理かな、と思いました。 白鬚神社に詣で、帰路につきました。
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エヴリブレス

瀬名秀明が昨年出版した、「エヴリブレス」を読みました。 現実世界と、無限に存在するコンピュータ上の仮想社会との共鳴を描いています。 例えば、私が今日死んだとします。私のこれまでの記事や性格、行動をプログラミングした人口知能(仮とびお)に、現実の出来事や新しく発表される映画や小説の内容をダウンロードして、仮とびおにブログを更新させれば、このブログは、私の死後も、半永久的に続くことになります。 さらに、無数に存在するブログやホームページにも同様のことをし、その内容をリンクさせれば、仮想社会が成立します。 この小説では「BRT」という仮想現実ソフトに自身の仮の姿を投影させ、人口知能に「自動モード」という機能を付加します。もちろん手動で現実の本人が仮の姿を操ることもできますが、放っておけば「自動モード」で「BRT」の人物は勝手に生きていきます。しかも「BRT」には死がなく、人物を消去する機能が意図的に付与されていないので、現実社会の人間が死ねば、必ず、「自動モード」で永遠に生きていく運命にあります。 しかも、現実社会の投影である「BRT」の住民も、自分たちの世界の下位に「BRT」を持つので、階...
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