文学

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巴里祭

今日は巴里祭ですね。 パリの民衆がバスティーユ監獄を襲撃し、フランス革命が勃発した日。 本国、フランスでは、バスティーユの日、という名の祝日で、巴里祭と呼ぶのはわが国だけだそうです。 巴里祭なんていうと、なんとなくロマンティックな響きがありますが、実際は血みどろのフランス革命が始まった日で、ロマンティシズムとは程遠いものです。 本国では、今もフランス革命を支持する勢力と否定する勢力が拮抗し、7月14日には元貴族を中心に、喪服を着て過ごす人も多いと聞き及びます。 もちろん、圧倒的多数の庶民は、ワインをしこたま喰らい、花火に酔いしれるお祭りの日だそうですが。 勝者の理屈で歴史が書かれるのは古今東西、みなそうです。 しかし、今、わが国は世界でもトップクラスの好感度を誇り、世界から信頼されています。 ただし、中韓を除いて。 いくらなんでも70年前の行動をもって今なお攻め続けるのは無理筋というもので、それが証拠に中韓以外の国々は一様に現在のわが国の行動をもってわが国を評価していますね。 あんまり当たり前すぎる態度ですが、それが嬉しく感じるあたり、中韓の歴史を振りかざす横暴な態度は、わが国民にスト...
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台風一過

台風らしからぬ台風が行ってしまい、しかし台風一過らしい暑さがやってきました。 私が執務する部屋は西日があたり、エアコンをかけていても午後はむうっとする暑さです。 お手討ちの 夫婦(めをと)なりしを 更衣(ころもがへ) 与謝蕪村の句です。 更衣は夏の季語。 不義密通の罪で処刑されるはずのところ、罪一等を減じられて他国へ落ち延び、ようやっと二人で更衣の季節を迎えられた、といったほどの意でしょうか。 色っぽくも切ない内容で、夏の句らしからぬ情趣を感じます。 涼しさや 鐘をはなるる かねの声 こちらも与謝蕪村の句。 鐘がなるたびにその音は離れていく、ということで、爽やかな印象とともに、どこか寂しさも感じます。 郷愁の詩人と呼ばれた面目躍如といったところでしょうか。郷愁の詩人 与謝蕪村 (岩波文庫)萩原 朔太郎岩波書店 私は俳人のなかではこの人の句を最も愛好しています。蕪村俳句集 (岩波文庫)尾形 仂岩波書店 ただ、わが国の文人の例にもれず、この人も夏を詠んだ句は少ないようです。 夏と言う季節は、わが国の詩歌の美意識に合わないのかもしれませんね。 暑すぎて閉口しますから。 日傘の影 うすく恋して...
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芸術の暴力

今日は昼寝をしたり珈琲豆の専門店に行ったりして、のんびり過ごしました。 こういう土曜日も、時には悪くありません。 徒然に、好きな象徴主義の巨匠、ギュスターブ・モローの絵画集など紐解きながら。 私が最も好む「化粧」です。 初めて美術館で目にした時、私は30分以上この絵の前にたたずみました。 そして女のスカートがたびたび私の前をひらつき、私は必死にそれをつかもうとしたのです。 周りの客はさぞかし奇妙なやつだと思ったでしょう。ギュスターヴ・モローの世界新人物往来社新人物往来社 しかし、私が美術であれ文学であれ、その世界に深くシンクロすると、そういうおかしな現象が時折起こります。 そしてそれが起きると、私は激しく疲労します。 文学作品では、石川淳の「紫苑物語」や三島由紀夫の「鏡子の家」、川端康成の「眠れる美女」、倉橋由美子の「シュンポシオン」などでそういう現象が起こりました。紫苑物語 (講談社文芸文庫)立石 伯講談社鏡子の家 (新潮文庫)三島 由紀夫新潮社眠れる美女 (新潮文庫)川端 康成新潮社シュンポシオン (新潮文庫)倉橋 由美子新潮社 読み終わって数日の間、現実にいるのか物語世界の中に入...
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妖怪怪異

7月に入って、今日は晴れてずいぶん夏めいた一日でした。 わが国では、夏と言えば怪談。 怪談話を聞いて、冷やぁっとして涼もうとは、ずいぶん悠長と言おうか、まどろっこしい話です。 現代ではエアコンをかければいつでも高原の朝のような涼気を得られます。 そんな現代でも、夏になると怪談が流行りますね。 私は幼いころから怖いお話や不思議なお話が大好きでした。 それが高じて今も幻想文学やホラー映画が大好きです。 このブログをご愛読くださる方はよくご存知のとおり、私は常軌を逸したホラー映画ファンでもあります。 幽霊だとか妖怪だとか怪物だとか言う物は、観念上の存在で、物理的には存在しえないことになっています。 呪術だとか魔術だとかもまたしかり。 それはそうなのでしょうが、私は言葉が存在するかぎり、それは実体として存在する、もしくは実体として存在するのと同様の確からしさをもって人々から認知されているものと思っています。 例えば幽霊。 幽霊という言葉が存在するということは、幽霊なる概念が存在し、それは多くの人からこういう物と認知され、さらにごくわずかの人々はその存在を見たりして、実体を伴う存在と信じています...
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病みつつ我は

5月12日に飲み仲間であった三つ年上の悪友が47歳の若さで果かなくなってしまったことは、その日のうちにこのブログで報告したところです。 近しい人が亡くなるということは誠にしんどいことですが、ただしんどいだけではなく、おのれの死を考えるきっかけになります。 「哲学は死の練習である」とソクラテスは言い、「死がなければ哲学もなかったであろう」とショーペンハウアーは言ったそうですね。 ことほどさように人間にとって死というのは重要で興味深い問題です。 いつでしたか、テレビで西部邁も「死と宗教」の問題だけが人間にとって唯一の関心事だ、といった意味のことを言っていましたね。 私が最も死に近づいていたの平成16年から17年にかけて、うつ状態が激しい頃で、最も深く人の死について考えたのは2年3カ月前の父の死から数ヶ月の間でした。 いずれもかなり直接的な理由があったためで、人間、切羽詰まらないと、おのれの死というがごとき重要なことも忘れてしまうようです。父の齢(よはひ)に 至らざれども 良寛の 示寂に近し 病みつつ我は   宮柊二の歌です。 父親の寿命よりは若いけれど、良寛の死期に近づき、死を意識したとい...
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夏至を過ぎる頃

もう夏至を過ぎてしまったんですねぇ。 これから少しづつ陽が短くなると思うと寂しい限りです。五月雨に 物思ひおればほととぎす 夜ふかく鳴きて いづち行くらむ  古今和歌集にみられる 紀友則の和歌です。 五月雨は旧暦であることを考えれば梅雨時。 夏至なんて言葉はわりと新しいので、直接夏至という言葉を織り込んだ和歌なんてあり得ません。 五月雨とか短夜(みじかよ)なんかが夏至の頃を表すと言えましょう。 わが国の古典文学では、なぜか夏の詩歌が極端に少ないのですよねぇ。 わが国の夏は非常に苛烈ですから、歌心も起こらなかったのかもしれませんね。 そんな嫌な季節にも、物思いに沈み、ほととぎすがどこへ行くのかぼんやり考え、同時におのれの今後、ひいては人の一生というものの儚さを嘆いているような感じも受けます。 時の移ろいや自身の衰えを嘆いても詮無いことではありますが、それを嘆かずにはいられないというのもまた、人の性であるように思います。 だんだん陽が短くなるというのに気温はどんどん上がっていくのは奇妙なものですね。 今はまだ夕方職場を出るころ明るいですが、秋になり冬が来ると真っ暗。  あれが嫌なんですよね...
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村上春樹の新作

村上春樹の新作短編集「女のいない男たち」を読みました。女のいない男たち村上 春樹文藝春秋 これは、生き別れや死に別れなどで大切な女性を失った男たちの喪失感を様々に描いた短編集です。 したがって、そもそも女性と付き合ったことがない、という意味での女がいない男は含まれていません。 短編集ですから、一作くらいはそういうのも入れて欲しかったですねぇ。 どれもどこかエキセントリックで、社会の枠にはまらない男たちの喪失感が、流麗に、切なく描かれ、さすが大御所と言う感じで、このところ長編ばかり物してきた作者の筆遊びのようなところもありますが、さすがに春樹節は健在でした。 恋人にふられる、あるいはふるという形で女を失うことはよくあることですし、死に別れということも、老いた夫婦では避けられないことでしょう。 そもそも恋人も妻もいたためしが無いという人も含め、すべての男は女のいない男であるか、あったと言っても良いでしょう。 また、恋愛が成就し、結婚という事態になったとしても、妻を得ることで恋人を失うわけで、その場合、女(=恋人)がいない男になり、間をおかずして女(=妻)がいる男になることで、それは本質的に...
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桜桃忌

今日は太宰治の命日、桜桃忌ですね。 私もご多分にもれず、通過儀礼のようにこの作家の作品に中学生の頃心酔しました。 何しろ読みやすいのと、自己陶酔のようなセンチメンタリズムが中学生の心をとらえたのでしょうね。 高校生になると、もうそのセンチメンタリズムが鼻につき、離れて行きました。 26歳で変死した尾崎豊にも通じるような、犯罪奨励、自殺奨励めいたところがあり、18禁にしたほうが良いかもしれませんね。 そうしたら売上激減でしょうし、冗談ですが。 今も桜桃忌には、墓参りに訪れるファンが絶えないそうで、根強い人気があるんですねぇ。 何度も心中未遂を繰り返しては自分だけ生き残ったため、成功した心中では相手の女性が彼を殺害してから体を赤い紐でくくりつけ、玉川上水に飛び込んだとの俗説があります。 太宰治の遺体を調べたところ、ほとんど水を飲んでいなかったことから、そういう説が生まれたそうです。 真相は闇の中ですが、それが仮に本当であれ、そんな下世話な話には乗りたくないものです。 生きていれば今年105歳。 生きていても不思議ではありません。 あの色男がどんなおじいちゃんになったでしょうね。 ご冥福をお...
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追悼 大西巨人先生

恥ずかしながらつい先日まで知らなかったのですが、戦後文壇の巨人、大西巨人先生が今年の3月に亡くなられていたそうです。 日頃このブログに親しんでおられる方々は、私の耽美主義的かつ浪漫主義的傾向から、先生のような理に勝った小説家を好まないのではないかと推測されるのではないかと邪推します。 さにあらず。 私はノーベル文学賞を受賞した大江健三郎は大嫌いですが、大西先生は深く尊敬しています。 なぜか? 大西先生は嘘八百でしかない小説に生命を吹き込み、一方大江健三郎はそこに愚かな思想信条を託したからだと言う他ありません。 小説は読んで字の如く、小さな説です。 天下国家を論じるものではなく、色恋だとか、諍いだとか、友愛だとか、そんなくだらないようでいて、人間の本質を描く、人の性をわざわざ嘘をついてまであぶりだす、因果なものです。 大西先生の作品と言えば、何をおいても「神聖喜劇」は外せません。 神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)大西 巨人光文社神聖喜劇〈第2巻〉 (光文社文庫)大西 巨人光文社神聖喜劇 (第3巻) (光文社文庫)大西 巨人光文社神聖喜劇〈第4巻〉 (光文社文庫)大西 巨人光文社神聖喜劇...
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八十八夜

今日は八十八夜。 立春から87日目。 日本独自の雑節と言われていますね。 一説には、季節外れの遅い霜が降りたりする時季とかで、農民に注意喚起するために設定されたとやら。 また、この日摘んだお茶を飲むと長生きできるとも言われ、夏も近づく八十八夜、という唱歌がありましたね。 霜なくて 曇る 八十八夜かな 出流れの 番茶も 八十八夜かな いずれも正岡子規の句です。 やっぱり霜やお茶を詠んでいますね。 日本人にとっての八十八夜の代表的なイメージだったのでしょう。子規句集 (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店 幸い、今朝、霜など降りず、暖かな日を迎えています。 普段珈琲ばかり飲んでお茶を飲まない私ですが、今日ばかりはお昼の供は暑いお茶です。 せっかく季節感を大切にする国に生まれたのですから、その時々の季節を楽しみたいものです。にほんブログ村 人文 ブログランキングへ
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御大のライトノベル

午後は御大、筒井康隆翁が執筆した初めてのライトノベル、「ビアンカ・オーバースタディ」を楽しみました。 もっとも、翁はライトノベルという概念が生まれるはるか以前から、「時をかける少女」などの名作を物しています。時をかける少女 〈新装版〉 (角川文庫)貞本 義行角川書店アニメ版 時をかける少女筒井 康隆,「時をかける少女」製作委員会金の星社 かつてはジュヴナイルなんて言われていた、中高生をターゲットにしたジャンルの小説ですね。 もっとも近頃では、ライトノベルの読者層は中年男女にまで広がっているとか。 ゲームやアニメのファンが50過ぎの方にまで伸びていることを思えば当然かもしれません。ライトノベル完全読本 (日経BPムック)日経キャラクターズ日経BP社 さらに遡れば、戦前には少年小説とか少女小説とか呼ばれるジャンルがありましたし、もっと昔はお伽話なんて言いました。 いつの時代もそういうジャンルがあるものです。 ライトノベルという言葉は20年ほど前に生まれたもので、今でも明確な定義はなく、中高生向けの新書や文庫本で、読みやすく、オタクっぽい挿絵が入っていて、恋愛物、SF、ホラー、推理物など、多...
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川端康成先生、安らかに

1972年の今日、ノーベル文学賞作家の川端康成先生が逝去されました。 ガス自殺と伝えられます。 戦後、「私はもう日本の美しか詠わない」と宣言され、官能的な作品や美的な作品を生み出し、それが評価されてのノーベル文学賞受賞だったと思われます。 授賞式には燕尾服ではなく、紋付き袴姿で臨み、あくまで日本の美を追求する姿勢を鮮明にされましたね。 その姿、1968年、政治の季節の真っ最中だった日本の人々に強い印象を残したであろうことは、想像に難くありません。 遺書はなく、老醜をさらしたくなかったのでは、と憶測を呼びました。 「美しい日本の私」と題した受賞記念講演では、道元禅師の、春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり という和歌を朗吟し、ためにこの歌が人口に膾炙するようになったと言っても過言ではありません。道元の和歌 - 春は花 夏ほととぎす (中公新書 (1807))松本 章男中央公論新社 三島由紀夫を見出したことでも知られ、彼は川端先生を師と慕いました。 三島由紀夫が男色家であったことは公然の秘密ですが、川端先生はたいそうな女好きで知られていました。 純文学だけではなく、中原...
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聖痕

久しぶりに御大、筒井康隆の新作を鑑賞しました。 おそらくは3.11にインスパイアされて描かれた滅びの予感を実験的に描いたと思われる、「聖痕」です。 1973年、この世のものとは思われぬ美貌をもって生まれた5歳の童子、葉月貴夫は、その美貌に取りつかれた醜い男に襲われ、睾丸ごと生殖器を切り取られてしまいます。 真にショッキングな出だしです。 ここから、葉月一家は貴夫の身に起きたことをひた隠しにすることに精根を込めます。 貴夫はますます美しく成長し、それは神々しいほどです。 ために言い寄ってくる女や男は引きも切らず、しかし性欲の源を失った貴夫は性欲というものが理解できないまま、唯一の快楽、美食に走り、食品会社での開発を担当したのち、自分のレストランを持ちます。 そこには美食を求める紳士淑女が出入りする、秘密の隠れ家の様相を呈し、しかも会員制の特別室では、男女の紹介などが行われ、それは性欲を持たない貴夫なればできたことかと思われます。 じつに多くの癖のある男女が登場し、わきを固めます。 そして、3.11の悲劇。 さらに、思いがけない、長い年月を経て偶然出会った犯人との対峙。 題材は面白いと思う...
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死と桜

予報では、今日の首都圏は23度ほどにも気温が上がるとか。 桜もいよいよ見ごろというわけです。 これは花見に出かけなければなりますまい。 しかし連日の送別会で疲れた肝臓に昼酒は禁物。 それなら近場で酒肴打ちそろえての、花が目的なんだか酒が目的なんだかわからない花見は止して、ちょっと足を伸ばして上野か靖国・千鳥が淵あたりを散策するのが上策というもの。 花見というと浮かれたように見えますが、桜は狂い咲き、狂い散るその様から、生き死にの在り様を否が応でも考えさせる、怖ろしい花でもあります。 国文学者にして民俗学者の折口信夫(おりくちしのぶ)は、歌人、釈迢空(しゃく ちょうくう)として、独特の句読点を用いた歌を多く残しています。 人も馬も 道ゆきつかれ 死ににけり。 旅寝かさなるほどの かそけさ 道に死ぬる馬は、仏となりにけり。 行きとどまらむ 旅ならなくに ちょっと読みにくいですが、私は桜の季節、このような不吉な歌を思い出しては、慄然とします。釈迢空歌集 (岩波文庫)富岡 多惠子岩波書店 私の友人に、この人を神のように崇めている者がありました。 「死者の書」などの小説も書いていて、独特の文体が...
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桜が咲き始めたようです。 桜を見ると、今年も生きて桜を見ることができた、という気分になるから不思議です。 まだ高齢というわけでもないのに。 桜の狂的な力が、そんな不思議な感慨を呼び起こすのでしょう。 ねがはくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃 おそらくわが国で最も愛吟されている歌ではないでしょうか。 言わずと知れた、西行法師のあまりにも有名な歌です。山家集 (岩波文庫 黄 23-1)佐佐木 信綱岩波書店 西行全歌集 (岩波文庫)久保田 淳,吉野 朋美岩波書店 西行法師は春の死を望みましたが、私は死の季節である冬に、ピリピリと冷たい空気の中、死神に連れて行かれたいと願っています。 死の季節に死ぬるのは、道理にかなっているように思います。 職場は4月の人事異動がオープンになり、浮足立っている感じです。 私は研究協力担当部署から、総務担当部署に異動が決まっています。 今日の午後、後任と引継、3月31日の午後、前任と引継の予定です。 心ざわつくこの時季に狂乱の桜が咲き乱れ、散り乱れるとは、奇妙なシンクロニシティを感じます。 あるいは、それを狙ってわざと会計年度や学年暦の変更が...
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