文学

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雲の墓標

先日NHKの「坂の上の雲」第3部を見てふと思い立ち、久しぶりに阿川弘之の「雲の墓標」を読み返しました。 京都大学で万葉集を学ぶ主人公が、学徒出陣で兵隊となり、特攻隊員として散るまでの心境を、日記形式でつづった名作です。 主人公は当初戦争にも軍隊にも強い嫌悪の念を抱いていますが、時の流れとともに心境は変化し、特攻隊員となる頃には死への恐怖すら薄れていきます。 日露戦争のように辛くも勝利した戦争と違い、必敗の可能性が濃厚になった頃、主人公の魂が救われるという逆説的な物語。 現実の特攻隊員の多くが恐怖におののきながら出陣していったものと思われますが、そう思うことは英霊への冒涜にもなりましょう。 同世代を生きた作者には、そう書かざるを得なかったものと思われます。 そういう意味で、戦後、大日本帝国を全面的に否定する論調が流行したことは、唾棄すべき事態であろうと考えます。 物事の善し悪しはともかく、祖国が存亡を賭けて戦っているとき、国民が勝利を信じて戦うのはむしろ当然のことで、一人日本だけが、近代帝国主義国家にも関わらず、戦っているそのさなかにそれを否定するわけがありません。 後世の異なる常識を以...
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戦争の法

現在活躍中の小説家で、最も上質という言葉が似合うのは、佐藤亜紀だと思います。 最近は早稲田大学や明治大学の客員教授として創作の作法を教えているとか。 たいそうなご活躍です。 主にヨーロッパを舞台にした作品が多いですが、「戦争の法」は日本を舞台にしていて、しかもどこかブラック・ユーモアみたいなものが効いている異色の作品です。 平野啓一郎が「日蝕」をひっさげて颯爽とデヴューした時、佐藤亜紀は自身の作品「鏡の影」のパクリだと、小説家にとってはこれ以上ない侮辱を浴びせたことを懐かしく思い出します。 平野啓一郎は佐藤亜紀なる小説家の存在も知らないし、その作品を読んだこともないし、今後も読むことはない、と完全否定しました。 佐藤亜紀はこれに対し、盗作をしたかどうかはともかく、彼が嘘つきだということははっきりした、と言って応戦しました。 「鏡の影」も「日蝕」も新潮社から出版されていたところ、新潮社は「日蝕」の出版に合わせるように「鏡の影」を絶版にしてしまいました。 二人を比べて、平野啓一郎の将来性に賭けたということでしょうか。 しかし、現在の活躍を見る限り、新潮社の判断が正しかったとは言い難い状況で...
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師走

今日から師走ですね。 暦どおり、今日の関東地方は真冬の寒さ。 今シーズン一番の冷え込みだそうです。 私は今日、この冬初めてダウンのコートを着て、マフラーを巻いて出勤しました。 今年はウォーム・ビズということで暖房は控えめ。 先日ドンキ・ホーテで購入した膝かけが大活躍しています。 12月には春待月(はるまちづき)という洒落た別称もありますね。 でも実感としては、やっと冬に入ったところで、まだ春を待つという気分にはなりません。  私は30過ぎまで手足の先が氷のように冷たくなる冷え性でしたが、冬は嫌いではありませんでした。 凛とした冷たい空気が、しゃんとする感じがして好ましく思えたのです。 30代半ばくらいから、冷え性は肥満とともに良くなりましたが、逆に冬の寒さを辛く感じるようになりました。 不思議ですね。 冬菊の まとふはおのが ひかりのみ  水原秋桜子 名句ですねぇ。 冷たい冬の空気の中、確かな生命の輝きを感じさせる、力強い句です。 できることなら私も、冬菊のようにおのれの光のみを頼りに、後半生を生きたいものです。新装版 水原秋櫻子 自選自解句集水原 秋櫻子講談社水原秋桜子集 (朝日文庫...
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○○の娘

スターリンの一人娘、ラナさんが85歳で亡くなったそうですね。 16歳の時の初恋の相手は10年間も流罪に処せられたとか。 その後旧ソ連で三度結婚、いずれも離婚または死別しました。 三度目の夫の母国であるインドに夫の遺灰を返すため渡ったとき、旧ソ連のパスポートを燃やし、亡命を宣言、米国籍を取得しました。 時に冷戦真っただ中の1967年。 堂々と共産主義を批判し、スターリンやクレムリンの実情を描いた著書はベストセラーになりました。 米国では、ある者からは共産主義の悪魔、スターリンの娘と罵られ、またある者からは共産主義の悪魔から逃げ出した英雄と称えられ、どちらにしてもスターリンの娘という呪縛から逃れることはできませんでした。 晩年のラナさんです。 父、スターリンに抱かれるラナさんです。 ○○の娘というと思いだすのは、「更級日記」の作者、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)ですねぇ。 本名は伝わっていません。 日本では著名な女性でも○○の娘とか、××の母、としか伝わっていない人がけっこういるんですよねぇ。 スターリンの娘とは何の関係もありませんが。 「更級日記」というと、「源氏物語」に夢中に...
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旅のラゴス

私は筒井康隆が書いたものをほとんど読んでいますが、じつは最も気に入っているのは、「虚人たち」のような実験的な文学作品でも、「東海道戦争」のようなコメディ調のSFでも、「時をかける少女」のようなSFジュブナイルでもありません。 筒井康隆としては異色の作品、「旅のラゴス」を最もよしとします。 文明を失った代わりに、様々な超能力を身に付けた人々が住む世界で、ひたすら旅を続けるラゴス。 旅の途中、王になったかと思えば奴隷になったり。 親しい人ができても、彼はその人と別れて旅を続けます。 別れ際、いくらなじられようと、ラゴスは旅を続けざるを得ないのです。 旅を描いた日本文学のなかでは、渋澤龍彦の「高丘親王航海記」にならぶ名作です。 「高丘親王航海記」がどこか乾いた幻想文学だとすれば、「旅のラゴス」は感傷的な要素を含んだ哲学的な作品です。 なにゆに彼は旅を続けるのか。 その旅に目的はあるのか。 よくわからないまま、短編の連作という形で、少年だったラゴスが成長し、老いていきます。 ポイントは、ラゴスの旅ではなく、旅のラゴスであるという点。 人生を旅に喩えるのは古来よく行われてきたことですが、この作品...
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ガラス玉演戯

「ガラス玉演戯」とも「ガラス玉遊戯」とも訳されるドイツのノーベル文学賞受賞者、ヘルマン・ヘッセの畢生の大作。 ヘルマン・ヘッセというと、少年の成長や挫折を描く青春文学の作家、というイメージが強いですが、「荒野のおおかみ」あたりから、急激に文明批判や精神世界への言及を強めていきます。 その行きついた果てが、「ガラス玉演戯」でしょう。 未来、芸術と数学と瞑想を伴って行われる究極の芸術、ガラス玉演戯が生まれます。 主人公クネヒトはガラス玉演戯の名人となります。 クネヒトの意味はしもべ。 究極の芸術の名人が、しもべ。 それだけでも、なんだか意味ありげです。 クネヒトは、もはや内面の嵐に突き動かされて社会から脱落することはありません。 瞑想の力によって社会的な秩序と内面の自由を調和させることができるからです。 学問と芸術、論理と感性を同時に表現し、調和させ、統一することを可能にする世界語、それがガラス玉演戯であり、クネヒトはその最高位にまで上りつめるわけです。 しかしこのガラス玉演戯の神聖な世界に対立するものとしての俗世の存在が、主人公を更なる調和と統合に向かわせます。そして・・・。 結末は人に...
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大いなる助走

筒井康隆の小説に、「大いなる助走」という作品があります。 同人誌に参加し、自分が所属する大企業を内幕を暴露した小説を書いた青年が、大企業にいられなくなり、直本賞なる権威ある文学賞を受賞するため、選考委員にあの手この手で働きかけ、しかし受賞を逃がし、選考委員を殺害してまわる、というハチャメチャな小説です。 直本賞を受賞するために、女好きの選考委員には恋人を差出し、男色家の選考委員には自らの体を捧げ、金を積み、それでも受賞できなかった青年は、ほぼ頭が狂います。 映画化もされ、佐藤浩市が青年作家を演じ、鬼気迫るなかにもどこか滑稽な、このおとぎ話の主人公を演じて見事です。 半分呆けちゃった選考委員がいたり、実力がある新人作家は選考委員の生活を脅かすという理由で落としたり、ちょうどその頃筒井康隆が何度も直木賞候補に挙がりながらついに受賞できなかった私怨ばらしの小説と評され、筒井康隆は世の中に私怨ばらしではない小説があるか、と開き直って話題になりましたね。 これを読んだのは高校生の頃で、「大いなる助走」、というタイトルがすんごく気になりました。 つまり同人誌などで書いているのはプロになるための助走...
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俗情との結託

大西巨人といえば、あまりにも長い小説「神聖喜劇」が有名です。 これは第二次大戦中の対馬守備隊を舞台に、驚異的な記憶力を持つインテリの新兵が、その記憶力と法的知識を武器に、上官らと対決する姿をとおして、旧日本軍、ひいては組織全般が持つ非人間性を提示してみせたもので、長く緻密な描写と神学論争とも言うべきディスカッションが延々と続き、正直、面白くありません。 私はそもそも理屈が勝った小説を好みませんので、辛抱たまらず途中で投げ出し、幻冬舎から出ている漫画版でどうにか読みとおした記憶があります。 しかしこの作者が「神聖喜劇」を発表する以前、俗情との結託を排する文学論を唱えていたことを思えば、その面白みのなさも納得できるところです。 俗情とは、人情、あらゆる欲望、社会世相など、人間が生きる要素すべてと言っていいでしょう。 すなわち文学とは俗情を描くものであるとも言え、俗情との結託はいわば文学の必然というべきものです。 しかし大西巨人は、俗情との結託である文学・芸術を批判しています。 その結果現れるのが、俗情と乖離しながら俗情らしきものを客観的に提示し、なんらの解釈も加えず、面白そうでもなく、感動...
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秋雨

久しぶりに本格的な雨ですねぇ。 秋雨というには少し寒いでしょうか。 今シーズン初めて、コートを着て出勤しました。 通勤の電車内では、少し浮いていました。 まだちょっと暑かったかもしれません。 秋といえば、月にしても菊にしても、わが国の和歌や俳句ではもっとも多く詠まれる時期であり、風情漂う季節です。 秋には過ごしやすい季節でありながら、冬の足音に慄くどこかさびしげな感が漂います。 俳句の名手、正岡子規の秋雨の句からいくつか拾って、秋雨を詠む作法を見てみます。 犬痩せて 山門淋し 秋の雨     犬痩せて、という文句が不気味で良いですねぇ。 さびれたお寺の山門に、雨の中痩せこけた犬。 一幅の絵のような句です。 秋雨や 色のさめたる 緋の袴 色がさめた緋というのが貧乏くさくて寂しさを盛り上げています。 その袴、やっぱりはくんでしょうねぇ。 はきたくないですねぇ。 秋の雨 香爐の烟 つひに絶えぬ べつになんということもない現象なのですが、つひに、という文句が効いていますねぇ。 なんということもない現象が、限りない寂しさを象徴しているように感じられるから不思議です。 わずか三つの秋雨の句を見ただ...
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朝と夜

よく年寄りになると夜は起きていられず、朝日が昇ると寝ていられない、とか言います。 私は学生の頃は朝寝坊の宵っ張りでしたが、就職して三年もすると、夜は疲れて起きていられず、朝は5時には目が覚めてしまうようになりました。 うつ病で休み始めたときは一日23時間くらい寝ていましたねぇ。 よほど脳が休息を求めていたものと思われます。 躁転すると、今度はほとんど寝なくてもいつも元気、という異常な状態が半年くらい続き、電池切れのように倒れて二度目の休職になりました。 今は22時半から23時頃寝て5時頃起きる、という良いリズムになっています。 でもまともに頭が働くのは15時くらいまでですねぇ。 それ以降は疲れちゃって、無理やり働いている感じです。 研究者というのは両極端に分かれるようで、昼頃出勤して明け方帰る人もいれば、16時頃帰って翌朝7時には出勤している人や、20時には寝て深夜3時頃起きる、という修行僧のような人もいます。 私のような事務職ではフレックス勤務が認められていないので、そういう極端なことはできません。 20年働いても仕事に慣れるということがないような気がしていますが、体内時計はしっかり...
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アブノーマル

老人の性を描いた小説といえば、谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」とか、川端康成の「眠れる美女」とか、筒井康隆の「敵」とか、優れた作品が多くあります。 一つには、老人といえど性欲があって、ところが世間は老人の性を忌避する傾向があり、そこを逆手にとると興味深い物語が生まれるのでしょう。 私もあと30年もすれば、これら秀作の本当の面白さが分かるかもしれません。 先日、72歳の無職男性が小学校五年生の女児の尻を触ったとかで逮捕されたそうです。 世に小児性愛者というのがいて、例えば「鏡の国のアリス」などで著名なルイス・キャロルは老人になっても小児しか興味を持たなかったと伝えられています。 これは誠に不幸なことですね。 私のストライク・ゾーンは20代半ばの健康な女性で、おっかなくない人ですので、世間的にはまったく面白くない性癖で、下着などにも全く興味がありません。 まして強姦など不可能です。 目の前で必死で抵抗されたら、使える物も使えなくなってしまいます。 おそらく世の中の大多数の男性はそうでしょう。 私のような趣味嗜好を持っていると、恋愛沙汰に陥っても、風俗遊びをするにしても、たいへん楽です。 世間が...
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立冬

今日は立冬ですね。 心なしか冬の香が漂ってきたような。  私はスリムだった頃、夏以外はみな寒く感じました。 20キロ増えた今は、冬以外の季節は暑く感じます。 どちらが楽かといえば、今の方が楽ですねぇ。 寒いのは辛いですから。 体重が増えた効用です。  大切な もの皆抱へ 冬に入る 黛まどか 私はこの俳人の、反則すれすれの句が気に入っています。 現代俳句の新しい地平でしょう。 現代語で短歌をひねる俵万智とは似て非なるものです。 俵万智の短歌はおそらく時代とともに風化していくものと予想しますが、黛まどかの俳句は平成の俳句刷新として長く文学史に語り継がれるでしょう。  団栗の 拾はれたくて 転がれり 黛まどか こちらは厳密に言えば秋の句ですが、立冬の時期が気候で言うと秋真っ盛りですから、堅いことは抜きにしましょう。 むしろ今の時期、秋の季語で句を詠むのが季節の実感に合っていると言えるでしょう。 これから日ごとに寒くなっていくのが、なんだか楽しみのような気がします。 首都圏くらいだったら、夏より冬のほうがすごしやすいですからねぇ。 そういえば知り合いの某ニュー・ヨーカーが、「東京に冬はない、長...
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サラリーマンの悲劇

サラリーマンの悲哀を描いた小説はあまたあれど、これ以上ない、というほどのサラリーマンの悲劇を描いた文学作品といえば、カフカの「変身」に止めをさすでしょうねぇ。 ワーカ・ホリック気味の猛烈サラリーマン、グレゴール・ザムザが日頃の勤労から疲労し、寝坊してしまいます。 ドア越しに母親が声をかけて目を覚ましますが、何かが変です。 どうも背中が甲羅みたいになっています。 グレゴールは巨大な虫に変身してしまったと知れました。 しばらくは部屋に閉じこもって自分が虫になったことを隠していましたが、ばれないわけがありません。 グレゴールの給料だけで両親と妹との4人家族を養っていたのに、グレゴールが職を失い、それまで一家の大黒柱として尊敬されていた彼は、家族から毛嫌いされる存在になってしまったのです。 仕方なく、老いた父親はグレゴールが勤めていた銀行の下働きに出、妹は売り子になり、それでも足りずにグレゴールの部屋に家具をどんどん運び込み、空き部屋を作って下宿屋を始めます。 下宿人にグレゴールの存在がばれたら大変と、グレゴールは家具だらけになった自分の部屋にうずくまったまま、腐ったパンやチーズを与えられ、絶...
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舞姫

「舞姫」といえば、言わずと知れた森鴎外初期の名作であり、高雅な擬古文調で詠いあげられる悲恋の物語です。 私はこの作品を思い出すと、ある居心地の悪さを感じます。  私が通っていた高校では、二年間ですべてのカリキュラムを終え、三年生になると細かいコース別のクラス編成となり、しかも三年生は毎日午前中のみで下校。 午後は自主的に勉強せよ、という意味ですが、神宮外苑という好立地から、渋谷だ新宿だへふらふらと遊びに行く者も多かったですね。 私も含めて。 私が選んだ科目の組み合わせの結果入ったクラスは、女子が40人、男子が5人と、極端に偏っていました。 もちろん、物理や数学など理系コースに行くと、私のクラスとは真逆の現象が起きています。 学校全体の男女比は5:5でしたから、二年生までは男女同数、三年生になると男子ばっかりのクラス、女子ばっかりのクラス、ほぼ同数のクラスと、ばらばらになるのです。 で、その女子ばっかりのクラスで、現代国語の時間に、おじいちゃん先生が「舞姫」を選んだのです。 学習指導要領で定められたカリキュラムは終わっているので、先生は好き勝手にやりたい題材をもってきます。 「舞姫」とい...
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どくとるマンボウ

どくとるマンボウの愛称で有名な北杜夫が84歳で亡くなったそうですね。 医学博士であり小説家であり双極性障害(躁うつ病)患者でもあった、わが国文学界の言わば異端児でした。 北杜夫です。 躁が激しい時に株取引で破産も経験しているとか。 躁状態時に金遣いが荒くなることはよく知られています。 私も半年程度の激躁時、ずいぶん無駄遣いをしました。 マンボウ・マゼブ共和国として日本国家からの独立を勝手に宣言したりして、奇行で有名でもありました。 私は「楡家の人びと」のようなシリアスなものは好まず、「どくとるマンボウ航海記」などのどくとるマンボウものを好んで読んだ記憶があります。 それまでのわが国文学には珍しい、ドライなユーモアにあふれた作品でした。 でもなんと言っても私が彼に親近感を抱いているのは、彼もまた私と同様中年になってから双極性障害を患ったとのことで、同病相哀れむの類で彼の動静を注視していたからでした。 双極性障害というのは不思議な病気です。 当初私はうつ状態となり、うつ病と診断されましたが、その後、上司からのパワーハラスメントで弁護士を立てて抗議したことがきっかけで、寝なくても平気、やたら...
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