文学

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夜長

相変わらず残暑は厳しいのに、日は確実に短くなっていますね。 私はほぼ定時で帰宅します。 11月も終わりころになると、17時でも真っ暗なんですよねぇ。 あれはなんだか厭な気分になるものです。 やっぱり明るいうちに帰りたいですねぇ。 一方秋の夜長を楽しむ不良どもが平安貴族。 毎日昼頃起きてきて、深夜、牛車であっちの姫、こっちの姫と渡り歩きます。 破廉恥なやつらです。 秋の夜も 名のみなりけり 逢ふといへば 事ぞともなく 明けぬるものを 古今和歌集に見られる小野小町の歌です。 秋の夜が長いというのは名ばかり、あなたにあっていると、呆気なく夜明けがきちゃうんですもの、といった感じでしょうかねぇ。 遊んで生きていた平安貴族に比べて、百姓や漁師は毎日が生きるか死ぬかの戦いであったことでしょう。 そして平安時代、一般庶民が圧倒的多数。 雅な和歌などに接していると、ではこの頃、奴婢はどうやって生きていたのだろう、小作農はどうやって生きていたのだろう、という疑問に駆られます。 私たち安月給のサラリーマンは、いわば現代の水呑み百姓。 最低辺を生きていることは、間違いありますまい。 それならばなおさら、精神...
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vita sexualis

私にとっての性的な事件は、誰でもそうだと思いますが、若い頃に集中しています。 物心ついたとき、私にはすでに好きな子がいました。 小学校1年生、7歳の頃です。 その女の子とは気が合って、互いの家を訪問したりして、遊んでいました。 遊ぶといっても、私は普通の男の子のように外を駆け回るのは好みませんでしたから、もっぱら家の中でおしゃべりをしたり、じゃれあったりして遊んでいたのです。 お医者さんごっこなんかして、まだ役に立たないはずの幼い性器が勃起したりして、戸惑ったものです。 じゃれあっている時に、なんとなく、口づけしたのですよねぇ。 7歳というのはちょっと早いような気もしますが、「好色一代男」の世之介は6歳で初体験を済ませていますから、私なんか可愛いものですねぇ。 小学校4年生から6年生にかけて、私の心をときめかす女子は現れませんでした。 しかし、私を困らせる女が登場しました。 4年生のときに隣の席になり、なんとなく仲良くなったのですが、そのうち彼女はストーカーまがいの行為にでました。 ラブレターをよこす、風邪で休めば花束をよこす、写真をくれ、と言ってくる。 私は終始、無視し続けていました...
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残暑

ここ数日非常に厳しい残暑が続いていますね。 まだエアコンなしでは眠れません。 夏はあんまり暑くなかったように感じますが、残暑がしつこい感じがします。 秋暑き 猫の横顔 たけだけし  日野草城 猫の横顔がたけだけしいだなんて、よけい暑くなっちゃいますよ。 うそでもいいから日向で気持ちよさそうに寝ていなさい。  友を葬る 老の残暑の 汗を見る  高浜虚子 これはまだ私にはわからない心境ですねぇ。 友人の葬式というのは出たことがありません。 ていうか、友人で死んだやつはまだいません。 しかしそれでも、ドスのきいた、迫力ある句であることはなんとなくわかります。 ぢりぢりと 向日葵枯るる 残暑かな  芥川龍之介  これはまた、なんとも不気味な句ですねぇ。 向日葵が枯れる風情というのは、他の花と違い、荒々しくて無様です。 向日葵が、死そのもののような無残な姿をさらし、なお、暑い、というのですから、うんざりします。 向日葵のグロテスクな花が枯れていくとは、句を読むだけで怖気がふるいますねぇ。 残暑が厳しいからと、残暑の句ばかり見ていたら、よけい暑くなってしまいました。 エアコンが普及する前、人々は暑...
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今宵は仲秋の名月。 秋と言うには少々暑いですが、良く晴れて、月がよく見えそうです。 暗くなれば、ぐっと涼しくなるでしょう。 秋の月は、春の桜と並んで、わがくにびとが愛でてやまない風流の象徴。  西洋では、今宵、狼男が出没し、殺戮を繰り返すとか。  私の著作「荒ぶる」の表紙も月です。荒ぶるとびお 暢宏日本文学館 室町幕府八代将軍、足利義政は、応仁の乱をきっかけとする乱世に嫌気がさしたのか、東山に銀閣寺を建て、酒を飲んでは月に見惚れていたと聞きます。 銀閣寺観音堂は、月が夜どおし見えるように設計されており、月の動きに合わせて二階に登ったり、廊下を伝ったりしたようです。 銀閣寺です。 NHK大河ドラマ「花の乱」では、市川團十郎が絵空事の芸術世界に現実逃避する頼りない足利将軍を、三田佳子が夫とは打って変わって頼りがいのある日野冨子を演じて見事な対比でした。NHK大河ドラマ 花の乱 完全版 第壱集 三田佳子,市川團十郎,野村萬斎,佐野史郎,草刈正雄ジェネオン エンタテインメントNHK大河ドラマ 花の乱 完全版 第弐集 三田佳子,市川團十郎,野村萬斎,佐野史郎,草刈正雄ジェネオン エンタテインメン...
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ゆで卵

元ジャーナリストで芥川賞作家の辺見庸は、地下鉄サリン事件に遭遇、サリンを吸っているのだそうですね。 幸い一命を取り留め、その時の体験を小説にしています。 タイトルは「ゆで卵」。 不思議なタイトルだなぁ、というのが率直な感想でした。 地下鉄サリン事件の体験談が、「ゆで卵」なんてねぇ。  で、読んでみると、なるほど、ゆで卵をいくつも喰らっています。 地下鉄サリンという異常な体験をした後、家に帰り着き、その事件がどういう背景のもとに行われたのか、また、何者によって引き起こされたのか、何も情報がないまま、修羅場と化した地下鉄日比谷線を呆然と抜け出し、家に帰ってしたのは、ゆで卵を食うことでした。 サリンの異臭よりも、むせかえるようなゆで卵のにおいのほうが強烈だなぁ、などと呑気なことを考えつつ。 意味不明の異常事態が起きた場合、人は物を食うか寝るか性交するか、とにかく原初的な行動をとるのかもしれませんね。 本能的に生きるための栄養や休養を欲したり、種の保存を目指したりするのでしょうか。 食うシーンを、ぽくぽくと食う、と表現していたのが印象的でした。 一般に、小説家がやってはいけないこととして、造語...
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待つ

近現代の作家はあまたあれど、物語作者としての才能が豊かであったのは、三島由紀夫と太宰治ではないかと思います。 不幸なことに、三島由紀夫は大の太宰嫌いで、ファンも三島が好きなら太宰が嫌い、太宰が好きなら三島が嫌い、という傾向があるように思います。 太宰治の自己憐憫的な甘ったれた点は鼻につきますが、気力体力充実していた壮年期には、見るべき作品がたくさんあります。 一つ、太宰治の特徴として面白いと思うのは、少女もしくは人妻の告白スタイルの短編小説が見られることです。 「女生徒」とか、「待つ」とか。 あまりにも短く、あまり取り上げられることのない「待つ」について感じたところを述べたいと思います。 「待つ」は、毎日家で母親と針仕事をして過ごしている20歳の娘が、太平洋戦争の開戦とともに、家でじっとしていることに罪悪感を覚え、何かしなくては、という強迫観念に駆られ、夕方の買い物帰り、毎日毎日駅前のベンチに座って、何者かを待つ、というお話です。 彼女は人間嫌いで、知らない人とあいさつを交わすことさえ恐怖を感じるというタイプですが、誰かは知らぬ誰かを待たねばならぬ、と決意するのです。 もちろん、そんな...
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わがために くる秋にしも あらなくに

なんだか急に秋めいてきましたね。 日差しは強いですが、空気が乾燥してひんやりし、なんだか避暑地に来たような気分です。 体が楽ですねぇ。 待ち望んだ季節の到来なのに、どこか気分が晴れません。   わがために くる秋にしも あらなくに 虫のねきけば まづぞかなしき  古今和歌集に所収の詠み人しらずの和歌です。 自分のために秋が来るわけでもないのに、虫の声を聞くと、真っ先に悲しくなる、というほどの意かと思います。 読書の秋、食欲の秋、芸術の秋、スポーツの秋と、秋は様々な活動に適した過ごしやすい季節です。 にも関わらず、秋の気配を感じただけで、なんとなく、悲しくなるというのは不思議ですね。 メランコリーの秋、というものが、確かに在るようです。  おほかたの 秋くるからに 我身こそ かなしきものと 思ひしりぬれ  ひととおり秋が来るとすぐ、わが身をば、哀しい者と思い知った、というほどの意で、女性の目線で詠まれた和歌と思われます。 なんとなく、男女のことが原因のように感じられて、純粋な悲しみとは違うようです。 こちらも古今和歌集の詠み人知らずです。  秋の夜の あくるもしらず なくむしは わがごと...
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審美

安岡章太郎の小説に、「舌出し天使」というのがあります。 これを読んだのは中学生の頃のことで、もう内容もおぼろなのですが、恥ずかしながら服部達という33歳で自殺した文芸評論家をモデルにした作品だということは、大学を出るまで知りませんでした。 「舌出し天使」は戦地から帰った青年の女難めいた悲喜劇をやや自虐っぽいユーモアのスパイスを効かせた作品で、中学生の私には面白く感じられました。 もっとも、これが安岡章太郎の失敗作として評論家に迎えられているらしいのですが。 先日、服部達の「われらにとって美は存在するか」といういかめしいタイトルの遺稿集を読む機会に恵まれました。 服部達という人、その当時文芸評論家の間で流行していたマルクス主義的アプローチや、思い入れたっぷりの作家べったりな批評を拒絶し、純粋に審美的な方法を目指したとされています。 その当時は知りませんが、そんなことは私が物心ついた頃から当たり前でしたけどねぇ。 文学作品というのは作者と読者の共同作業によって出来上がる神秘体験であると意味付け、サルトルの次のような文章を引用しています。 生産者の側から見るならば、美を支えるものは想像力の働...
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台風

今日は大雨のはずだったのに、千葉市は薄曇りです。 なんだか拍子抜け。 私は7年ほど前に精神病を発病し、個人的にはずいぶん色々なことがあり、今思えば私のたましいは嵐の中にあったように思います。 しかしここ一年半ばかりは、すっかり落ち着きを取り戻し、凪いだ状態です。 高浜虚子に、 人生の 台風圏に 今入りし という句がありますが、今の私は台風圏から脱したところのような気分でいます。 そして現実の台風も、今日、私をマンションの中に閉じ込めるはずだったところ、一向に雨も風も私を襲う気配がありません。 私のたましいは、現実の台風をすら、はねつけてしまったのでしょうか。 もう、人生の台風圏に再突入するのは願い下げです。 凪いだ状態のまま、静かに、人生を泳いで生きたいものです。俳句はかく解しかく味う (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店虚子五句集 (上) (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店虚子五句集 (下) (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店にほんブログ村 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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太陽と月に背いて

私はかねてより、西洋の詩が苦手です。 翻訳すると、日本語として、こ慣れていない感じがして、どうにも恥ずかしいのです。 そういう意味では、上田敏訳の「海潮音」などは、七五調に整えられ、例外的に好む数少ない詩集です。 不思議なのは、日本人によって日本語で書かれた自由詩も、もう一つ気に入らないことです。 まして俵万智が始めた現代語での和歌など、虫酸が走ります。 やっぱり日本の詩歌は、定型の文語文がしっくりくるようです。 日本語は世界で最も詩歌に適した言語だとされますが、それも伝統に則った型にはめてこそ。 自由に作れるということは、それだけ無駄な文句が増えるというものです。 以前、といってももう16年も前ですが、フランスのデカダンス詩人、ランボーとヴェルレーヌとの葛藤を描いた映画を観たことがあります。 「太陽と月に背いて」です。 天才少年詩人、ランボーを、レオナルド・ディカプリオが演じて、その美少年ぶりはなかなかのものでしたが、映画そのものは、ゲイのポルノのように下品なものでした。ランボーです。 映画のなかで、ランボーやヴェルレーヌが自作の詩をうっとりと詠みあげるシーンが何度かありました。 私...
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黒子

予報では今日から土曜日まで雨ということでしたが、千葉は今日は曇りですね。 湿気が異常に高いのが、台風の接近を予感させます。 ピークは土曜日だとか。 マンションに籠って過ごすことになりそうです。 しかしまた、それもよし。 変に秋晴れだったりすると、何か外出しなければいけないかのようなプレッシャーに襲われます。 台風を理由に、堂々と家でだらだらしているのは、それはそれで気持ちの良いものです。 台風の 過ぎて黒子の 一つ増え 田辺レイ 面白い句ですね。 台風の間に、ストレスでほくろが増えちゃったんでしょうか。 しかし、たかがほくろ。 そこに生活の小さな悲しみを見るのは、大げさに過ぎるでしょうか。 田辺レイは昭和10年生まれと言いますから、現在76歳でしょうか。 「鱧の皮」という句集を偶然手にして、なかなか面白く感じました。  他に、  秋暑し シルバーシートに 細く坐し  雑炊の 喋り過ぎたる 舌を焼きといった句が目につきます。 いずれも生活上のそこはかとない悲しみを感じます。 古今和歌集仮名序によれば、人の心を種にして、万の言の葉より生まれける、のが和歌。 俳句も同じでしょう。 種が人の心...
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二百十日

早いもので、明日は二百十日。 台風が多いとされる季節です。 昔の人が言うことは当たり、今、大型の台風が日本列島に向けて接近中。 土曜日には、最接近するとか。 今は気密性の高いマンションに住んでいますから、台風が来たところでなんともありませんが、子どもの頃住んでいた家は違いました。 台風がくると、まず木製の雨戸を閉めます。 雨戸を閉めれば大丈夫かというとそうでもなく、雨戸、ガラス戸が風で大きな音を立てます。 ところどころ雨漏りがするので、その下にバケツを置きます。 そんなことの一つ一つが、幼い私を、お祭りのようなわくわくする気持ちにさせました。 その実家も、私が中学1年生の時に立て替えて、台風にまつわる昭和らしい思い出は、途切れてしまいます。昭和57年、昭和が終わる7年前の出来事です。 夏目漱石に「二百十日」という小説がありますね。 阿蘇登山の間抜けな顛末を語りながら、主人公の金持ち批判、庶民に頭の革命を起こす、といった血気盛んな感じと、相棒の、のんびり観光を楽しもうという態度が対照的で、落語の「長短」を聞くような滑稽味があります。 夏目漱石が神経症的な作品を連発する前の、乾いた文体が魅...
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侏儒

昨夜ニュースで民主党代表選挙の様子を見ていて、民主党の国会議員が400人ちかくもいて、その中から一人だけ選ばれるというのは、どういう気持ちがするのだろうと、不思議な感慨を覚えました。 民主党から立候補して落選した人、野党議員、浪人しながら国政を目指す人、そういうたくさんの人の頂点に立つのだから、たいへんなことです。 まして国会議員なんて、いずれ劣らぬ狸ぞろい。 権謀術数や謀(はかりごと)など、お手の物でしょう。 そこで、芥川龍之介の「侏儒の言葉」の一節を思い出しました。 宇宙の大に比べれば、太陽も一点の燐火(りんか)に過ぎない。況(いわん)や我我の地球をやである。しかし遠い宇宙の極、銀河のほとりに起っていることも、実はこの泥団の上に起っていることと変りはない。生死は運動の方則のもとに、絶えず循環しているのである。そう云うことを考えると、天上に散在する無数の星にも多少の同情を禁じ得ない。いや、明滅する星の光は我我と同じ感情を表わしているようにも思われるのである。芥川龍之介です。  続いて、詩人は真理を謳い上げたとかで、次のような正岡子規の和歌を引用しています。 真砂なす 数なき星の その...
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涼しい

今日は馬鹿に涼しいですねぇ。 曇って気温が低く、湿度もあまり高くありません。 半そででは寒いほどです。 今年は震災に伴う原発事故の影響で節電ということが厳しく課されましたが、なんとなく乗り切ってしまいそうです。 もう、ぎらぎらの夏は終わったんでしょうねぇ。 残暑もきつくはなさそうです。 去年の猛暑が嘘のようです。 夏と秋と 行きかふ空の かよひぢは かたへすずしき 風やふくらむ 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌で、古今和歌集に見られるものです。 大意は、夏と秋が空の路を行き交っている、片方からは涼しい風が吹いてくるだろうか?、というほどかと思います。 季節の変わり目、夏と秋がせめぎ合っている感じがよく出ていますね。 夏ごろも たつ夕風の すずしさに ひとへに秋の 心地こそすれ 橘敦隆の歌です。 解説の必要はないでしょう。 秋が近付いた晩夏の夕風を優雅に詠んでいます。 ここでちょっと変わったのを。 わが夏を あこがれのみが 駈け去れり 麦藁帽子 被りて眠る少年の わが夏逝けり あこがれし ゆえに怖れし 海を見ぬまに 上記2首は寺山修二青春歌集に見られる歌です。 少年期をメランコリッ...
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新入生に読ませたい

数年前でしたか、東京大学教員に、学部問わず、新入生に読ませたい本は何か、というアンケートをとったことがありました。 一位をとったのが、ドフトエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」でした。 この結果をどう考えればいいんでしょうね。  俗物の地主と、三人の息子をめぐる物語。 長男は放埓な退役軍人、二男はニヒルな無神論者、三男は純真で真面目な修道僧。 彼らが異性の問題、信仰の問題、社会制度の問題、ついには親殺しの問題にまで手を広げた、小説に詰め込める要素をすべて詰め込んだ総合小説ともいうべき大作です。 骨太な大作ではありますが、私には毒気が強すぎたようで、読後しばし落ち込みました。 作り物めいた虚構の美を歌う幻想文学や浪漫文学に慣れ親しんだ私には、あまりに鋭利な刃だったのです。 東大の先生が学部関係なくこれを読めということは、過酷な、身も蓋もない現実を見据えて、力強く生きよということなのでしょうか。 それはあんまり学生を買い被ってはいませんかねぇ。  いやなものからは目を背けたいのが人の性。 それをことさらに取りだして並べなくたって、生きているだけで分かってきましょう。 私が東大の先生なら、迷う...
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