文学

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パパ・ダイキリ

この前の記事で、今日は愛酒の日だと書きました。 そこで外国の文学者で酒好きというと、中国の李白、米国のバロウズ、ヘミングウェイ、フランスのヴェルレーヌなどが浮かびます。 欧米の文学者は誰でも大抵酒飲みのイメージがありますね。 四六時中飲んでいる李白の詩を一つ。 春日 酔いより起きて志しを言う 世に処(お)ること 大夢の若し 胡為(なんす)れぞ 其の生を労するや 所以に終日酔い 頽然として前楹に臥す 覚めて来たって庭前を眄(なが)むれば 一鳥 花間に鳴く 借問す 此れ何れの時ぞ 春風 流鶯に語る 之に感じて歎息せんと欲す 酒に対して還(ま)た自ら傾く 浩歌して明月を待ち 曲 尽きて已に情を忘る この世は胡蝶の夢の如きもの、人生なにをあくせくと過ごす必要があろうかと、またまた酒に酔いつぶれていた李白が、酔いから醒めてふと庭先をなにげなく眺めやると、花の間で小鳥が一羽さえずっています。 李白が、「いまはいつ頃だろうか」とつぶやいたとき、枝々を飛びまわる鶯の鳴き声が春風にのって聞こえてきました。 李白の耳にはその鳴き声が「春だ、春だ、命に満ちた春の日だ」と聞こえ、彼は、生命の春を大いに満喫しよ...
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愛酒の日

今日、8月24日は私が偏愛する歌人、若山牧水の誕生日だそうで、大の酒好きだった歌人にちなんで、今日を愛酒の日と称しているそうです。 歌人の中でも若山牧水ほど多く酒の歌を詠んだ人も少ないでしょう。 白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしずかに 飲むべかりけり この歌は、おそらく和歌史上、最も優れた酒の歌でしょう。 膳にならぶ 飯しも小鯛も 松たけも 可笑しきものか 酒なしにして 酒がない食事など食事じゃない、と言っているようなもので、酒好きの私には腹に落ちますねぇ。 酒があると肴はより旨くなり、肴が旨いと酒はより旨くなるのですよねぇ。 減量中の私には残酷な歌です。 人の世に たのしみ多し 然れども 酒なしにして なにのたのしみ ここまでくると、なんだか意地汚い感じがしますねぇ。 酒に勝る楽しみは何もないというのですからねぇ。 彼は酒毒にあたって43歳で亡くなりますが、アルコール中毒で苦しんだという話は聞いたことがありません。 多分アル中になる前に肝臓がやられて死んじゃったんでしょうねぇ。 死んでも飲みたいとはまさにこのこと。 酒ほしさ まぎらはすとて 庭に出でつ 庭草をぬくこの 庭草を...
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処暑

今日は処暑ですね。 二十四節気では、暑さがゆるむ頃。 そうはいっても昨日までの涼しさが嘘のように、気温が上がっています。 今日は珍しく、昼休みのひととき、漢詩をひもといてみました。 学生時代、必修の漢文学概論というのが非常に厳しく、返り点なしの白文で読めるようにならないと単位がもらえないということで、かなり勉強したのですが、一年目は単位を落としてしまい、それがトラウマになったのか、その後漢文は敬して遠ざけてきました。「秋夜将に暁けんとし、籬門を出でて涼を迎ふ、感有り」 迢迢たる天漢 西南に落ち 喔喔たる隣鶏 一再鳴く 壮志 病んでより来(このかた) 消えて尽きんと欲す 門を出で首を掻いて 平生を愴(いた)む 原文だと読みにくいので、書き下し文に直しました。私なりに訳してみると、以下のような意かと思います。 はるか遠くの銀河は西南の空に落ちていき コッコッと隣の家の鶏が一声二声と鳴いている。 国を憂う、まだ壮年の私だが、病気をして以来、どうにも気力が出て来ない。 門を出て頭を掻きながら、人生を悲しむより他はない。 南宋(平安後期)頃の代表的な詩人、陸游の漢詩です。 たいそうな国士だったそ...
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鵜飼船

今はもうおばちゃんになっちゃったパフィーちゃん。 激売れしているときは、奥田民生から、「お前らは鵜飼いの鵜だ、飲まずに吐き出せ」と発破をかけられたとか。 鵜とは切ないものですね。 主人から搾取される、資本主義の悪魔を象徴しているような鳥です。 むば玉の 闇のうつつの 鵜飼舟 月のさかりや 夢もみるべき   藤原家隆 「壬二集」(玉吟集ともいう)に所収の和歌です。 闇夜を徹しておこなわれる鵜飼舟。 鵜飼を渡世とする者たちにとっては、闇こそがこの世の現実なのでしょう。 月の明るい晩には、やすらかに寝て夢を見ることもあるのでしょうか。 鵜飼いは春から晩夏にかけて行われ、この季節が終わればいよいよ秋。  そういえば、今日は馬鹿に涼しいですね。 涼しい雨がぱらついています。 職場のエアコンはかかっていませんが、それにすら気付かないほど快適です。 節電だなんだと騒いでいましたが、世は確実に秋に向かっているようです。百首歌の世界 不遇の中の詩心中尾 彰男さんこう社にほんブログ村 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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ひまわり

今日も千葉は暑かったですねぇ。 お盆は過ぎてもまだまだ夏は続きます。 夏といえば、ひまわり。 ひまわりの毒々しい色、びっしり詰まった花弁、一面に咲き誇る姿、どれも私には暑さを倍加させる、気味の悪い特徴に思えます。 だから私は、ソフィア・ローレンの名画「ひまわり」のラストが気に入りません。 なんだか薄気味悪いではないですか。 向日葵の ゆさりともせぬ 重たさよ  北原白秋 暑そうですねぇ。 風も吹かないのですね。 しかしその重たさ、晩夏に違いありません。 重たいひまわりは、秋の訪れを誘うものでもあるようです。 髪に挿せば かくやくと射る 夏の日や 王者の花の こがねひぐるま  与謝野晶子 こちらは盛夏の趣ですね。 日周りとも書いたというこの夏の花。 その花を髪飾りにして、王者の花を誇ったのですね。 歌人自身も若く美しく輝き、王者の花は歌人を神々しく彩ったことでしょう。 夏の終わりはどこかさびしく、王者の花はもうその輝きを失いつつあります。  その寂しさを超えたなら、過ごしやすい秋の到来。 待ち遠しいですねぇ。白秋 青春詩歌集 (講談社文芸文庫)三木 卓講談社新選 与謝野晶子歌集 (講談社...
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細君譲渡

文学者のゴシップといえば、谷崎潤一郎が妻を佐藤春夫に譲った細君譲渡事件が有名ですね。 それが世に発表されたのは、今から81年前の今日、昭和5年8月19日のことでした。 某有名新聞に、谷崎夫妻及び佐藤春夫の3名連名で発表されたから、世間はびっくりぎょうてんです。 我等三人この度合議をもって、千代は潤一郎と離別致し、春夫と結婚致す事と相成り、潤一郎娘鮎子は母と同居致すべく、素より双方交際の儀は従前通りに就き、右ご諒承の上、一層の御厚誼を賜りたく、いずれ相当仲人を立て、ご披露に及ぶべき候えども、取敢えず寸楮を以ってご通知申し上げ候。(抜粋) 谷崎潤一郎は千代と結婚するも、不埒にもすでに夫がいる千代の妹に懸想し、千代との仲は冷え冷えとします。 そこにやはり夫婦仲の悪かった佐藤春夫が割って入り、千代に同情し、やがて恋情を抱きます。 数年間の紆余曲折を経て、佐藤春夫も谷崎潤一郎も離婚、佐藤春夫は元谷崎夫人の千代と結婚。 谷崎潤一郎は晴れて独身を謳歌することになります。 よくあることと言ってしまえばそれまでですが、高名な作家同士のことで、当時のゴシップ紙は飛びついたことでしょう。 例えば、今、平野啓...
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紅旗征戎(こうきせいじゅう)

私はこのブログで、政治や社会的事件のことを書き連ねていますが、藤原定家の「名月記」を読んでいて、つくづく修行が足りぬわい、と実感しました。 「名月記」に、次のような件りがあります。 世上の乱逆追討、耳に満つといえども、これを記さず。紅旗征戎、わが事に非ず。 源平の合戦が始まった頃の言葉です。 藤原定家といえば、「新古今和歌集」を編んだ当時一流の歌人。 京のみやびに生きた人です。 その彼が、世の中の政治的なことは耳に入ってきても、自分には関係がない、というのです。 ただの腐れ公家ではなく、気骨のあった人と見えます。 私も彼に倣って、世の中のことなど知らぬ、と言ってみやびの世界に生きたいものですが、所詮は貧乏サラリーマン。 なかなか高踏的な態度で生きていくことはできないのです。 「新古今和歌集」を文庫で読もうとすると、今まで岩波文庫しかありませんでしたが、これは注や訳がなく、素っ気無いものでしたが、近頃角川ソフィア文庫から出たものは、解説つきで面白いですね。 近頃古典というと角川ソフィア文庫にはまっています。 古典の入門書としてお勧めの文庫です。新古今和歌集〈上〉 (角川ソフィア文庫)久保...
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蝿の王

英国のノーベル賞作家、ウィリアム・ゴールディングの「蝿の王」を映画化したものを昨夜見ました。 飛行機が海に墜落、乗っていた陸軍少年兵学校の生徒たちが、ゴムボートで命からがら南洋の無人島にたどり着きます。 最初は、ルールに則り、規則正しく生活しますが、やがて、規律を守ろうとする一派と、無人島の主として狩りや釣りを楽しみ、好きなように生きていこうとする一派とに分かれ、しかもどんどん好きにやっていこうという派の人数が増えていきます。 彼らは顔に赤と黒のペイントをし、木の槍を持ち、豚をとらえては豚を丸焼きにしながら踊り狂います。 英国紳士たるべき陸軍少年兵学校の生徒にあるまじき行為です。 残りわずかになった規律派ですが、話し合いを持とうとしていさかいを起こし、ついには殺されてしまいます。 四面楚歌となった規律派のリーダーは、ジャングルの中を必死で逃げます。 そしてそれを追う顔にペイントをし、槍をもった軍団。 大人顔負けの紛争を戦っている彼ら、海辺に現れた軍のヘリコプターを見て、急にあどけない子どもに戻ってしまいます。 小説では、規律正しい英国軍人の卵たちが、やがて崩壊し、ついには殺人にまで手を...
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牧水先生

今年の夏は各地で花火大会や祭りが中止になり、なんとなく寂しいですね。 もっとも、人ごみが苦手な私は、花火やお祭りの賑わいは苦痛でしかありませんが。 中止の理由は震災の影響なんでしょうねぇ。 やむを得ざる仕儀というわけです。 野末なる 三島の町の あげ花火 月夜のそらに 散りて消ゆなり 若山牧水が珍しく詠んだ、花火の歌です。  どうということもない歌ですが、なぜか、閑散とした花火会場の景が浮かびます。 もっともそれは、隅田川や江戸川やの、混雑激しい花火会場と比較して、という意味ですが。 北南 あけはなたれし わが離室(はなれ)に ひとり籠れば 木草(きぐさ)見ゆなり こちらは暑さに参って風通しの良い離れでのんびり横になっている風情でしょうか。 今でいえば、休暇をとって冷房を効かせた部屋から一歩も出ずに日を過ごす怠け者の喜びといったところでしょう。  なまけつつ こころ苦しき わが肌の 汗吹きからす 夏の日の風 牧水先生、のんびり夏の日を部屋にこもって酒でも喰らっているのかと思ったら、人並みに罪悪感なんか感じちゃってるんですねぇ。 だらだら過ごすことに罪悪感を感じるのは、わが国の国民性でし...
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懐古

九段の昭和館をはじめとして、青梅の昭和レトロ商品博物館や映画では「ALWAYS 三丁目の夕日」やら「20世紀少年」やら、昭和を懐古する物が溢れるようになったのは、ここ5年ばかりのことでしょうか。 平成の御世も23年目を迎え、長すぎる不景気の中、右肩上がりの経済成長を続けた頃に小中学生だった団塊の世代も定年を迎えて久しく、もはや昭和は懐古の対象でしかないのですね。 しかし、今ノスタルジックに懐古する昭和は、いわば架空の過去。  昭和という時代のイメージを道具に、人々が作り出した美しい嘘。  過ぎ去った時代を美化する感傷に過ぎません。 「徒然草」22段に、 何事も、古き世のみぞ慕はしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ。 とあります。 鎌倉時代を生きた兼好法師も、自らが生きる時代をつまらないと考え、昔の文化風俗を懐古しているのですね。 多分そういう意識は古今東西を問わず、多くの人が持つ感慨なのでしょうね。 あと50年もすれば、平成23年の文化風俗、例えばスマート・フォンだとかRPGだとかが古くて懐かしいものになるんでしょうねぇ。  いつの時代も、只今現在が時代の最先端。 石器時代には...
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まだまだ暑い日が続きますが、昨日は立秋だったのですね。 今日から暑さも残暑。 過ぎる時の早さを嘆くのは私のよくするところではありませんが、そういう気分も理解できなくはありません。 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる  藤原敏行 立秋の頃の気分を詠んだ歌といえば、この歌にとどめを指すでしょう。  古今和歌集に所収の、あまりにも有名な歌です。 秋の気配を風に求めた斬新な歌で、さぞかし良い涼風が吹いたのでしょうね。 和歌の世界で立秋に秋を感じても、日々の生活を送るうえでは、まだまだ暑くて不快です。  それでも、仕事帰りなど、確実に陽が短くなっているのを感じます。 冬がしつこいのに比べ、夏は儚いですねぇ。 もっとも夏がしつこかったら、暑くてやれませんが。新版 古今和歌集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)高田 祐彦角川学芸出版 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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「高野聖」現代語訳?

かっくりげえっちゃいました。 WEB版で、泉鏡花の「高野聖」の現代語訳なるものが大枚300円の値をつけて売っていたのです。 お気は確か? 泉鏡花といったら、明治から昭和初期にかけて活躍した近代作家で、当然現代語で書かれているのですよ。 わが国の近代幻想文学の親分みたいな人で、文体は独特の流麗なもので、それを読むとほとんど生理的快感をすら覚えるような、美しい文章です。 で、WEB版の「高野聖」、購入はしませんでしたが、あらすじがHPに書いてあったので、読んでみると、要するに「高野聖」の抜け殻のようなもの。 この調子で現代語訳をしてあるのだとすれば、本物のビールが飲みたいのにノン・アルコール・ビールを頼んでしまったようなもの。                ↓      「高野聖」現代語訳の販売サイトです。 「高野聖」は高野山の一番下っ端の坊さんが、布教や勧進のため、全国を飛び回っているところ、飛騨の山中で謎の美女が住む家に一晩の宿を乞い、そこから美女の魔性に惑わされる様が、悪夢のような美しさで描き出される、幻想文学の名作です。 少々読みにくいと思っても、我慢して読んでいるうちに、必ず惹き...
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我もむかしの

職場復帰して1年3カ月。 淡々と日々を過ごすのは誠に平穏で、素晴らしい日々です。 しかし欲を持つのが人間。 物足りなくもあります。 こうしてただ生きていけば、平穏ではあるもののつまらなくもあり、先は見えています。 古人のほとんどがそうであるように、私もまた、老いて死に、冷たい石の下で忘れ去られていくのでしょう。 それはまた、私の望むところでもあります。 私がこの世に生きて在ったという痕跡をすべて洗い流して、時の流れとともに忘れ去られたい、という欲求は常に失うことがありません。 その一方、生きて在った印を、この世に永遠に残したい、という大それた欲求をも忘れられないのですから、私と言う者、つくづく因業に生まれついているものと見えます。 たれかまた 花橘に 思ひいでむ 我もむかしの 人となりなば 新古今和歌集に所収の藤原俊成の和歌です。 私もむかしの人になり忘れられれば、たちばなの花が咲いても誰も思いだしてくれないだろう、というほどの意味かと思います。 橘は夏に小さな花を咲かせるので、これは夏を詠んだ歌でもあります。 生命力が溢れ、しみじみとした風情が似合わない夏の歌に仮託して無常感を謳い上...
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TSF

わが国では、「ベルサイユのばら」だの「リボンの騎士」だの「転校生」だの、近いところでは新垣結衣と舘ひろしが入れ替わるドラマ「パパと娘の七日間」など、TSF(transsexual fantasy)と呼ばれる男女が入れ替わったり、女性が男性として活躍するお話がたくさんありますね。 TSFの本格的な物語の最初は、平安後期に成立したと伝えられる「とりかへばや物語」でしょう。 関白左大臣に男女一人づつ、子どもができます。 姫は活発で男らしい性格、若君は内気でおままごとなどを好む女性的な性格。 そんな二人の様子を見て、父関白はとりかへばや、と思いつき、姫を若君として、若君を姫君として育てることにします。 いたずらのようなこの方針、思いのほかうまくいって、若君は男として朝廷に出仕、出世街道をひた走ります。 姫君は姫君で、女として後宮に勤めます。 しかし、姫君は上司の女東宮に懸想してしまいます。 ついに、素性を明し、女東宮と通じてしまいます。 一方若君は、同僚の宰相中将に女であることを見破られたうえ関係を迫られ、彼の子を宿してしまいます。 本当ならこれで若君も姫君も身の破滅ですが、ここで二人は相諮り...
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いつちゆくらむ

私が住む街には、思いがけず雨が降りました。 このところ盛夏とは思えない涼しさで、しのぎやすいですね。 去年の猛暑が嘘のようです。 真夏、思いがけない冷たい雨が降ると、なにがなし、物思いに沈みます。 五月雨に 物思ひをれば 郭公 夜ふかくなきて いつちゆくらむ  紀友則  古今和歌集に見られる夏の歌です。 夏の雨の夜、物思いに沈んでいるとホトトギスが鳴いている、こんな夜中にどこへ行くのだろう、というほどの意かと思います。 おそらく、ホトトギスに自身を重ね合わせているのでしょうね。 真夏の夜のメランコリーといったところでしょうか。  真夏のメランコリーと言えば、 あの夏の 数かぎりなき そしてまた たった一つの 表情をせよ という、34歳の若さで事故死した歌人、小野茂樹の歌を思い起こします。 過ぎていったひと夏の思い出を追慕したものでしょうか。 その夏は彼にとって神聖なものであり、また、残酷にも二度と戻らない、儚い夢でもあるのでしょう。 その夏を持てたことは、若くして逝った彼にとって幸せなことだったでしょうか。 それとも、生に執着する悪因縁となったでしょうか。 今となっては、誰にもわかりま...
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