文学

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ガレージ

私が車を駐車しているのは、マンションのすぐ横に建つ立体駐車場です。 夏、暑くならず、雨が降っても汚れないのは良いですが、車を出すとき2分ほど待たなければなりません。 また、私の前に出そうとしている人がいれば、当然その分待ち時間は長くなり、軽くストレスです。 私はマンションを購入する際、一戸建ての購入は全く検討しませんでした。 防犯上も危ないし、庭なんかあっても手入れする気はないし、メンテナンスも面倒だと思ったからです。 ただ一つ、一戸建てで良いなと思ったのは、ガレージを設置できることです。 できればアメリカ映画に出てくるような、三台も四台も駐車できるような、大きなガレージが欲しいと思いました。 車は一台だけで、自転車やら、発電機やら、芝刈り機やら、チェーンソーやら、雑多なメカニック的なものが置いてあり、少し油のにおいがする町工場のような空間。 私は書斎より、そんなガレージで、読書したり、物思いにふけったりしたいと思ったのです。 じつはそれには、理由があります。 中学生の頃読んだ日野啓三の「天窓のあるガレージ」に影響されたのです。 車がないガレージを自分の空間と定めた少年。 天窓から降り...
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甦れ、ハルキ社長

私はかつて、角川春樹社長に畏敬の念を持っていました。 硬い出版社だった角川書店を、映画とエンターテイメント小説で巨大商業書店へと転換させ、俳人としても飛ぶ鳥落とす勢い。 横溝正史のシリーズ物や、薬師丸裕子・原田知世・渡辺典子ら、いわゆる角川三姉妹を大々的に売り出したり。 そうかと思うとヒトラーの信奉者を公言し、世界最強の人間を自称し、さらにはおのれを芭蕉を越えた俳人と呼んで恥じない図々しさ。 そういう芸術家っぽいぶっ飛んだ所と、映画や本でヒットを飛ばす商人としての能力が共存している点がおもしろいと思うのです。 向日葵や 信長の首 切り落とす  「信長の首」より 黒き蝶 ゴッホの耳を 殺ぎにくる  「カエサルの地」より 流されて たましひ鳥と なり帰る  「流され王」より いずれもかつて私が熱狂した角川春樹社長の句です。 男らしい言い切り系の、力強くも幻想的な句風を特徴とします。  しかし1993年に麻薬取締法違反で逮捕され、数年間の実刑をくらってから、社長にはかつての、おのれ一人を恃むような、力強さが失せてしまったように思います。 出所後も、「男たちの大和」を大ヒットさせたり、新たにハ...
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みじか夜

今日から6月。 すっかり日が長くなり、帰宅時でも明るくて、なんとなく良い気分です。 サマータイム制を導入しようという声が上がるのも、さもありなむと言ったところです。 しかしサマータイム、ある日突然時計を一時間早くするわけですから、体がそれについていかず、体調を崩す人が多いと聞きます。 今までどおりゆるーくやっていけば良いでしょう。 日が長いということは、当然ですが夜が短くなるということ。 短い夜というのは、なかなか風情のあるものです。 夜為事(よしごと)の あとの机に置きて酌ぐ ウヰスキイの杯(こぷ)に 蚊を入るるなかれ 大酒飲みだった若山牧水の歌です。 夜の仕事の後といっても、外はうっすら明るいんでしょうね。 日本酒のイメージが強い牧水ですが、洋酒も嗜んだようです。 何となくユーモアを感じる歌ですね。 みじか夜の いつしか更けて 此処ひとつ あけたる窓に 風の寄るなり これも牧水の歌です。 私は前の歌に続いて読もうと思います。 ウィスキーをしたたか飲んで横になり、深夜に目を覚ますと開けた窓から入ってくる風が心地良い、といったところでしょうか。 ウィスキーで火照った肌には涼風がよけいに...
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梅雨

関東地方は今日梅雨入りだそうですね。 例年に比べてずいぶん早い梅雨入りです。 梅雨というのは多分、季節の豊かなわが国において、最も嫌われている時季でしょうね。 じめじめしているし、外出も億劫だし、春の花や夏のホトトギス、秋の月だのといった、その季節を象徴する名物が冴えないんですよねぇ。 紫陽花と雨ですからねぇ。 近代以降はともかく、古典の部類に入る和歌に、紫陽花や梅雨を読んだ歌が極端に少ないというのも、日本人の梅雨嫌いの表れでしょうか。 もっとも梅雨嫌いは日本人に限ったことではなく、ロシア人の奥さんをもらった友人がいるのですが、その奥さん、梅雨を、絶望的な季節と呼んで帰国し、10月まで戻らないそうです。 数少ない梅雨の歌の中から、比較的有名なものを。 「千五百番歌合」から。 夏もなほ 心はつきぬ あぢさゐの よひらの露に 月もすみけり   藤原俊成  夏であっても心が尽き果てるようなあはれを感じさせるものだ、あじさいの花についた露に澄んだ月の光が宿っているのを見ていたら、といったほどの意でしょうか。 あぢさゐの 下葉にすだく 蛍をば 四ひらの数の 添ふかとぞ見る  藤原定家  日が暮れ...
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葵祭

今日は葵祭ですね。 祇園祭が庶民のお祭りであるのに対して、葵祭は公家や皇族の祭り。 それだけに華やかさもひとしおです。 公家や皇族はこの日を待ちかねたことでしょう。 ちはやぶる かものやしろの 葵草 かざすけふにも なりにけるかな 藤原俊成 祭りの朝を迎えた高揚した気分が伝わってきますね。 牛車のゆるゆるとした歩みがまた風流ですねぇ。この都 にほへる花と さかえけむ 代に逢へるごとき 葵祭かも  木下利玄 大正期に活躍した木下利玄、葵祭を見てかつての都のにぎわいをしのんだのですかねぇ。  本来賀茂神社の斎王は皇族の若い娘から選らばていたそうです。 今は葵祭関係者の中から選ばれ、よって斎王代と呼んでいるそうです。 この祭りのヒロインですね。 この時期は梅雨に近く、大気の状態も不安定。 祭りの最中に大雨に襲われたこともあったようです。 草の雨 祭りの車 過ぎてのち  与謝蕪村 都を終の棲家と定めた蕪村らしい、テルテル坊主のようなかわいらしい句ですね。 なんだか京都に行きたくなりました。 でも京都って、どこも混むんですよねぇ。 外国人観光客も多いし。 ひっそりした京都を味わうには、真冬を待つ...
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団鬼六、逝く

団鬼六が亡くなったそうですね。 享年79歳。 好きなことをして、面白おかしい人生だったのではないでしょうか。 団鬼六といえばSM官能小説「花と蛇」。 日活ロマンポルノの看板でもあり、これを代表作と見る向きが多いようです。 しかし団鬼六のSM小説は、サド侯爵の「悪徳の栄え」のような残酷描写はほとんどなく、どちらかといえば精神性の高い作品に仕上がっています。 もともと純文学志向だったそうですから、それも故なしとしません。 私はSM官能小説よりも、「異形の宴」や「美少年」など、官能のスパイスを効かせた文学作品にこそ、彼の真骨頂があるように思います。 教員をやっていた頃、奥さんを若い男に寝取られ、奥さんから「本当のセックスの喜びをその若い男に教えられた」と言い放たれるヘタレぶりは、だからこそ官能小説の第一人者足りえたのではないでしょうか。 実践する能力が低く、妄想を膨らませる能力に長けていたのでしょうね。 一般に官能小説家として成功する人は、女性経験が少ない人が多いと言われます。 女性経験が豊富だと、セックスなんてこんなもの、という感覚に陥り、願望を含んだ妄想を膨らませることが難しくなるんでし...
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おはなし

このブログをご愛読くださる方にとっては言わずもがなの知れたことですが、私は怖いお話が大好きです。 そして現代ほど、怖い映画や小説が多数作られる時代はなく、真に喜ばしいかぎりです。 古来、文学や芝居では、お話を大きく2つのジャンルに分けていました。 悲劇と喜劇、能と狂言、和歌と狂歌、俳句と川柳。 これらはいずれも、シリアスなものか笑えるものか、によって類型化されています。 しかし笑いを求める人々は気が短くなったのか、あるいはストーリーを追うという面倒な作業が嫌われるためか、喜劇は衰退し、代わって一発ギャグとかスタジオ芸などの、短くてナンセンスなものが幅を利かせるようになったと感じます。 私は今となってはシリアスなものと笑えるものという類型は形骸化したように感じます。 むしろ今作られている作品群を類型化するならば、恋のお話か怖いお話に分けるほうが実状に合っていると思われます。 当然私は恋のお話には退屈し、怖いお話に胸高鳴らせる者です。 しかしさすがに怖いお話もパターンは出尽くした感があり、ただ残酷でショッキングなだけではない、怖くて格調高くて美しい作品にはなかなか出会えないものです。 で、...
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ドナルド・キーン博士、日本帰化

米国の日本文学者、ドナルド・キーン博士が日本に帰化し、永住する、と発表しました。 88歳になって、なぜ?という気もしますが、本人はその気満々で、先般コロンビア大学で最終講義を済ませたとのことです。 能について論じたようです。 博士は、日本の国文学者が狭い専門から出ていかないのに対し、記紀万葉から現代文学まで、幅広く論じることができる碩学です。 日本文学の道を志すきっかけになったのは、古本屋で「源氏物語」の英訳本が、分厚いわりに安かったために購入し、これに感銘を受けてまずは日本語を学ぶところから始めたとか。 戦中は米軍の通訳官として働き、戦後は日本留学をして国文学への造詣を深め、それでも米国人であることを辞めず、コロンビア大学で教鞭をとってきました。 三島由紀夫、安部公房、石川淳らと親交が深く、大江健三郎とは不仲だったと聞きました。 ドナルド・キーン博士がこのタイミングで日本帰化を決意したのは、はっきり言いませんが、震災の影響があるのではないでしょうか。 世界中から放射能に汚染された国と見られている今、あえて高名な自分が日本人になり、情報発信すれば、諸外国の誤解を解き、被災した方々への慰...
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一千一秒物語

昨夜は、魔道を歩んだ偉大な先人、稲垣足穂の「一千一秒物語」を読み返しました。 キイ・ワードは、月・流星・シガレット・ヒコーキ。 わが国の近代文学の中で、その硬質さ、ドライさ、奇妙さは際立っています。 何かに悩む主人公は出てこず、恋愛沙汰も起きず、人も死にません。 坂道でポケットから自分を落としてしまう話など、ファンタスティックな掌編の連続です。 読者はタルホ・ラビリントスに迷い込まざるをえません。 私は久しぶりにその迷宮に迷い込み、楽しみました。  彼は生まれるのが早すぎたんじゃないでしょうか。 大正から昭和初期に世に出た彼は、人間を口から肛門にいたる筒とみなして、独自のエロス論を組み立てました。 それが「A感覚とV感覚」です。 そのエロス論もまた、彼にかかると硬くてドライな、輝く石のような光を放つのです。 こういう人はもう出てこないような気がします。 近代から現代まで、日本文学は長いこと貧乏自慢と若さ自慢、それに羞恥心を忘れたかのような露骨な性描写に明け暮れています。 日本文学本来の伝統を取り戻し、洒脱で軽妙な、しかし奥が深い小説がもっと増えてくれると嬉しいと思っています。一千一秒物...
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せっかくの土曜日の朝、雨が降っていますね。 気温はけっこう高いようですが、雨が降るとどこへも行く気が起きません。 花は散り その色となく ながむれば むなしき空に はるさめぞ降る 「新古今和歌集」に見られる式子内親王の和歌です。 桜の花は散ってしまい、その気色を眺めていると、空から春雨が降ってきて、さらに虚しい気分になってしまいました、というほどの意かと思います。 桜はもうとっくに散った今朝の雨の気分にぴったりです。 今日のような日は、古今の書物をひも解いて、古人を友としてひと時の慰めを得るのが良いようです。 それとも、大好きな怖い映画でも借りてきましょうか。新古今和歌集〈上〉 (角川ソフィア文庫)久保田 淳角川学芸出版新古今和歌集〈下〉 (角川ソフィア文庫)久保田 淳角川学芸出版 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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屋上の狂人

今、精神障害者は、グループホームや心理カウンセラーなどの力を借りて、障害を抱えたまま、社会に適応して自立した生活を送ることが求められています。 古くは座敷牢に一生閉じ込められていたことを思えば、隔世の感があります。 しかし私は、自立することが、そのまま精神障害者にとって幸せなのか、疑問に思うことがあります。 菊池寛の小説に、「屋上の狂人」という作品があります。 むやみと高いところに登りたがり、高いところから空を眺めてさえいれば幸せなのです。 ある時父親が、息子に憑いている者を払ってほしい、と巫女を連れてきます 巫女は狐が憑いていると見抜き、木の枝にぶら下げて煙で燻せば狐が出ていく、と言います。 母親は「そんなむごいことはできない」と言い、弟は「医者が治せないものは世界中の神様を連れてきたって治せない」と言います。 母親は情から、弟は合理的精神から、巫女のやり方を批判します。 さらに弟は、「兄さんがこの病気で苦しんどるのなら、どなな事をしても癒して上げないかんけど、屋根へさえ上げといたら朝から晩まで喜びつづけに喜んどるんやもの」、「兄さんのように毎日喜んで居られる人が日本中に一人でもあり...
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神の子供たち

村上春樹の短編集に、「神の子供たちはみな踊る」という作品集があります。 米国で映画化もされました。 阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件にまつわる物語群です。 ストレートに両事件を扱ったわけではありませんが、これらを契機として作者が感じた圧倒的な暴力に対する予感が、神話的に語られます。 このたびの震災でも、私たちは自然が発する圧倒的な暴力の前に、人があまりにも無力であることを痛感させられました。 しかしおそらく、古来、私たちは災害にあうたびにたくましくなり、いわば災害を喰らって進歩してきたのでしょう。 今回、地震・津波・原発事故の三重苦という未曽有の災厄に襲われたわけですが、時間はかかっても、日本人は見事によみがえるでしょう。 今回学んだことの一つに、弱い内閣では危機に対応できない、ということでした。 それは誠に不幸な学習方法でしたが、起きてしまったことはどうにもなりません。 最近、枝る、という言葉がネット上で流行っているそうです。 枝野官房長官の働きぶりからきた言葉で、①寝る間も惜しんで働く、②無能な上司の下で必要以上に苦労する、の二つの意味があるそうです。 これもまた、危機に接してわか...
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満開

職場近くの公園の桜が、満開になっていました。 春なんですねぇ。 しかし満開の桜はどこかさびしげです。 命のはかなさを知っているからでしょうか。 もろともに あはれと思へ山桜 花よりほかに 知る人もなし 百人一首にも取り上げられた有名な 大僧正行尊の和歌です。 私が山桜をなつかしく思うのと同じように私のことをなつかしくおもってくれ、こんな山奥では花よりほかに知る人もいないのだから、といった意味かと思います。  この歌はさびしさを歌っていますね。  それは桜の本性であるかのごとくです。 では「山家集」所収の西行法師のあまりにも有名な歌。 願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃  この歌ほど日本人に愛され、人口に膾炙されてきた歌も珍しいでしょう。 数寄の極地をあらわしているともいえます。 しかし桜を賛美しているようで、満開の桜の下で死にたいと、桜は滅びゆくものの象徴であることを暗示してもいます。 では、桜が散った後の歌を、「新古今和歌集」から。 式子内親王の歌です。  花は散り その色となくながむれば むなしき空に 春雨ぞ降る  桜の花は散ってしまい、その様子を眺めていると春雨...
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吃音

今日会った業者の若者、ずいぶんひどい吃音でした。 しゃべらんでよろしい、と思うほど。 私はこれまで、小学生のころ一人、大学のころ一人、ひどい吃音者を友人に持ちました。 鶏が先か卵が先か、二人とも女性が極端に苦手でした。 小島信夫に「吃音学院」という短編があります。 吃音矯正施設での、恋あり、犯罪ありのドタバタ・コメディーですが、小島信夫自身が吃音だったということもあり、障害を負った者の悲しみが底流に流れていたように思います。 吃音矯正施設では、女性が苦手な主人公が同じ吃音者の女性と付き合うことで、吃音をも女性恐怖をも克服しようとします。 彼には吃音ながらプレイボーイのライバルがいます。 言葉が出ない分手が早いんだそうです。 この三角関係を軸に、盲滅法電話をかけて喋ったり街頭で怒鳴ったりの吃音矯正、それに吃音矯正所の指導者の裏の顔などがちらついて、ドライな感じがよく出ています。 私は高校三年生の時は選択科目の関係で女子生徒40人に対し男子生徒5人のクラスだったり、大学も文学部のためか女性が多く、採用された職場も女性が多いため、女性恐怖というのは理解できません。 男だ女だと意識する前に、同...
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桜にあけて

例年より一週間ほど遅かったでしょうか。 桜が咲き始めました。 記録的な猛暑、そして平凡な冬、そして1,000年ぶりという東北の震災と津波。 それら自然の猛威を受けながらも、今年も桜は咲きました。 花は桜木、人は武士。 桜は日本人の自然受容の象徴的存在です。 寒い日が続いても、我慢していればやがて花は咲く、そういった忍耐をもって、私たち日本人は自然に順応することを選び、自然を克服しようとは思わなかったのですね。 桜の季節は一年で最も華やかで浮かれ騒ぐころ合い。 新入生歓迎コンパで毎年死人が出るほどの狂騒ぶりです。 春の夜は 桜にあけて しまひけり 俳聖、松尾芭蕉もこの時期は桜に明け暮れたようです。 私も今週末は花見に繰り出したいものです。芭蕉全句集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)雲英 末雄,佐藤 勝明角川学芸出版 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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