文学

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七夕

今日は七夕ですね。 織姫と彦星が一年に一度のデートを楽しむ日。 でも年によっては、けんか別れすることもあるんでしょうか。 そしたらまた一年会えずじまい。 けんかは避けたいところですね。  七夕といえば幼稚園なんぞで願い事を書いて笹にぶら下げました。 私はひねくれたガキだったので、願いがかないますように、と書きました。 そうすれば何でもかなうはずだと思ったのです。 ささがにの 蜘手にかけて 引く糸や  けふ七夕に かささぎの橋 西行法師の歌です。 蜘蛛を手にしていると糸を引いている、今日の七夕に橋をかけるというカササギの翼へまでも、といったほどの意かと思います。 幻想的で雄大な歌ですね。 与謝蕪村のユーモラスな句も味があります。 ところてん 逆しまに銀河 三千尺 ところてんを食うのは銀河を逆さまにすすっているようだ、という意でしょうか。 銀河は七夕頃の季語とされているようです。 同じ与謝蕪村の句で、もう少し切ない句を。 恋さまざま 願いの糸も 白きより テレビドラマやバラエティーを観れば、何かと言うと恋の話。 お若い方が色恋沙汰に興味があるのは当然ですが、様々の御苦労を重ねたであろう紳士...
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私は幼い頃から、動物よりも植物よりも無機質な鉱物に魅かれてきました。 そこには絶対の清潔さと、絶対の平安、死にも似た静かな暮らしがあるからです。 それに対して動物も植物も、捕食と光合成の違いはあるにせよ、何かを吸収して、老廃物を吐き出すという行為が必要であり、それはグロテスクな行為でもあり、不潔です。 ドイツ・ロマン派の作家にE.T.Aホフマンと言う人がいて、高校生の頃私はこの人の作品に熱狂しました。 代表作に、「砂男」という不気味な作品があります。 一方、わが国では、安部公房が「砂の女」という有名な作品を残しています。 こちらは実験的な小説で、問題意識がわりとはっきりした小説です。 「砂男」は眠らないでいると砂男が来て目玉をえぐる、という童話を信じた主人公が、大人になってもその恐怖から逃れられず、ついには破滅してしまう話で、目玉をえぐるというモチーフが繰り返し現れます。 私も幼い頃、幽霊や妖怪の存在を固く信じていたので、この小説の恐怖と狂気は、なつかしい世界です。 「砂の女」はどういうわけか砂の下の家に閉じ込められた男が、毎日毎日砂のかき出しをしながらその家の女と暮らす話で、いわゆる...
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昨日はずいぶん水の事故があったようですねぇ。 楽しい川遊びや海水浴が、一転、地獄絵図に変わってしまいます。 怖ろしいですねぇ。 私が幼い頃を過ごしたのは、江戸川のすぐ近くの町でした。 ちょうど「男はつらいよ」シリーズで寅さんが立ち寄る葛飾柴又の辺りから、江戸川沿いに車で南に20分ほど下った、江戸川区篠崎という辺りです。 江戸川は大河ですので、子どもだけで江戸川の河川敷に行くことは厳禁でした。 子どもたちもあまりの川の大きさに、そこで水遊びをしようなどとは考えもしませんでした。 水遊びはプールで、というのが常識でしたねぇ。 しかし安全なはずの学校のプールでさえ、時折溺死する子がいますね。 先生たちもプールは不安の種でしょう。 そうは言っても、子どもたちは夏の水辺を精いっぱい楽しんでいます。 石がけに 子ども七人 こしかけて ふぐを釣りおり 夕焼け小焼け 北原白秋の歌です。 ふぐっていうのが本当かよと突っ込みたくなりますが、そういう地方なんでしょうね。 のどかに釣りを楽しむ少年たちの姿がほのぼのと浮かびます。 草わかば 色鉛筆の赤き粉の ちるがいとしく 寝て削るなり 同じく北原白秋の歌です...
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芙美子忌

今日は林芙美子の命日だそうですね。 林芙美子といえば、戦前の流行作家にして、森光子主演の舞台で有名な「放浪記」の作者。 流行作家らしく多作で、どんな注文にも応え、作家としての地位に執着し、有望な新人の目を摘むようなことまでしておのれの作家生命を長らえようとしたことが、川端康成らによって伝えられています。 べつに田舎生まれの田舎育ちを差別する気はありませんが、田舎者じみたあまりのバイタリティというか生命力には、正直げんなりします。 都会人的なはじらいというのは、田舎に生まれ育っても身に着く人はいるし、逆に都会で成長しても、厭らしいほどパワフルな人というのもいます。 田舎っぽいか都会的かというのは便宜的な言葉で、実際の生まれ育ちを表すものではありません。 その前提の上で、私は林芙美子と言う人は、田舎者作家の女王だと思っています。 なんでも突き詰めるのは大変なことで、この人の前にも後にも、私をこれほどいらつかせる小説家は珍しいように思います。 そういう意味では真に偉大な作家なのでしょう。放浪記 (新潮文庫)林 芙美子新潮社浮雲 (新潮文庫)林 芙美子新潮社 ↓の評価ボタンを押してランキングを...
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永久未完

宮沢賢治の童話は、子どもの頃誰でも一度は読んだことがあるのではないでしょうか。 私はあまり好みませんでしたが。 宮沢賢治は発表した後の作品でも、何度もしつこく加筆訂正を加え、後に全集を編む時、担当者は非常に苦労したそうです。 そのことから、彼は物語に終わりはない、という特異な見方をしていたのではないかと言われています。 発表された物語もすべて未完で、どういう変容を遂げるか誰にもわからないというのは、なんとも思わせぶりで、読者は困っちゃいますね。 よくひどい出来事が有った時、米国映画などで「それでも人生は続く」と諭されるシーンがありますね。 自分が死なないかぎり、両手両足を切断して達磨さんみたいになっても、人生は続くんですよねぇ。 寺島しのぶの「キャタピラー」なんて、まさしくそれでした。 しかし発表した物語というのは、言わば作者にとってはもう死んだものなのですよねぇ。 完成、といって出版社に送ったのなら、それはもう公のもの、作者が勝手にいじってよいはずがありません。 砂浜に自分が作った砂粒を落とす、というのが、物語を作るときの実感ですかねぇ。 多分宮沢賢治は、あまたの砂粒にまぎれ、どれが...
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五月雨

今朝は小雨が降ってじめじめしていましたが、晴れてきました。 昨日ほど暑くもなく、まずまずの一日だったのではないでしょうか。 五月雨の 雲まの月の はれゆくを しばし待ちける 時鳥かな 「新古今和歌集」所収の二条院讃岐の歌です。 五月雨というと五月の雨を思い浮かべるかもしれませんが、旧暦は現在の暦と一ヶ月半くらいずれていますので、これはちょうど梅雨どきの雨を指す言葉です。 梅雨どきの雨がやんで晴れてきて、月が出るのをホトトギスが待っている、というほどの意でしょうか。 五月雨に 花橘の かをる夜は 月すむ秋も さもあらばあれ 「千載和歌集」に見られる崇徳院の歌です。 梅雨どきの雨が降る中、橘の花が香る夜。こんな夜には、月が曇りなく輝く秋さえどうでもよいと思える、といったほどの意と思われます。 梅雨というとじめじめして不快だ、というのが現代人の常識であり、冷房の効いた部屋で快適にのんびり過ごしたい、というのが大方の意見でしょう。 しかし空調が普及したのはここ数十年ばかりのこと。 圧倒的に長い間、日本人は風鈴の音に涼を求めたり、襖や障子をすだれに代えたりして、過酷な夏を乗り切ってきました。 そ...
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夏至

今日は夏至ですね。 一年中で一番日が長い日。 明日からはもう、少しずつ夜が長くなっていくと思うと、夏とははかないものだと感じます。 そうは言っても、本当に暑いのはこれから。 今日首都圏は最高気温が30度を超えるとか。 節電の今夏、まだ冷房は入りません。 昨年の猛暑を思うと、これからが思いやられます。 夏の楽しみといえば、ビアガーデンでしょうか。 終業後でも薄明るいなかで飲む酒は、背徳の香りがしてまた格別です。 しかしビールは腹が張るのであまり好まない私は、蒸し暑いビルの屋上で不潔でまずいつまみを肴にビールを飲むよりは、冷房の効いた室内で焼酎のロックや冷酒をやるほうを好みます。 かんがへて 飲みはじめたる一合の 二合の酒の 夏のゆふぐれ  私が敬愛する歌人、若山牧水の歌です。 夏の夕暮れ、まだ明るいうちから飲んでもいいものか、と考えながら飲み始める、という酒好きの若山牧水らしい歌です。 彼は朝と昼に2合づつ、夜に6合で毎日一升の酒をくらい、友人がくればもっと飲んだといいますから、尋常ではありません。 43歳で亡くなった原因は、酒毒であったに違いありません。 今、彼の亡くなった年齢に近づい...
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追わないで

男というものは一般的に言って追う性で、追われることが嫌いな傾向があるようです。 少なくとも私はそうです。 追われてる、とかしつこい、とか感じたら、100年の恋も覚めるというものです。  もっとも近頃草食性と称されている男性陣は、積極的な女性を待っているらしいですが。  高橋幸宏の曲に、 愛されすぎると、逃げたくて、 というフレーズがあり、わが意を得たりと思いました。 永井荷風の「墨東綺譚」では、主人公の小説家が、玉ノ井の私娼と馴染みになって、私娼からおかみさんにしてくれ、と頼まれると、もう通うのを止めてしまうというストーリーになっていました。 永井荷風は独身を貫きましたが、きっと女性関係は色々あったのだろうな、と思わせる私小説風の作品です。 小説ではあまりしつこく描かれていませんが、津川雅彦が主人公を演じた映画「墨東綺譚」では、彼を思い、何年もきっと迎えにきてくれるはずだ、と私娼窟でその人を待ち続ける女の執念を、墨田ユキというAV出身の女優が演じていて哀れと恐怖を誘いました。 津川雅彦と墨田ユキの濃厚な濡れ場もあって、文芸作品のような、ポルノのような映画に仕上がっています。 私はさして...
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ガレージ

私が車を駐車しているのは、マンションのすぐ横に建つ立体駐車場です。 夏、暑くならず、雨が降っても汚れないのは良いですが、車を出すとき2分ほど待たなければなりません。 また、私の前に出そうとしている人がいれば、当然その分待ち時間は長くなり、軽くストレスです。 私はマンションを購入する際、一戸建ての購入は全く検討しませんでした。 防犯上も危ないし、庭なんかあっても手入れする気はないし、メンテナンスも面倒だと思ったからです。 ただ一つ、一戸建てで良いなと思ったのは、ガレージを設置できることです。 できればアメリカ映画に出てくるような、三台も四台も駐車できるような、大きなガレージが欲しいと思いました。 車は一台だけで、自転車やら、発電機やら、芝刈り機やら、チェーンソーやら、雑多なメカニック的なものが置いてあり、少し油のにおいがする町工場のような空間。 私は書斎より、そんなガレージで、読書したり、物思いにふけったりしたいと思ったのです。 じつはそれには、理由があります。 中学生の頃読んだ日野啓三の「天窓のあるガレージ」に影響されたのです。 車がないガレージを自分の空間と定めた少年。 天窓から降り...
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甦れ、ハルキ社長

私はかつて、角川春樹社長に畏敬の念を持っていました。 硬い出版社だった角川書店を、映画とエンターテイメント小説で巨大商業書店へと転換させ、俳人としても飛ぶ鳥落とす勢い。 横溝正史のシリーズ物や、薬師丸裕子・原田知世・渡辺典子ら、いわゆる角川三姉妹を大々的に売り出したり。 そうかと思うとヒトラーの信奉者を公言し、世界最強の人間を自称し、さらにはおのれを芭蕉を越えた俳人と呼んで恥じない図々しさ。 そういう芸術家っぽいぶっ飛んだ所と、映画や本でヒットを飛ばす商人としての能力が共存している点がおもしろいと思うのです。 向日葵や 信長の首 切り落とす  「信長の首」より 黒き蝶 ゴッホの耳を 殺ぎにくる  「カエサルの地」より 流されて たましひ鳥と なり帰る  「流され王」より いずれもかつて私が熱狂した角川春樹社長の句です。 男らしい言い切り系の、力強くも幻想的な句風を特徴とします。  しかし1993年に麻薬取締法違反で逮捕され、数年間の実刑をくらってから、社長にはかつての、おのれ一人を恃むような、力強さが失せてしまったように思います。 出所後も、「男たちの大和」を大ヒットさせたり、新たにハ...
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みじか夜

今日から6月。 すっかり日が長くなり、帰宅時でも明るくて、なんとなく良い気分です。 サマータイム制を導入しようという声が上がるのも、さもありなむと言ったところです。 しかしサマータイム、ある日突然時計を一時間早くするわけですから、体がそれについていかず、体調を崩す人が多いと聞きます。 今までどおりゆるーくやっていけば良いでしょう。 日が長いということは、当然ですが夜が短くなるということ。 短い夜というのは、なかなか風情のあるものです。 夜為事(よしごと)の あとの机に置きて酌ぐ ウヰスキイの杯(こぷ)に 蚊を入るるなかれ 大酒飲みだった若山牧水の歌です。 夜の仕事の後といっても、外はうっすら明るいんでしょうね。 日本酒のイメージが強い牧水ですが、洋酒も嗜んだようです。 何となくユーモアを感じる歌ですね。 みじか夜の いつしか更けて 此処ひとつ あけたる窓に 風の寄るなり これも牧水の歌です。 私は前の歌に続いて読もうと思います。 ウィスキーをしたたか飲んで横になり、深夜に目を覚ますと開けた窓から入ってくる風が心地良い、といったところでしょうか。 ウィスキーで火照った肌には涼風がよけいに...
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梅雨

関東地方は今日梅雨入りだそうですね。 例年に比べてずいぶん早い梅雨入りです。 梅雨というのは多分、季節の豊かなわが国において、最も嫌われている時季でしょうね。 じめじめしているし、外出も億劫だし、春の花や夏のホトトギス、秋の月だのといった、その季節を象徴する名物が冴えないんですよねぇ。 紫陽花と雨ですからねぇ。 近代以降はともかく、古典の部類に入る和歌に、紫陽花や梅雨を読んだ歌が極端に少ないというのも、日本人の梅雨嫌いの表れでしょうか。 もっとも梅雨嫌いは日本人に限ったことではなく、ロシア人の奥さんをもらった友人がいるのですが、その奥さん、梅雨を、絶望的な季節と呼んで帰国し、10月まで戻らないそうです。 数少ない梅雨の歌の中から、比較的有名なものを。 「千五百番歌合」から。 夏もなほ 心はつきぬ あぢさゐの よひらの露に 月もすみけり   藤原俊成  夏であっても心が尽き果てるようなあはれを感じさせるものだ、あじさいの花についた露に澄んだ月の光が宿っているのを見ていたら、といったほどの意でしょうか。 あぢさゐの 下葉にすだく 蛍をば 四ひらの数の 添ふかとぞ見る  藤原定家  日が暮れ...
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葵祭

今日は葵祭ですね。 祇園祭が庶民のお祭りであるのに対して、葵祭は公家や皇族の祭り。 それだけに華やかさもひとしおです。 公家や皇族はこの日を待ちかねたことでしょう。 ちはやぶる かものやしろの 葵草 かざすけふにも なりにけるかな 藤原俊成 祭りの朝を迎えた高揚した気分が伝わってきますね。 牛車のゆるゆるとした歩みがまた風流ですねぇ。この都 にほへる花と さかえけむ 代に逢へるごとき 葵祭かも  木下利玄 大正期に活躍した木下利玄、葵祭を見てかつての都のにぎわいをしのんだのですかねぇ。  本来賀茂神社の斎王は皇族の若い娘から選らばていたそうです。 今は葵祭関係者の中から選ばれ、よって斎王代と呼んでいるそうです。 この祭りのヒロインですね。 この時期は梅雨に近く、大気の状態も不安定。 祭りの最中に大雨に襲われたこともあったようです。 草の雨 祭りの車 過ぎてのち  与謝蕪村 都を終の棲家と定めた蕪村らしい、テルテル坊主のようなかわいらしい句ですね。 なんだか京都に行きたくなりました。 でも京都って、どこも混むんですよねぇ。 外国人観光客も多いし。 ひっそりした京都を味わうには、真冬を待つ...
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団鬼六、逝く

団鬼六が亡くなったそうですね。 享年79歳。 好きなことをして、面白おかしい人生だったのではないでしょうか。 団鬼六といえばSM官能小説「花と蛇」。 日活ロマンポルノの看板でもあり、これを代表作と見る向きが多いようです。 しかし団鬼六のSM小説は、サド侯爵の「悪徳の栄え」のような残酷描写はほとんどなく、どちらかといえば精神性の高い作品に仕上がっています。 もともと純文学志向だったそうですから、それも故なしとしません。 私はSM官能小説よりも、「異形の宴」や「美少年」など、官能のスパイスを効かせた文学作品にこそ、彼の真骨頂があるように思います。 教員をやっていた頃、奥さんを若い男に寝取られ、奥さんから「本当のセックスの喜びをその若い男に教えられた」と言い放たれるヘタレぶりは、だからこそ官能小説の第一人者足りえたのではないでしょうか。 実践する能力が低く、妄想を膨らませる能力に長けていたのでしょうね。 一般に官能小説家として成功する人は、女性経験が少ない人が多いと言われます。 女性経験が豊富だと、セックスなんてこんなもの、という感覚に陥り、願望を含んだ妄想を膨らませることが難しくなるんでし...
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おはなし

このブログをご愛読くださる方にとっては言わずもがなの知れたことですが、私は怖いお話が大好きです。 そして現代ほど、怖い映画や小説が多数作られる時代はなく、真に喜ばしいかぎりです。 古来、文学や芝居では、お話を大きく2つのジャンルに分けていました。 悲劇と喜劇、能と狂言、和歌と狂歌、俳句と川柳。 これらはいずれも、シリアスなものか笑えるものか、によって類型化されています。 しかし笑いを求める人々は気が短くなったのか、あるいはストーリーを追うという面倒な作業が嫌われるためか、喜劇は衰退し、代わって一発ギャグとかスタジオ芸などの、短くてナンセンスなものが幅を利かせるようになったと感じます。 私は今となってはシリアスなものと笑えるものという類型は形骸化したように感じます。 むしろ今作られている作品群を類型化するならば、恋のお話か怖いお話に分けるほうが実状に合っていると思われます。 当然私は恋のお話には退屈し、怖いお話に胸高鳴らせる者です。 しかしさすがに怖いお話もパターンは出尽くした感があり、ただ残酷でショッキングなだけではない、怖くて格調高くて美しい作品にはなかなか出会えないものです。 で、...
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