文学

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殉教

先日、阿川弘之がエッセイやインタヴューなども含め、すべての作家活動から引退する旨が報じられました。 太平洋戦争中に青年将校として青春時代を送った彼は、多くの戦争を題材とした小説を執筆しましたね。 齢90、第三の新人と言われた同世代の作家たちも多くは逝き、潮時といったところでしょう。 今では娘の阿川佐和子のほうが一般に知られているかも知れません。 娘といってももう50代後半ですが。 独身の娘のことが唯一心配だ、と言っていましたが、結婚していたって、子どもに恵まれず、相手に先立たれれば生涯独身を貫いた者と同じこと。 一人に慣れていないためかえって喪失感に責められるかもしれません。 第三の新人のなかでは、私は安岡章太郎の小説を最も愛読してきました。 怠け者な感じが良いのです。 しかし、その世代の最高傑作は何かと問われれば、遠藤周作の「沈黙」を挙げるでしょう。 日本に宣教に行ったポルトガル人司祭が棄教したとの報告を受けて、ことの真偽を確かめに来た弟子の司祭の顛末を描いた小説で、キリスト教を題材にしたわが国の文学のなかでは、他の追随を許さない名作です。 拷問に耐えかねて棄教した日本人信者が、自分...
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春の雪

先般、南関東の平野部にもうっすらと雪が積もりました。 雪国と違って、南関東の雪は春の前触れでもあります。 幸い私は通勤の足に不便はありませんでした。 春たてば 花とやみらむ 白雪の かゝれる枝に うぐひすのなく 「古今和歌集」にみられる素性法師の歌です。  春めいてきて、白雪がかかる枝を、花が咲いていると思い込んで鶯が鳴いているというのでしょう。 早春らしい、まだ冷たい空気に、太陽の光が暖かく降り注ぐさまが思い浮かびます。 もう梅が咲き始めているとか。 これからもの思わしい春の到来ですね。 春は春愁、秋は愁思といいます。 春や秋のような、人にとって最も過ごしやすい季節にもの思いに沈んだり、悲しいような焦るような気持ちになるとは不思議なことです。 私は秋はそうでもありませんが、春はなんとなく気鬱に襲われます。 長いこと会計事務をやってきて、春は殺人的な忙しさで、桜を見ると条件反射のように気分が沈みます。 それでも最近数年は、会計事務から離れて、人並みに花見を楽しむ余裕ができました。 今は体調もよく、精神病薬を服薬していることを除けば、まるっきり普通に過ごしています。 人生山あり谷あり。 ...
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村上春樹のふるさと

かつて近代日本文学者は、ふるさとを詠いました。  室生犀星の、 ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたうもの(後略) しかり。 石川啄木の、 ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆくしかり。 田舎から東京に出てきた文学者というものは、良くも悪くもふるさとへの思い入れがたっぷりです。 しかし、マス・メディアの発達によるものか、現代文学者はあまりふるさとを意識しないようです。 その最たる例が村上春樹でしょう。 彼は京都で生まれ西宮で育ち神戸で高校時代をおくった生粋の関西人です。 しかし彼の作品からはその匂いがしません。 そもそも一連の小説群は日本ですらなく、無国籍なものに感じます。 両親が国語教師で、始終日本文学の話をするのに嫌気がさして西洋文学にのめり込んでいたとは言いますが、言葉というものは本来民族や土地に根差したものでしかありえず、バタ臭いのを売りにするのは嫌味ですらあります。 村上春樹のふるさとは、どことも知れぬ無機質な人工世界なのではないでしょうか。 村上春樹という人にまつわる存在の希薄さは、以前このブログでも書きました。 それが海外から高い評価を受け...
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今年は異常な大雪だそうですね。 南関東に住まいしていると、全然実感がわきません。 ほとんど毎日乾燥した晴れですから。 テレビで雪国の様子を見ると、背より高く積った雪を毎日毎日雪かきしています。 さぞかし骨の折れることでしょう。 私は東京東部で生まれ育ちましたので、雪は一年に一度か二度ふる程度で、積雪も10センチを超えることはまずなく、一種のお祭りのような心地がしました。 町が白く化粧した姿というのは、幻想的で美しいものです。 でも翌日には、もう雪は人や車の往来で醜く黒ずんでしまいます。 その儚さが、南関東の人間にはまるで桜のように愛おしく感じるのです。 この国に 雪も降らねばわがこころ 乾きにかわき 春に入るなり  若山牧水 若山牧水は宮崎県の生まれだったと記憶していますから、やはり雪は珍しく、心浮き立つものであったようです。 一方、雪には雪女とか雪男とか、怖ろしい伝承がありますね。 雪が障子をなでる音が、雪女が手で障子を叩いているようにかんじたのでは、と某民俗学者が言っていました。 雪男はなんだか怪物じみていて、物理的な恐怖しか感じませんが、雪女には、ぞっとするような心理的な恐怖があ...
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演歌

日本の歌謡史に演歌なるジャンルが確立したのはいつ頃なんでしょうね。  私が子どもの頃には、すでに森進一や五木ひろしや矢代亜紀や都はるみといった人々が人気を博していました。 その他に、ムード歌謡というジャンルも人気がありましたね。 子どもの私にはその良さが分かりませんでした。 ついでに言うと、中年になった今もわかりません。 あまりにも情が強くて、すんなり耳に入ってこないのです。   明治初期の自由民権運動家が演説をする際にわかりやすく歌にして謡った、演説歌が最初だったと聞いたことがあります。 「オッペケペー節」がその代表格だとか。 その後政治風刺をからめながら庶民の哀歓を歌う演歌師なるものが現れ、さらにレコードの登場によって爆発的に演歌が広まっていったものと思われます。 演歌を指して日本の心だという言説を耳にすることがあります。  私はこれには非常な違和感を覚えます。 なぜなら演歌の歌詞というのが、花鳥風月をからめて恋や心情を遠回しに詠う、和歌や連歌などの伝統的な日本の歌謡とあまりにも異なっているからです。 むしろ民謡や童謡に日本の心を感じます。  演歌はむしろ、歌詞がストレートであるこ...
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高等遊民

最近、非正規雇用者の増大やニートが社会問題になっています。 明治末期から昭和初期にかけても、似たような問題がありました。 高等遊民の問題です。 高い教育を受けながら、就職せずにふらふら遊んでいるインテリです。 高等遊民というと、真っ先に思い浮かぶのは夏目漱石の「それから」に出てくる主人公でしょう。 高等教育を受けながら職に就かず、親からの仕送りで家に書生まで置いて読書や観劇にひたり、友人の奥さんと不倫する、どうしようもないやつです。 松田優作と藤谷美和子主演で映画化もされました。 ささやくようなセリフまわしの、静かな良い映画でした。 時の政府は高等遊民が共産主義や無政府主義などの反国家的な思想傾向を持ちやすいことから、これらを根絶やしにしようとしました。 つまり、職に就かせようというわけです。 しかし、高等遊民には武士は食わねど高楊枝的な態度の者が多く、求人があっても大学出の自分には不釣り合い、として断ってしまうことが多々あったと言います。 これなど、現在見られる大企業志向とだぶりますね。 高等遊民と言っても「それから」の主人公のように裕福な者ばかりではなく、生活のために日雇いの仕事を...
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屍鬼

最近インフルエンザが猛威をふるっているそうですね。 私は五年前インフルエンザにかかり、大変な思いをしたことから、その後毎年11月に予防接種を受けるようにしており、今のところ健康です。 インフルエンザに限らず、高熱が出ると、意識がおかしくなって、幻覚を見たり幻聴を聞いたり悪夢にうなされたりしますね。 私は繰り返し、吸血鬼の幻覚に悩まされました。 吸血鬼といっても、ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」のような、吸血鬼でござい、という格好をしているわけではありません。 見た目は全く普通のおっさんやおばさん、にいちゃん、ねえちゃんが、病気の私を心配するようにベッドに近づいてきて、いきなりガブッとくるわけです。 敵だと思いもしなかった相手に攻撃されることほど怖ろしいことはありません。 インフルエンザから回復して、シンクロニシティ(必然性のある偶然、共時性ともいう)を感じる出来事がありました。 読もうと思って買っておいた長いホラー小説を回復してから読んだら、まるで私が見た幻覚とそっくりなのです。 その小説は、「屍鬼」と言います。 ある小さな村に洋館が建ち、ある一家が引っ越してきたことから、事件は発生...
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陽射し

今日は昨日とはうってかわって冷たい北風が吹いています。 惰弱な私は北風を嫌って、家に閉じこもっています。 そうは言っても、朝夕に日が伸びているのを感じ、冷たい空気のなかにも陽射しが強くなってきているのを実感します。 古来、わが国では花を待つ歌が詠まれてきました。 春を待ち焦がれる気持ちは、暖房が行き届かない時代には現代よりもつよかったことでしょう。 まして日本家屋は夏を快適に過ごせるように考えられてできています。 冬は隙間風が吹いてさぞ寒かったことでしょう。 私の実家は木造二階建ての古い家。 コンクリートで固めた現在住まうマンションに引っ越して、冬の暖かいのに驚きました。  朝夕に 花待つころは思ひ寝の 夢のうちにぞ 咲きはじめける     千載和歌集に見られる崇徳院の歌です。 花が咲くのを待つ思いが強くて、夢のなかで花が咲き始めた、という切ない思いを優美に詠んだものです。 今の私が花を待つ気持ちと、平安の昔に崇徳院が待った気持ちとでは、違いがあるように思うかもしれませんが、そうではないと思っています。 わがくにびとが花を待つ気持ちは、昔も今も変わらぬ、祈りのようなものです。 過去から...
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大寒

今日は大寒ですね。 その名のとおり、ここ数日、南関東でも底冷えの日が続いています。 幸い雪は降らず、連日晴天ですが、晴天ゆえの放射冷却と空気の乾燥に悩まされています。  冬を詠んだ句はたくさんありますが、わりと知られている句を数句。 大寒の  薔薇に異端の  香気あり  飯田龍太 本来初夏に咲くはずの薔薇が、おそらく温室栽培なのでしょう、大寒に咲いている。季節はずれにさく薔薇の美しさに異端をみたということでしょう。 大寒・薔薇・異端・香気と、二文字の漢語表現が俳句らしからぬ幻想美を生んでいるように思います。 大寒や 北斗七星 まさかさま 村上鬼城 何の用事があったのか、大寒の夜に外出したのでしょう。 寒空を見上げたら、北斗七星がさかさまに見える、不思議なことだ、ということでしょうか。 最後の、まさかさまがユーモラスですね。 冬日今  瞼にありて  重たけれ  高浜虚子 寒さの中にも冬の日があたって、しかも瞼にあたって眠くなる、そんな幸せな冬の日向ぼっこでしょうか。 私は毎日17時15分の定時で帰宅しています。 ここ数日、その時間に職場を出ると、西の空がうっすら明るく見えます。 冬至から...
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不条理

生後わずか12日の長男を、41歳の母親が風呂で溺死させたという痛ましい事件が起こりました。 育児に悩み、将来を悲観して無理心中を図った、とか。 しかし乳幼児ではない大人は、どんなに意思が強くても風呂場で入水自殺できるものではありますまい。 息苦しければ顔を上げてしまうでしょう。 夫が風呂場にいる妻と息子の遺体を見て、消防と警察に連絡したとか。 わずか生後12日で育児ノイローゼのために赤ちゃんを殺害するとはにわかには信じがたい事実ですが、事実は小説より奇なり、世の中なんでもおこるのですねぇ。 そういえば夫婦で酔っぱらって銃を使った、ウィリアム・テルごっこ、をやっていたところ、誤って夫が妻を射殺してしまった、という笑えない事件が昔米国で起こりました。 しかも犯人が、ニュー・ウェーブSFの旗手にしてビート・ジェネレーションの代表、ウィリアム・S・バロウズであったことから、センセーションを巻き起こしました。 バロウズといえば、ヤク中でアル中でゲイ寄りのバイセクシャル。  代表作「裸のランチ」など、良く言えば実験的、悪く言えば意味不明。  クローネンバーグ監督が「裸のランチ」を映画化した時、あま...
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希薄

2009年、村上春樹がエルサレム賞を受賞したとき、私は初めて、しゃべって動く村上春樹を目撃しました。 村上春樹という人はそもそも存在しないんじゃないか、という漠然とした予感のようなものを感じていた私は、生身のさえない中年男をテレビで見て、失望を感じたものです。 デヴュー作「風の歌を聴け」は大学生のわずか19日間を描いた小説ですが、そこにはドラマがありながらストーリーが希薄で、架空の米人作家、ハートフィールドなる人物に仮託して作家の思いを語ったり、なんだか現実感がないのです。 そこが魅力なのですが、この希薄さはなんだろうと、何度も読み返したことを思い出します。 続く「1973年のピンボール」・「羊をめぐる冒険」・「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」と、確かな物語がありながら、何か希薄なのです。 そのような印象から、村上春樹という作家は存在しない、もしくは表に出てこない、と勝手に決め付けていて、エルサレムでイスラエルを批判する政治的なスピーチをする丸顔の中年を見て、腰が抜けるほど驚いた、という次第です。 三島由紀夫や石原慎太郎、村上龍のように過剰にマスコミに登場する小説家もいれば...
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遊行女婦(うかれめ)

律令制の時代、都から各地に任官した役人は、地方役人から接待を受けました。 今と同じですね。 今、女性のいるお店で接待するのと同様、その昔宴席で和歌を詠んだり踊りを踊ったりする女性に遊行女婦(うかれめ)がいたそうです。 遊行女婦(うかれめ)は教養あふれる地方の名士であったらしく、万葉集に都からきた役人と恋歌を交わしたりしています。 おほならば かもかもせむを 畏(かしこ)みと 振りたき袖を 忍びてあるかも  児島(あなた様が普通のお方ならば別れを惜しんであれもこれもといたしましょうに、 畏れ多き身分のお方なのでこのようにお別れのしるしの袖を振りたくてもじっと我慢して耐え忍んでおります) 大和道(じ)は 雲隠(くもがく)りたり しかれども 我が振る袖を 無礼(なめ)しと思(も)ふな 児島(とは云うもののあなた様がはるか遠い雲の彼方と思われる大和にお帰りになると思うと、もう二度とお会いできないという気持がこみ上げ、ついに堪えきれず袖を振ってしまいました。どうか無礼な仕業とお思い下さいますな) 旅人も落涙を禁じえず、大勢の人の前で次の歌を返します。 ますらをと 思へる我や水茎の 水城(みづき)...
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冷泉家

BS-hiで冷泉家の歌会始を取り上げた番組を放送していました。 参加者はみなおじゃるな格好をし、平安時代そのままに和歌を朗々と読みあげていきます。 宮中の歌会始では洋装ですから、冷泉家のほうが古式ゆかしい儀式をおこなっているんですねぇ。 現代の作詞家やシンガーソングライターはやまとうたを学び、歌の世界をよりよいものにしてほしいですねぇ。 若い少年少女が愛してるだのふられただのと、あまりに直截に歌うのは、どうもいただけません。 花に託したり月に託したり、やんわりと歌ってほしいものです。冷泉家・蔵番ものがたり―「和歌の家」千年をひもとく (NHKブックス)冷泉 為人日本放送出版協会京の雅・冷泉家の年中行事 冷泉布美子が語る冷泉 布美子,南里 空海集英社冷泉家歌ごよみ―京の八百歳冷泉 貴実子,京都新聞社京都新聞出版センター冷泉家歌の家の人々冷泉 為人書肆フローラ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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寒い

今朝は特別仕立てに寒かったですね。 それでもほとんど毎日晴れている関東の冬は、雪に悩まされることがなくて楽です。 こちらでは雪かきは年に一二度の珍しい行事。 電車はとまり、ノーマルタイヤの車はスリップ、交通は大混乱。 要領を得ずに腰を痛めるやつやら、根をつめて体調をくずすやつやら。 雪国の人から見たらさぞ滑稽でしょう。 北風は冷たいですが、関東の冬の穏やかさはありがたいものです。 そこで、松本たかしの句。 玉の如き 小春日和を 授かりし 寒さが続いて、ある日、春のような暖かい日があった、その喜びを素直に表現しています。 門前の 小さき枯野の よき日和 小さき枯野に差す穏やかなお日様が目に浮かびます。  関東は関東でも北関東の雪の夜を思って、次のような句。 雪だるま 星のおしゃべり ぺちゃくちゃと 深夜、凍りついた小さな雪だるまが退屈しのぎにお星様とおしゃべりしてるんですねぇ。 どんな内容なんでしょう。 いずれにしろ、艶っぽい話や武張った話ではないでしょうねぇ。 与謝蕪村の京都の自宅への籠り居の句もよいですが、関東の冬もなかなかよいですねぇ。 松本たかしはもともと宝生流の能楽師の家に生ま...
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げにも人は心がありてこそ

「馬小屋」を見ておもったのですが、人が他人を自在に操るというのは、非常な快感らしいですね。 そのために出世や権力の掌握を望むのでしょうから、人というものはどこまでも下品にできています。  また一方、生身の男や女との付き合いは面倒とばかり、二次元の世界に逃避したまま現実に帰ってこられなくなった輩もいるやに聞きます。  ダッチワイフというのも生身の女の代わりに女の人形を抱くもので、近頃では極めて精巧な人形が出回り、人形を抱えて車に乗る男をあるご婦人が目撃して、死体を運んでいると勘違いして警察に通報した、という笑えない話があります。 これなどはダッチワイフに人格を与えて恋しているといってよいでしょう。 はるか昔、西行法師が高野山での修行の最中、人恋しくてたまらず、死体を集めて人間を作る秘術を行った、という話が「撰集抄」に掲載されています。 この書物は西行法師の著作という触れ込みの贋作ですが、なかなか面白い本です。 人の姿には似侍りしかども、色も悪く、すべて心もなく無く侍りき。 声は有れど絃管声のごとし。 げにも人は心がありてこそは、声はとにもかくにもつかはるれ。 ただ声の出るべき計ごとばかり...
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