文学

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大寒

今日は大寒ですね。 その名のとおり、ここ数日、南関東でも底冷えの日が続いています。 幸い雪は降らず、連日晴天ですが、晴天ゆえの放射冷却と空気の乾燥に悩まされています。  冬を詠んだ句はたくさんありますが、わりと知られている句を数句。 大寒の  薔薇に異端の  香気あり  飯田龍太 本来初夏に咲くはずの薔薇が、おそらく温室栽培なのでしょう、大寒に咲いている。季節はずれにさく薔薇の美しさに異端をみたということでしょう。 大寒・薔薇・異端・香気と、二文字の漢語表現が俳句らしからぬ幻想美を生んでいるように思います。 大寒や 北斗七星 まさかさま 村上鬼城 何の用事があったのか、大寒の夜に外出したのでしょう。 寒空を見上げたら、北斗七星がさかさまに見える、不思議なことだ、ということでしょうか。 最後の、まさかさまがユーモラスですね。 冬日今  瞼にありて  重たけれ  高浜虚子 寒さの中にも冬の日があたって、しかも瞼にあたって眠くなる、そんな幸せな冬の日向ぼっこでしょうか。 私は毎日17時15分の定時で帰宅しています。 ここ数日、その時間に職場を出ると、西の空がうっすら明るく見えます。 冬至から...
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不条理

生後わずか12日の長男を、41歳の母親が風呂で溺死させたという痛ましい事件が起こりました。 育児に悩み、将来を悲観して無理心中を図った、とか。 しかし乳幼児ではない大人は、どんなに意思が強くても風呂場で入水自殺できるものではありますまい。 息苦しければ顔を上げてしまうでしょう。 夫が風呂場にいる妻と息子の遺体を見て、消防と警察に連絡したとか。 わずか生後12日で育児ノイローゼのために赤ちゃんを殺害するとはにわかには信じがたい事実ですが、事実は小説より奇なり、世の中なんでもおこるのですねぇ。 そういえば夫婦で酔っぱらって銃を使った、ウィリアム・テルごっこ、をやっていたところ、誤って夫が妻を射殺してしまった、という笑えない事件が昔米国で起こりました。 しかも犯人が、ニュー・ウェーブSFの旗手にしてビート・ジェネレーションの代表、ウィリアム・S・バロウズであったことから、センセーションを巻き起こしました。 バロウズといえば、ヤク中でアル中でゲイ寄りのバイセクシャル。  代表作「裸のランチ」など、良く言えば実験的、悪く言えば意味不明。  クローネンバーグ監督が「裸のランチ」を映画化した時、あま...
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希薄

2009年、村上春樹がエルサレム賞を受賞したとき、私は初めて、しゃべって動く村上春樹を目撃しました。 村上春樹という人はそもそも存在しないんじゃないか、という漠然とした予感のようなものを感じていた私は、生身のさえない中年男をテレビで見て、失望を感じたものです。 デヴュー作「風の歌を聴け」は大学生のわずか19日間を描いた小説ですが、そこにはドラマがありながらストーリーが希薄で、架空の米人作家、ハートフィールドなる人物に仮託して作家の思いを語ったり、なんだか現実感がないのです。 そこが魅力なのですが、この希薄さはなんだろうと、何度も読み返したことを思い出します。 続く「1973年のピンボール」・「羊をめぐる冒険」・「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」と、確かな物語がありながら、何か希薄なのです。 そのような印象から、村上春樹という作家は存在しない、もしくは表に出てこない、と勝手に決め付けていて、エルサレムでイスラエルを批判する政治的なスピーチをする丸顔の中年を見て、腰が抜けるほど驚いた、という次第です。 三島由紀夫や石原慎太郎、村上龍のように過剰にマスコミに登場する小説家もいれば...
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遊行女婦(うかれめ)

律令制の時代、都から各地に任官した役人は、地方役人から接待を受けました。 今と同じですね。 今、女性のいるお店で接待するのと同様、その昔宴席で和歌を詠んだり踊りを踊ったりする女性に遊行女婦(うかれめ)がいたそうです。 遊行女婦(うかれめ)は教養あふれる地方の名士であったらしく、万葉集に都からきた役人と恋歌を交わしたりしています。 おほならば かもかもせむを 畏(かしこ)みと 振りたき袖を 忍びてあるかも  児島(あなた様が普通のお方ならば別れを惜しんであれもこれもといたしましょうに、 畏れ多き身分のお方なのでこのようにお別れのしるしの袖を振りたくてもじっと我慢して耐え忍んでおります) 大和道(じ)は 雲隠(くもがく)りたり しかれども 我が振る袖を 無礼(なめ)しと思(も)ふな 児島(とは云うもののあなた様がはるか遠い雲の彼方と思われる大和にお帰りになると思うと、もう二度とお会いできないという気持がこみ上げ、ついに堪えきれず袖を振ってしまいました。どうか無礼な仕業とお思い下さいますな) 旅人も落涙を禁じえず、大勢の人の前で次の歌を返します。 ますらをと 思へる我や水茎の 水城(みづき)...
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冷泉家

BS-hiで冷泉家の歌会始を取り上げた番組を放送していました。 参加者はみなおじゃるな格好をし、平安時代そのままに和歌を朗々と読みあげていきます。 宮中の歌会始では洋装ですから、冷泉家のほうが古式ゆかしい儀式をおこなっているんですねぇ。 現代の作詞家やシンガーソングライターはやまとうたを学び、歌の世界をよりよいものにしてほしいですねぇ。 若い少年少女が愛してるだのふられただのと、あまりに直截に歌うのは、どうもいただけません。 花に託したり月に託したり、やんわりと歌ってほしいものです。冷泉家・蔵番ものがたり―「和歌の家」千年をひもとく (NHKブックス)冷泉 為人日本放送出版協会京の雅・冷泉家の年中行事 冷泉布美子が語る冷泉 布美子,南里 空海集英社冷泉家歌ごよみ―京の八百歳冷泉 貴実子,京都新聞社京都新聞出版センター冷泉家歌の家の人々冷泉 為人書肆フローラ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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寒い

今朝は特別仕立てに寒かったですね。 それでもほとんど毎日晴れている関東の冬は、雪に悩まされることがなくて楽です。 こちらでは雪かきは年に一二度の珍しい行事。 電車はとまり、ノーマルタイヤの車はスリップ、交通は大混乱。 要領を得ずに腰を痛めるやつやら、根をつめて体調をくずすやつやら。 雪国の人から見たらさぞ滑稽でしょう。 北風は冷たいですが、関東の冬の穏やかさはありがたいものです。 そこで、松本たかしの句。 玉の如き 小春日和を 授かりし 寒さが続いて、ある日、春のような暖かい日があった、その喜びを素直に表現しています。 門前の 小さき枯野の よき日和 小さき枯野に差す穏やかなお日様が目に浮かびます。  関東は関東でも北関東の雪の夜を思って、次のような句。 雪だるま 星のおしゃべり ぺちゃくちゃと 深夜、凍りついた小さな雪だるまが退屈しのぎにお星様とおしゃべりしてるんですねぇ。 どんな内容なんでしょう。 いずれにしろ、艶っぽい話や武張った話ではないでしょうねぇ。 与謝蕪村の京都の自宅への籠り居の句もよいですが、関東の冬もなかなかよいですねぇ。 松本たかしはもともと宝生流の能楽師の家に生ま...
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げにも人は心がありてこそ

「馬小屋」を見ておもったのですが、人が他人を自在に操るというのは、非常な快感らしいですね。 そのために出世や権力の掌握を望むのでしょうから、人というものはどこまでも下品にできています。  また一方、生身の男や女との付き合いは面倒とばかり、二次元の世界に逃避したまま現実に帰ってこられなくなった輩もいるやに聞きます。  ダッチワイフというのも生身の女の代わりに女の人形を抱くもので、近頃では極めて精巧な人形が出回り、人形を抱えて車に乗る男をあるご婦人が目撃して、死体を運んでいると勘違いして警察に通報した、という笑えない話があります。 これなどはダッチワイフに人格を与えて恋しているといってよいでしょう。 はるか昔、西行法師が高野山での修行の最中、人恋しくてたまらず、死体を集めて人間を作る秘術を行った、という話が「撰集抄」に掲載されています。 この書物は西行法師の著作という触れ込みの贋作ですが、なかなか面白い本です。 人の姿には似侍りしかども、色も悪く、すべて心もなく無く侍りき。 声は有れど絃管声のごとし。 げにも人は心がありてこそは、声はとにもかくにもつかはるれ。 ただ声の出るべき計ごとばかり...
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寒い

大晦日の朝、非常に寒いですね。 季節がくればきちんと寒くなるんですね。 今年の夏の猛烈な暑さがなつかしいような。 でも夏になれば寒い冬が恋しくなるのだから欲張りなものです。去年今年(こぞことし) 貫く棒の 如きもの 大晦日といえば、高浜虚子のこの句がとどめをさすでしょう。 歳時記では新年の季語になっていますが、私の感覚では大晦日の深夜、新年を迎える直前のように思います。 俳句の範疇を超えた、一種の思想性を感じます。 貫く棒とは、真理とも、自然の摂理とも、また、人間の感情とも受け取れます。 貫く棒には年など関係ありませんものね。 しょせん人間が決めただけのもので、お天道様は元日だからといって特別強烈な光を与えるわけではありません。 私はただ、一般常識にしたがって、正月を祝うだけのことです。 今日の私と明日の私が断絶するはずもありません。 そして私は、おつむが少々いかれているので、今年を振り返って反省などしません。 その時その時に良かれと思って行動なり発言なりした結果が現在ですから、良いことも悪いこともすべてひっくるめて自己肯定するのです。虚子五句集 (上) (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店...
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「敵」 筒井康隆

小沢議員が政治倫理審査会への出席を承諾したとか。 私にとってはどうでもいいニュースなんですが、権力闘争がお好きな民主党のお歴々には大変なことらしいです。 どんな小さな組織にも、派閥ができ、権力闘争が起きるとか。 不思議なことではありますが、ヒトという種の本能とも宿痾ともいべき特性なのでしょうね。 スポーツでも敵と戦う姿に観る者は酔いしれるわけですし、戦争映画やチャンバラが廃ることなく人気を集め続けているのもヒトという種の争い好きからきているのでしょう。 筒井康隆の小説に、「敵」という佳品があります。  定年退職して10年、75歳の元大学教授の日常を淡々と、しかしスリリングに綴っています。 もともと子どもはなく、妻に先立たれたため、元教授は一人暮らしです。 たまに訪ねてくる教え子の他には、話し相手もいません。 それでも老学者は毎日商店街に買い物に出かけ、三度の飯を自炊しています。 晩酌を楽しみ、ときにはスナックに出かけて、アルバイトで勤めている女子大生の人生相談に乗ったりもします。 それは慎ましい生活と言ってもいいでしょう。  しかし元教授の精神は、激しく揺れ動いています。 枯淡の境地か...
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文学=幻想文学?

1999年、ノストラダムスによれば空から恐怖の大王が降りてくるはずでしたが、何事もなく過ぎ、代わりに平野啓一郎という若い作家が鳴り物入りで芥川賞を受賞しました。 「日蝕」という中世フランスの神学僧が体験する神秘的な出来事を格調高い擬古文で描いて見事でした。 それまで若い作家のデヴュー作というと、若者風俗小説みたいなものが多かったので、とんでもない天才が表れた、と騒がれたものです。 三島由紀夫の再来とか言われていましたね。 その後も明治末、山中で毒蛇にかまれた美青年が夢とも現ともつかない体験をする幻想譚「一月物語」など、佳作を連発しています。 この人の小説を読んでいて、私はかねてから思っていたことが確信に近づきました。つまり、幻想文学と文学はほぼ同義ではないか、ということです。 古来、物語は神話から始まって、鬼や化け物や妖怪が跳梁跋扈する世界でした。 貧乏くさい私小説でさえ、心の中の妄想を書きすすめれば、現実にはあり得ない幻想世界が現出します。 わが国の古典文学は説話にしろ和歌にしろ能にしろ、みなこの世ならぬものへの憧れなくして生まれえないものです。 そこで、平野啓一郎の言葉。 芸術作品...
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冬の蠅

師走も下旬に入り、寒さ厳しくなってきました。 以前、蕪村の冬の句を取り上げて、冬ごもりの幸せな文学を紹介しました。 そこで今日は、冬の文学の中でも、陰惨なイメージのある梶井基次郎の「冬の蠅」を取り上げます。 所収は新潮文庫の「檸檬」から。 病気療養のために山中の温泉に長逗留している主人公。 居室には、冬だというのに蠅がいます。  冬の蠅は弱弱しく、日向ぼっこしているときだけ元気がよさそうに見えます。 弱弱しい蠅は、病で衰えた主人公自身の投影でしょう。 蠅と日向ぼっこしている主人公は、同時に太陽を憎んでもいます。 病鬱の主人公にとって、太陽は健康の象徴であり、それにあやかりたいと思いながら、憎まずにはいられないのです。 ある日、主人公は郵便局に行った帰り、通りかかった乗合自動車に乗ってしまいます。 そして夕暮れ時、山中におりて、次の温泉地までの道のりを歩き始めます。 自身を歩き殺す気概をもって。 港のその町に三日ほど滞在して、元の山中の温泉宿に戻ります。 すると、蠅が一匹残らずいなくなっています。 主人公は愕然とします。 あの冬の蠅は自分が暖房を焚き、日光を部屋に入れるそのおこぼれにあず...
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蕪村句集講義

日曜日、「坂の上の雲」が放映されていました。 香川照之演じる正岡子規の最後は、凄絶なものでした。 苦痛に悲鳴を上げながらも句作の筆をとる執念、怖ろしいばかりです。 足あり、仁王の足の如し。 足あり、他人の足の如し。 足あり、大盤石の如し。 僅かに指頭をもってこの脚頭に触るれば、大地震動、草木号叫、女媧氏いまだこの足を断じ去って、五色の石を作らず。  「病床六尺」からの引用です。 女媧氏云々というのは、昔天地を支える柱が折れたとき、亀の足を切って柱を支えたという話から、その女媧氏でさえ自分の足は切れまい、という慨嘆でしょう。 大げさな表現にも見えますが、結核の毒が全身にまわったその痛みというのは、想像を絶するものであったでしょう。 正岡子規の母親は、臨終後、「もう一度痛いと言うてみい」と言って子規の足を叩いたそうです。 痛ましいかぎりです。 最近、子規が高浜虚子、河東碧梧桐と「蕪村句集」の輪読会を開いた様子を記した「蕪村句集講義」が出版されました。 それぞれの俳人が蕪村の句を取り上げて、これは昼だ、いや夜だ、後家だ、いやいかず後家だ、そっちのほうが趣がある、と談論風発。 誠に楽しげに蕪村...
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冬ごもり

デートがある日に急ぎの仕事が入った場合、仕事とデートのどちらを優先しますか、という質問に、なんと7割以上が仕事と答えたそうです。 この不景気のご時世、恋愛沙汰に浮かれていては職を失う、という危機感が強いのでしょうか。 その昔、バブルの頃にクリスマスイブに豪華なデートを楽しむのが当然という悪しき風潮がはびこり、なかにはデートのハシゴをする猛者まで現れました。 学生だった私は異教の祭りに参加する気はなく、部外者として世の浮かれぶりを傍観していました。 当時は恋人がいるかいないかがその人の人間的価値を決める尺度であるかのようなことを言うやつがいて、嗤わせてもらったものです。 師走に入って、町はクリスマスムードが盛り上がってきました。 プレゼントを楽しみにしている子どもたちには待ち遠しい日でしょう。 肩の力が抜けた中年になった私は、異教の祭りだと目くじらを立てず、華やかなイルミネーションを楽しんだり、シャンパンを飲んだりします。 それにしても師走に入ってから暖かい日が多いですね。  冬は寒いほど詩情豊かになるというもの。 暖かい冬というのは間が抜けていますね。 葱買うて 枯木の中を 帰りけり ...
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憂国忌

今日は憂国忌ですね。 あれから40年。 三島由紀夫は戦後の日本に絶望し、自衛隊に決起を促した後、それがかなわぬと知るや、森田必勝を伴って割腹自殺をとげました。 しかし三島由紀夫が求めた美しい日本は、過去にも現在にも、そしておそらく未来にも存在し得ない理想郷。 それがかなわぬ夢だということは、三島由紀夫自身がよく知っていたに違いありません。  彼は張りぼての城のような、作り物めいた耽美的な文学世界を築き上げました。 おのれの作品だけでは満足できず、この日本国をも、自らの美意識に従う張りぼての美的国家に変化させようとして、失敗しました。 しかし失敗は予想のうち。 失敗した後は自らの人生を美的作品に仕立て上げるため、割腹という方法で自死を遂げたのでしょう。 いわば、美の道化。 彼が道化であったことは、「仮面の告白」を読めば自明です。 そしてそれは、彼が忌み嫌った太宰治の「人間失格」となんとよく似ていることでしょう。 彼はどこまでいっても文学者で、決して政治の人ではありませんでした。 彼は見事に美の道化を演じきった、不世出の文学者でした。 不幸なことに、彼の政治的主張は、ついに入れられることは...
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物語

物語というのは、それが文学作品であれ、映像作品であれ、舞台芸術であれ、なぜかくも私たちを魅了するのでしょうね。 物語というのはその名のごとく、元は語られるものであったはずです。 親が子に、祖父母が孫に語って聞かせるお話しが、物語の源流であったことでしょう。 そういう意味では、落語や講談など、一人で語って聞かせる芸が、もっとも原始的な物語なのではないでしょうか。 物語は経験をコントロールして道を説いたり、美的発明として物語作者に与えられた方法であったり、と考えがちですが、私はそれは正確ではないと思います。 物語は人間精神の基本的な活動であり、運動です。 物事を学習するのも、批判するのも、物語に拠っており、したがって生きることそのものが物語としか言いようがない事態が現出します。 私と他者との物語、社会的・個人的な過去と未来についての物語を紡ぎながら、私たちは日々、生きているのでしょう。 つまり生きることは物語であり、真実は物語の中に存在します。 その真実を問うとき、物語のあまりの膨大さに、私たちはしばし呆然とします。 膨大な物語のなかに、世界に関する物語と、私に関する物語が存在するように思...
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