文学

スポンサーリンク
文学

初恋温泉

様々な温泉を舞台にした多様な恋愛模様を描いた吉田修一の短編集「初恋温泉」を読みました。初恋温泉 (集英社文庫)吉田 修一集英社 表題作は初恋の女性と結婚し、多忙な日々をおくる男が、妻と温泉旅行に行く直前に離婚話を切り出され、それでも温泉旅行に出かけるほろ苦い物語。 他にも、既婚者同士の不倫旅行を描いた切なさ満点の「ためらいの湯」や、高校生カップルが勇気を振り絞って温泉に一泊旅行に行く「純情温泉」など、温泉と恋をうまくからめて描き出した珠玉の短編集に仕上がっています。 「初恋温泉」で、妻が、分かれたい理由を、「幸せなときだけをいくらつないでも、幸せとは限らないのよ」と告げるシーンは意味深長であり、印象的です。 なるほど、そうかもしれません。 しかし、辛いとき、人は楽しかった思い出を振り返って今を乗り切ろうとします。 それは奏功することもあり、そうでない場合もあります。 しかし、幸福な思い出がたくさんある人は、それだけでも人生を乗り切る財産を持っていると言えるのではないでしょうか。 浜田省吾は「もうひとつの土曜日」という曲で、 ただ週末のわずかな、彼との時を、つなぎあわせて、君は生きてる、...
文学

ひなた

今日はひどい風が吹き荒れています。 買い物に行った以外は、家で大人しく小説を読んですごしました。 吉田修一の「ひなた」を一気に読みました。 この作者、平凡な日常のなかのゆがみを描くことが得意なようです。 「ひなた」は、4人の春夏秋冬を、それぞれの独り語りを積み重ねる形で紡ぎだしていく、という手法で描かれています。 これといった盛り上がりのない、平凡な日常のなかに、小さな嘘や不安が丁寧に描かれています。 大学生の尚純とその彼女のレイ、直純の兄夫婦の4人です。 平凡なようでありながら、じつは4人とも、不倫であったり、出生の秘密であったり、同性からの求愛であったりといった、小さな日陰を抱えています。 日陰を抱えているからこそ、日向を求め、日向を守ろうとするのです。 そしてまた、台詞がじつに上手です。 まるで脚本を読んでいるかのような錯覚におそわれ、さらには私の中で配役を考えてしまうほど、演劇的でもあります。 身近な人の不倫を評して、 誰かを裏切りたくて、誰かを好きになるヤツなんていないんだし、誰かを好きになっちまうから、仕方なく誰かを裏切らなきゃならなくなるんだよな。残酷な話だけどさ。 など...
文学

怒り

吉田修一の「怒り」を読了しました。 八王子で一家惨殺事件が起き、現場には血で書いた怒の文字が。 犯人は逃走を続けます。 房総の漁村で暮らす少々オツムの弱い愛子の前に現れた青年田代との恋、沖縄の離島に暮らす女子高生と淡い恋を楽しむ少年の実家の民宿に現れた田中、ゲイのサラリーマンの前に現れ、同棲を始めた直人の、3つの物語が同時並行で進みます。 突如現れた3人には、年恰好が似ていること以外、とくに接点はありません。 そして3人ともが、誰にも言えない過去を抱えているのです。 田代も田中も直人も、それぞれに新しい人間関係のなかで信頼を勝ち得、愛されるようになります。 しかし人間というのは疑りぶかいもので、八王子での事件の容疑者の似顔絵が公表されるや、もしかしたら、という疑心暗鬼にとらわれ、それぞれに葛藤します。 終盤に至り、真犯人も、3人の過去も明かされますが、怒の意味するところは謎のままです。 人間という存在の不確かさ、人間関係のもろさが、切ないばかりに暴露されていきます。 作者が芥川賞作家ということもあってか、これはミステリーというよりは人間の本質に迫ろうとする文学作品の趣を呈しています。 ...
文学

年々歳々

今日は晴れて気温が上がり、20度に届こうかという勢いです。 今日も私は勤労意欲がわかず、無為に時を過ごしてしまいました。 勤労意欲がわくかどうかは、急ぎの仕事があるかどうか、あるいは懸案事項を抱えているかどうかにかかっています。 最近の私にはその両方が無いため、だらだらとしてしまいます。 そして窓の外の強い日差しを見ては、春の訪れを実感してため息をついています。 春宵や 屋根から上の 花の闇 久保田万太郎の句です。 花の闇という句が、なんとも春らしい感じを醸し出しています。こでまり抄―久保田万太郎句集 (ふらんす堂文庫)成瀬 桜桃子ふらんす堂 来週には桜が開花し、月末には満開を迎えるとか。 そして新年度を迎えるのですねぇ。 毎年4月は人の入れ替わりがあるため、混乱は避けられません。 年々歳々花相似たり、年々歳々人同じからず、と詠んだのは唐代の詩人、劉希夷でしたか。 まこと、花は毎年似通っているし、毎年同じように人々がいるようでいて、じつは年々入れ替わっていくものです。 そんなことを考えると、なんとも言えない憂鬱に囚われます。 私にとって不安や憂鬱は、もっとも親しい感情であり続けています...
文学

助走か、飲んだくれのオヤジか

年度末が近付いて、誰が異動するのしないのと、職場はそんな噂が飛び交っています。 どうせほどなく分かるし、どんな嫌な部署に異動になっても、また、どんな嫌なやつが自分の部署に着任しても、ただ淡々と仕事をこなすしかないのに。 時間の無駄です。  こんなことを繰り返してとうとう24年も過ぎてしまいました。 就職してしばらくは、プロの小説家を目指してせっせと小説を書いていましたっけ。 しかし専業作家で生きていけるのはそれこそ何万分の一という確率でしょう。 これはどうにもならんと、いつの頃からか、終業後は飲んだくれるだけのやさぐれオヤジに堕してしまいました。 それは精神の堕落には違いないのでしょうが、堕ちるということ、変に心地よくもあります。 世間的にみれば、安定した公的機関に勤めて、子供は出来ませんでしたが結婚もして、マンションも買ってと、順風満帆に見えるでしょうね。 でも精神的には、未だにモラトリアム気分を引きずって、自分が何者でもないように感じています。 それはおそらく一生続くでしょう。 筒井康隆の小説に、「大いなる助走」というのがありました。 直木賞(作中では直本賞でしたか)受賞を逃した若...
スポンサーリンク