文学

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フクロウ

私はどういうわけか、幼いころからフクロウとダルマが好きでした。 毎朝、靴を履くにはてっぺんにフクロウをかたどった木彫りの靴べらを使っています。知床の民芸品店で12年も前に購入したものです。  フクロウというと、俳句では冬の季語ですが、フクロウに姿も声も似た青葉木莵(あおばずく)という渡り鳥が夏の季語になっています。インドのほうからはるばる日本にやってくる、運動好きの鳥です。 青葉木莵 おのれ恃め(たのめ)と 高処(たかどころ)   という句が詠まれています。文挟夫佐恵(ふばさみふさえ)という変わった名前の俳人の手による句です。 フクロウの類の鳥は、どこか哲学的な、おのれの道を独り歩む雰囲気があって、上の句は、青葉木莵のようにただ独り歩め、と励まし、叱っているような感じで、暑い暑いと不満ばかりたれている私などは、緊張を強いられます。 また、 病むも独り 癒ゆるも独り  青葉木莵 という句は如何でしょう? こちらは中嶋秀子の句です。 やはりこちらもどこか孤独を感じさせます。 夏の暑苦しい病床で青葉木莵の鳴き声に耳を傾け、病者の痛みを独り耐えている、といった感じでしょうか。  フクロウもダル...
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50年

今年は日米安保改定から50年だそうですね。 当時の総理大臣の孫が総理の座を去って、現総理でもう4人目。 前総理はまさにこの日米安保に関連する基地問題で窮地に陥りました。 今はもう、一部を除いて日米安保の有効性を疑う人はいなくなりました。 倉橋由美子が「シュンポシオン」という小説の中で、反核平和教徒という言葉を使っていました。 「シュンポシオン」は饗宴、という意味で、この小説は近未来の高級リゾートを舞台に、教養あふれるお金持ちたちが、延々と酒を飲んでは政治や芸術など、様々なことを語り合う、というスタイルをとっています。 今は絶滅危惧種ですが、80年代まではけっこう反核平和教徒が生息していました。 要するに、国防や平和について真剣に考えることをやめ、反核、反戦とわめいていれば戦争はなくなる、と信じる人々です。 そうなれば良いのですが、そうなることがあったとしても、100年や200年では無理でしょう。 人類の歴史をみれば、明らかです。 社会党は、村山内閣が成立した途端、それまで頑迷に唱えていた反核平和教を棄てました。 そして社会党は消滅への道を歩みました。 それまで見ぬふりをしていた、現実を...
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自助

最近、平日の晩酌をしなくなったことは前に書きました。おかげで夜が有意義に過ごせていることも。 私の場合、べつだん医者に禁じられたとか、血液検査の数値が悪化したとか、そういう健康上の理由ではなく、あくまで私の気分が乗らない、というだけの話です。ですから興が乗れば、いつでも飲むでしょう。 酒好きな文学者や芸術家は枚挙にいとまがありませんが、毎日一升の酒を飲み、43歳で死んだ若山牧水ほど、無類の酒好きを知りません。 医者に酒を禁じられて、それでも飲み続けたわけですが、禁酒を試みたことはあるらしく、ずいぶんうらみがましい、酒恋しい歌を詠んでいます。 人の世に たのしみ多し然れども 酒なしにして なにのたのしみ 酒やめむ それはともあれ ながき日の ゆふぐれごろにならば何とせむ 朝酒は やめむ昼酒せんもなし ゆふがたばかり少し飲ましめ 私も酒は嫌いではありませんが、上記三首はなんだか和歌というより愚痴にちかいですね。 若山牧水には抒情的な歌が数多くありますが、このような煩悩丸出しの歌もあります。 ファンの一人として、少し残念。 世のアルコール依存症患者の自助グループに、断酒会とAA(Alcoho...
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世にルポルタージュというジャンルがありますね。 ふんだんに金を持っているくせにわざと襤褸を着て数日間ホームレス生活を送り、その経験を文章にして金儲けをしたりする、あれです。  明治時代にも似たようなことを試みた人がいて、「東京闇黒記」という本を出版しています。今は絶版になっているようですが、目にする機会に恵まれました。 そこで驚いたのは、乞食とホームレスの違いです。  現在のホームレスは、アルミ缶や雑誌を拾って売ったり、地見屋と称して落ちている金を拾ったりして、まがりなりにも、自力で稼いでいますね。ところが明治時代には、今日は浅草、明日は両国橋と、人の多いところに出かけて行って、身体障害者のふりをして、「右や左の旦那様~」とかいうことを実際にやっていたそうです。  しかも結構稼ぎがよくて、2~3時間もそれをやれば、木賃宿に泊まれて、酒も肴も手に入ったというから驚きです。「乞食は三日やったらやめられない」とのたまっておりました。  そして面白いことに、金持ちよりも、ちょっと貧乏なくらいの人が、よく施しをしてくれるというのです。貧乏の悲惨さがよくわかるのでしょうかね。  そういえばインドに...
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蒸し暑い

今朝は蒸し暑いですね。 これからの梅雨の季節、ある在日ロシア人は「絶望的な季節」と呼んでいました。ロシアのような北国からみれば、なおさらそうでしょうね。 梅雨は、暑さのみならず湿気に苦しめられる季節でもあります。 私は、梅雨どきというものに、湿気の色気のようなものを感じます。 汗や髪など、体の匂いが鼻につき、ときにそれは魅惑的でさえあるのです。 身近かなる 男の匂ひ 雨季きたる 多く肉体を感じさせる句を残した桂信子の句です。 どこか汗ばんだ不快のなかに、色気を感じます。 元来日本は夏が過酷で、そのために日本家屋は夏をしのぎやすいようにできています。京都の町家しかり、古い農家しかり。 現代ではエアコンが普及しており、内勤であれば夏でもほとんど快適に過ごせます。蛇口をひねればお湯がでるので、いつでも汗を流せます。しかしほんの数十年前の日本では、夏は暑いものと決まっており、昼は炎天下で労働し、夜は寝苦しかったことでしょう。風呂も毎日は入れなかったのではないでしょうか。 だからこそ、様々な工夫をして、夏を楽しもうとしたのでしょうね。 今さらエアコンのない生活など想像もできませんが、ときにはエア...
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まぼろし

幻想文学というくくりがあって、これはずいぶん大雑把な分類で、SFやミステリーから、ホラーやらファンタジーやら、様々な分野の作品を包含しています。そのものズバリのタイトルを冠した雑誌もあって、幻想文学はわが世の春を謳歌しているかの如くです。 その起源は神話に求めるのが一般的ですが、今ではサド侯爵もマゾっホもその仲間に入れられて、「指輪物語」などと一緒くたにされて、惨状目をおおうばかりでもあります。 あまたある幻想文学の中でも、「家畜人ヤプー」は最高峰に位置するものでしょう。沼正三という作者は決して表に出ることはなく、この天下の奇書をものしたのはどういう人物なのか、今だに謎です。一説には渋澤龍彦ではないか、という噂も流れましたが、不明です。 その渋澤龍彦や三島由紀夫が絶賛し、ベストセラーにもなったこの小説は、じつに奇怪でグロテスクな内容です。 遠い未来、日本人は白人の家畜となっていて、高度なバイオテクノロジーにより、用途別に改造されているのです。 たとえば便器。便座型に改良された哀れなヤプー(日本人の未来)は、「セッチン」と白人に命じられると、口をあけて大小便を飲み込むのです。 その他掃除...
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読了

「1Q84」BOOK3をやっと読み終わりました。 BOOK1・BOOK2と比較して、どことなく冗長な感じがしました。謎の美少女、ふかえりの登場シーンが極端に減り、その代わりぶさいくな中年探偵、牛河が頻繁に登場します。おそらくこの小説では魅力のない人物として描こうとしていると思いますが、私には興味深い人物に思えました。学歴の高さからくる優越感と、外貌からくる劣等感に揺れ動くおじさんです。 私自身、就職して19年、すっかりくたびれたおじさんになってしまったので、何となくシンパシーを感じるのです。 この小説は、後世、村上春樹の失敗作として名を残すことになると思います。 しかし失敗作であればこそ、その作家の持ち味が存分に現れる、ということもあります。例えば、三島由紀夫の「鏡子の家」のように。 そしておそらく、作者はBOOK4を用意していると思います。伏線はまだ未解決で、話の続きはいかようにもつけられましょう。この際、失敗をの穴埋めのために戦線を拡大する愚かな司令官のように、どこまでも続ければよいでしょう。私はどこまでも付き合います。 私は意外と魅力的な失敗作が好きなのです。1Q84 1-3巻セ...
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くすむ

午前中、会議でした。 真面目くさった顔をして、目の前の瑣末事がさも一大事であるかのごとく、がん首そろえてひそひそ話。  私としては分担も責任もないその会議に、ただ担当係の一員だからと、晒し者のごとく座っているのは、気持ちの良いものではありません。   タイトルの「くすむ」は古い言葉で真面目くさっていることの意です。   なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ   「閑吟集」に出てくる小歌です。  どうも私は、会議などで真面目に議論していると、可笑しくなってしまう癖があります。法事などでも、坊主のお経を神妙に聞いている人たちを見ると、可笑しくなります。  あるとき、浄土宗の法事に参列して、みんなして小さな木魚を叩かされたのには参りました。素っ頓狂なリズムで叩く婆などがいて、吹き出しそうになるのを何度もこらえました。 夢の浮世にただ狂へ とどろ とどろと なる雷(いかづち)も 君と我との中をばさけじ こちらは「閑吟集」よりだいぶ後に編まれた「慶長見聞集」にみられます。 狂うというと、気が狂うみたいですが、要するに一心に遊べ、ということですね。風狂なんて言いますが、日本では古くから、現世...
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能「班女」

今日は国立能楽堂に出かけ、能見物としゃれこみました。金春流の定例会です。 能は「班女」と「巴」、狂言は「謀生種」です。 「巴」は、旅の僧がある女に出会います。 里の男に話を聞くと、この一帯は木曽義仲を奉っている、とのことで、僧が弔いをすると、さっき会った女が甲冑姿で現れます。それは木曽義仲に使えた巴御前の幽霊でした。巴はひとしきり戦の場面を舞ってみせ、ただ一人落ち延びた自分を弔ってくれるように僧に頼みます。 女の格好で槍や刀を振り回す姿は勇壮ですが、そこには敗軍の将に仕え、死してなお、成仏できない、戦の不毛さやせつなさが描かれているのです。 「班女」は、吉田少将と契りを結んだ遊女が、少将とかわした扇ばかりに見とれ、務めを果たさないため、追放されてしまいます。女は狂女となってしまいます。加茂庄で吉田少将は狂女の舞を見物し、これがかつて扇の契りを結んだ女だと気づき、二人は再会を喜び合います。 男女の機微を描いて秀逸です。しかし、女の舞のシーンが必要以上に長く、すこしだれました。 それにしても、能というのはその衣装も、ストーリーのシンプルさも、無表情で舞う様も、すべてがスタイリッシュですね。...
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1Q84 BOOK3

話題のベストセラー「1Q84 BOOK3」を購入し、半分くらいまで読みました。 BOOK1とBOOk2はもちろん、読み終わっています。 私はこの作家の本は、四半世紀というもの、ほぼリアルタイムで読んでいます。今はヨーロッパでも読まれ、ノーベル文学賞候補にまでなっているとか。 大したものです。 この作家の小説は、その文体などから、アメリカナイズされたように誤解されがちですが、そうではないと思います。記紀万葉の時代から、わがくにびとが大切にしてきた無常感や諦念といったものが小説の根底を流れていて、口当たりだけ、ハンバーガーのように食べやすいのだと思います。 その本質は、醤油と味噌と米。決して、ハンバーガーやフライドチキンではありません。 残念なのは、「風の歌をきけ」から「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」までは、瑞々しく、濃密な物語世界が展開されていたのに、「ノルウェイの森」以降、どこか気の抜けたビールのような小説が多くなってしまったことです。 いくつかの短編には見るべきものがありますが、「海辺のカフカ」にしろ、「ねじまき鳥クロニクル」にしろ、また今回の作品にしても、何か物足りない...
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最近、外で酒を飲む機会がめっきり減りました。 時代の流れでしょうね。仕事帰りに上司や同僚、後輩と軽く一杯、という風習は、もはや無くなったと言っていいでしょう。 個人の時間を大切にする、という意味で喜ばしいことですが、一方、なんだかさびしいような気もします。 オーソン実験の昔に立ち返るまでもなく、職場における人間関係が業務能率に影響を与えるのは、当たり前の話です。 むしろ欧米人が、オーソン実験の結果をみて、人間関係が能率に影響することに驚いた、という事実に日本人たる私は驚きます。我々にとっては、あまりに当たり前の話です。 その私たちも、古い言葉ですがノミュニケーション というものを捨てようとしています。 病気の私には、ありがたいことです。 外で飲むことは減りましたが、家ではよく飲みます。酒好きなのですね。 身もおもく 酒のかをりはあおあおと 部屋に満ちたり 酔はむぞ今夜 酒を愛した歌人、若山牧水の歌です。いかにも酒好きらしい、飲むことを楽しみにしている風情が伝わってきます。 蒼ざめし 額つめたく濡れわたり 月夜の夏の 街を我が行く 同じ歌人の手になる和歌です。大正元年発表の「死か藝術か」...
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じめじめ

一日、雨でした。早くも梅雨の予感です。 30代前半までは、男には珍しい冷え症で、冬には靴下を二枚はいたり、仕事の合間に手を お湯で温めたりしていたのですが、三年ほど前からでしょうか、この時分から10月くらいまで、足首、足指に熱感があって、不快です。手足だけは冬でちょうどよいくらいです。末端ぽかぽか症です。夏場は、家ではいつも素足。外出するときも、近くなら素足に雪駄です。これがじつに気持ちよろしい。 職場では素足というわけにはいかないので、五本指ソックスをはいてしのいでいます。 そして帰宅後の楽しみは、冷たい水で、一本一本丁寧に足指と足裏を洗うことです。仕事の疲れが吹き飛びます。足を洗うとは、よく言ったものですね。 中年の靴下は臭いとか。この時期だけは、自分の靴下が臭いと思います。 蹠(あうら)より 梅雨のはかなさ はじまりぬ つい数年前に没した桂信子の句です。 蹠(あうら)とは、足の裏のことです。 梅雨の不快感を、風流な、はかなさという言葉で表現しているのが面白いですね。もっと露骨な表現もできましょうに。 この俳人は肉体を感じさせる句が多く、 ふところに 乳房ある憂さ 梅雨ながき と、...
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復職祝い

昨夜は実家で復職のお祝いをしてくれました。両親と兄とで御馳走に舌鼓をうち、さまざまな酒を少しづつ飲みました。 まことにありがたいことです。 そして、父の年齢からくる衰えに、時の流れを感じました。 人は老いるもの。時は流れるもの。 今が一番若い、と言ったのは、定年退職した元上司です。一分後には、今よりも老いています。そして一分後には、その瞬間が一番若いのです。 年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず 初唐の頃の詩人劉廷芝の詩の一節に、この有名な文句があります。 日本では、「和漢朗詠集」で紹介されて人口に膾炙するようになったようです。  いくら科学が進歩しても、時の移ろいはどうしようもありません。 和漢朗詠集 (講談社学術文庫 (325))講談社このアイテムの詳細を見る
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プラタナス

街の緑が濃くなってきました。日差しも強烈です。やっと、初夏が訪れたのですね。 私が昔通っていた学校には、プラタナス並木がありました。 夏には青々と、冬には寒々しく黄色に枯れて、季節をかんじさせるのでした。 私は、そんな思いでがあるせいか、プラタナスという木に、感傷を覚えます。 プラタナス 夜もみどりなる 夏は来ぬ 石田波郷の句です。 プラタナスという木は明治時代にアメリカから来た木だそうで、今でも日本の伝統的風景というのではなく、どこか人工的というか、ハイカラな感じがしますね。 それが都会へのあこがれと若い感傷を生むのでしょう。プラタナスの木陰で―音楽家の自由時間鮫島 有美子時事通信出版局このアイテムの詳細を見るプラタナスの木蔭で鮫島 有美子時事通信社このアイテムの詳細を見る季題別 石田波郷全句集石田 波郷角川学芸出版このアイテムの詳細を見る
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通勤訓練

今朝は通勤訓練のため、定時に合わせて職場近くまで行き、コーヒーを飲んで帰ってきました。ドアトゥードアで電車でも車でも40分ほどと、さほど遠くはないのですが、病み上がりの身ですので、毎日となると応えると思います。 天気も良く、爽快な気分です。リワーク三カ月を無事に終えた達成感もあります。 今年は春らしい春もなく初夏が訪れたようです。 先人は 必死に春を 惜しみけり 誰の句だか忘れましたが、こんな意地悪な句を思い出しました。 先人の春を惜しむことあまりに大仰で、まるで日本人たるもの春を惜しむのは義務であるかのごとくである、と詠んでいます。 しかし今年の春に限っては、異常気象のせいで、自然と惜しむ感情が湧いてきます。カラー版 初めての俳句の作り方―写真を見ながらすぐ句作ができる石 寒太成美堂出版このアイテムの詳細を見る現代俳句ハンドブック雄山閣出版このアイテムの詳細を見る
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