文学

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寒い

昨日に続き、今日もひどく寒いですね。 不覚にも、風邪をひいてしまったようです。腰と関節が痛み、軽い咳があります。まことに残念ですが、今日はリワークをお休みしたほうがよさそうです。 しかし、16時30分からの精神科の診察にはどうしても行かなければなりません。薬がなくなってしまいますから。 毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは と、詠んだのは正岡子規ですが、もう彼岸の入りから一カ月もたっています。今年は異常ですね。正岡子規なら、どんな句を作るでしょう。
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自慢

先日、私の小説集「おにく姫」が、インターネットで3,200円の値がついていることを知りました。定価は1,000円ですから、3倍以上です。これには作者の私も驚きました。というより、心配になりました。そんな値段をつけて、買う人がいるのだろうか、と。 それよりはむしろ、値を下げてもいいから、増刷してほしいものです。 自慢。
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今年は花見日和に恵まれないまま、早くも桜は狂ったように散っています。 わが国びとがこの花を他の花と同じように観られないのは、この花が日本人の死生観や美意識を象徴的に表しているからでありましょう。 私もまた、この国に生まれ育った一人として、桜に特別の感慨をおぼえるのは、いたしかたないことです。 さまざまの 事思ひ出す 桜かな 松尾芭蕉の句です。 桜の時期は、年度が改まる頃でもあります。それだけにいっそう、人々は卒業や入学、就職や転居など、人生の節目の出来事を思い出すことでしょう。 そしてなぜか、この花だけは、咲くさまを観るにつけ、来年もまた観ることができるだろうか、という不安を感じさせます。季節ごとに咲く花はいくらでもあるのに、桜だけは、おのれの将来を、暗示させるのです。 それだけに、私はこの花を愛しながら、心のどこかで嫌ってもきました。 多分、この花だけが持つある種の激しさが、私の平穏を奪うのでしょう。
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呪い村436

「呪い村436」を観ました。 美しい田舎町では、人口が常に436人に保たれていました。新入りがくると一人が犠牲になります。子供が生まれてもそうです。しかも犠牲者は、名誉なことと、恍惚の表情を浮かべて縛り首になるのです。 残虐シーンがなく、美しい田舎の光景が広がります。 しかしそこに住む人々は狂気のカルト集団なのです。 そこここに、神を畏れ、賛美するシーンがでてきます。 残虐シーンよりそれら住民の、うっとりとした顔が恐ろしくて仕方ありません。 洋の東西を問わず、田舎には因習的な恐怖があるのですね。 私は田舎には住めません。呪い村 436 マイケル・キングストンソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
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花のした

桜が咲きました。 私は桜を見ると、憂鬱になります。 長いこと会計の仕事をしていて、桜の時期は決算と重なり、過重な労働を強いられたためでしょうか。桜を見ると、条件反射のように、山のような伝票や、深夜残業、それに犯罪すれすれ、というか犯罪そのもののような、日付の改ざんなどの処理を思い出すのです。もっとも、それら犯罪行為は、日本国中のお役所で日常的に行われていることでもあります。それはむしろ、犯罪というより法制度の欠陥と言ったほうがよいでしょう。 しかし、今は、ひま。 職業訓練には通っていますが、温水プールで戯れているようなもの。荒波を乗り越えて海で泳ぐのとはわけが違います。 この物狂おしい春を、やり過ごさなくてはなりません。  ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ  有名な西行法師の歌です。この歌ほど、多くの日本人の心をとらえたものはありますまい。 桜の下には死体が埋まっている、と言ったのは梶井基次郎でしたか。 春と花には、死のにおいがつきまとっています。 むしろ精神病者にはお似合いの季節かもしれません。
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ヒトラー

ジョン・トーランドの名著「アドルフ・ヒトラー」を読みました。 この独裁者に関する書物は山のようにありますが、これがもっとも充実していて、客観的なのではないかと思います。 しかし私は、この冷静なアメリカ人の手による伝記からも、ナチへの秘かな憧れを感じ取りました。 もちろん、ナチズムの犯罪は別にして、戦国武将に憧れるように、ナチズムに憧れたところで、ちっともおかしなことではありません。あのスタイリッシュなSSの制服や、深夜、篝火をたいての党大会など、私も美しいと思います。 なぜ、激しく高揚した肉体と精神の運動は、破滅に向かっていくのでしょう。しかもそれは、道徳を超越した犯罪行為に結びつきます。ポル・ポトしかり。連合赤軍しかり。 私は精神を病む前から、こういった運動に強いシンパシーを感じてきました。 なにしろ民主主義は面倒くさくて、時間がかかって、格好悪いですから。 私はしかし、群れること、集団の利益のために個を殺すことが、何より嫌いなのです。アドルフ・ヒトラー 1 (集英社文庫)ジョン・トーランド,永井 淳集英社アドルフ・ヒトラー 2 (集英社文庫)永井 淳集英社アドルフ・ヒトラー 3 (...
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もの狂い

すっかり春めいてきました。 春は、もの狂いの季節。 発情した猫の声もすさまじく、もうじき桜は狂ったように咲きみだれ、散りみだれます。 春の椿事とか称して、浮かれた愚か者が徘徊します。 猫と同様、人間も性欲高まる季節。私は精神病を発症してから、不能に堕していますが、それでも、人肌恋しい季節ではあります。 恋びとは 土龍(もぐら)のように 濡れている モダニズム俳句の代表的俳人、富澤赤黄男の句です。 恋人をもぐらに例えているのがおもしろいですね。 そして、どこか肉感的な感じがして、リアルな、どうかすると悪趣味な印象さえ受けます。しかしそれが、かえって春のもの狂いを連想させて、趣深いのでしょう。
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早朝覚醒

今朝は四時に目が覚めてしまいました。早朝覚醒ですね。これは精神疾患の症状の一つで、時々現れます。そんなときは無理に寝ようとしないで、起きてしまうに限ります。 静かに、「角川春樹句集」など読んでいます。角川春樹の句は、どこか荒らしくて、俳句らしい枯れた感じがなく、面白く読めます。 例えば、 黒き蝶ゴッホの耳をそぎにくる 芸術家の狂気を黒い蝶に例えて、不気味です。  また、 少年期晩夏の海に銃を撃つ 少年期のいらいらした感じがよく出ています。  さらに、 鳥葬の人肉きざむ秋の山 秋の山というのどかなイメージと人肉きざむというおどろどろしいイメージが対比をなしています。 「角川春樹句集」は驚きに満ちていて、まだ暗い早朝の私を、震えさせるのです。地果て海尽きるまで―角川春樹「魂の一行詩」自選一〇〇角川 春樹,金田 石城角川春樹事務所
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お雛様

明日は雛祭りですね。まだ寒いですが、春の気配が感じられます。 実家では、妹がいたため、毎年豪華な雛飾りでいわっていました。 我が家のお雛様は、ぺこちゃんとぽこちゃんです。これはこれで、味わいがあります。  雛流し 松籟(しょうらい )これを悼みけり 松籟は松にふく風と、その音です。 もともとは川に流す紙製のお雛様だったそうで、雛祭りの終わりを詠んだ安住敦の句です。なんとなく春の物憂さが出ていて、秀句ですね。 不産女(うまずめ)の 雛かしづくや 哀れなる 嵐雪の句です。これはお目出度いお雛様の句としてはふさわしくありませんが、子を授かることのなかった女と美しいお雛様との対比が見事です。 お雛様の句は、格調高い、堂々たるものが多いですが、私は、上記2句のような、もの悲しい感じの句こそ、春の愁いをたたえて、味わい深いものと思います。
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すみれ

菫程(すみれほど)の 小さき人に 生まれたし 夏目漱石の春の句です。浮世を忘れて、小さな人になって、すみれと無邪気に戯れたい、という厭世観が読み取れます。変身願望といってもよいでしょう。 私は今、毎日リワークプログラムというのに通って、職業訓練をうけています。就職して18年もたって、なにを今更職業訓練か、という忸怩たる思いもあります。 しかし人間は、すみれほど小さくもなれないし、突如精神の健康を取り戻すこともできないのです。薄皮をはがすように、少しづつ、しかし着実に回復しなければなりません。 リワークプログラム自体は、意外にも楽しいものです。しかし、そこに通わなければならない私が、悲しいのです。
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テレビと学徒兵

昨夜、突然テレビが不具合となり、修理を依頼したら、明日とのこと、今宵はテレビが見られない、静かな夜です。私はもともとあまりテレビを見ませんが、ニュースだけは必ず見ています。それさえ見られないのはさびしいかと思いきや、意外なことに静で心地よい夜を過ごしています。 テレビが見られないので、晩酌の友に、「きけ わだつみのこえ」をぱらぱらめくっています。これは私が中学生の頃、母から読むように勧められたもので、確かに二十数年前、律儀に読んだ覚えがありますが、今となってはすっかり忘れていました。それを今宵、本棚から取り出したのは、偶然の再会とでも言うべきものでしょう。 内容は、学徒兵の日記や書簡を編纂したものです。 その中身を読んでみると、当時の学徒兵たちの多くが、極めて冷静で、日本の敗戦を予測していたことに驚きます。 海軍にしても陸軍にしても、勝算もなく、負け方さえ考えずに始めた戦ですから、当然といえば当然です。 米国がハルノートなる無謀な要求を突きつけたのが直接のきっかけではありますが、帝国主義国家が乱立する当時にあって、太平洋を隔てた日米が開戦するのは、不可避であったことでしょう。 責めるべ...
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寒さ

寒さは、私の脳を開いてくれます。 暑い盛りには、私の脳は死んでいました。 しかし寒い季節がきて、私はさまざまなことがしたいのです。 昔読んだ古典文学を読み返してみたい、今の私の心情を素直に著した小説をものにしてみたい。北風をものともせず、散歩してまわりたい。 冬は、私の季節であるかのごとくです。 埋み火や わが隠れ家も 雪のなか 私が最も愛する、蕪村の句です。 隠れ家がそのまま宇宙につながっているような、壮大さを感じます。 我が隠れ家は、つまらないマンションですが、そこにも、暖かい籠り居の快感があります。 少々の体重増は気にせずに、冬の籠り居を楽しみたいと思います。
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秋の不気味

おのが身の 闇より吼えて 夜半の秋 今日は雨風強く、家で蕪村全集などめくっていました。 冒頭は、秋の句です。犬に吼えられる情景を詠んだものですが、己自身の闇を感じさせて、どこか不気味な感じもあり、秀逸だと思います。 秋は急激に陽が短くなり、夜の世界がこの世を支配するような、不気味な感じがありますね。冬になってしまうと、逆に寒くて外に出られず、冬ごもりの暖かさが感じられます。 しかし秋は、生命力が奪われていくかのごとくです。 蕪村には秋の句は少ないですが、これは秀句だと思います。 私は少年の頃、晩秋の宵闇を散歩するのが好きでした。街へ出れば明るく、公園などに行くと心細いほど暗いのです。思えばそんな風にして、己の闇を見つめていたのでしょうか。 中年となった今でも、闇の正体は不明ですが。
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乙女の港

先週、弥生美術館で「少女の友」展を観たことはブログに書きました。 歴代「少女の友」に連載された小説でも、最も人気が高かったという、川端康成の「乙女の港」を読みました。川端作品は多くが文庫化されていますが、戦前に多く発表された少女小説は絶版が多く、やむなく、図書館で全集を借りるほかありませんでした。 戦前の女学生の間で流行したS(sisterの略)と呼ばれる女学生同士のプラトニックラブを描いたものです。 その言葉遣いなど、現代から見ると違和感がありますが、お話としてはなかなか興味深いものです。 当時はすべて別学でしたし、良家の子女が恋愛沙汰など許されなかったでしょうから、その代替として流行したものと思われます。男子校でも、似たようなものだったでしょう。古来わが国では、同性愛は普通のことでしたからね。 昭和12年の発表ですから、今から思えば、わずか四年後には、米英蘭との戦が始まり、少女たちも時代のうねりのなかに放り込まれ、牧歌的な生活はできなくなるのだと思うと、切なくなります。 川端康成は女性を描くのが得意で、よほどの女好きだったと思われます。「眠れる美女」などは、きりきりするような、究極...
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木枯らし

木枯らしが吹きましたね。いよいよ冬が近づいています。 ボードレールは、「人工楽園」で「カナダのような冬、ロシアのような冬であればあるほどよい。それだけ彼の住む巣は暖かく、甘美に、いとしいものとなろう」と、寒い冬を賛美しています。 極寒のなか、暖かい部屋でくつろぐのは至福のひと時ですね。 本朝では、蕪村が、「屋根ひくき宿うれしさよ冬ごもり」と詠んでいます。 見事なまでの、ボードレールとのシンクロですね。 さらに、三好達治は、 「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」 と、歌っています。 18世紀の俳人、19世紀ヨーロッパの詩人、近代の日本詩人と、冬ごもりを幻想的なもの、暖かいものとして憧憬するその精神は、脈々と続いています。 冬ごもりの幻想的風景は、家にこもることを介して、己れの内面に深く沈滞するかのごとくです。 冬は酒が旨くなる、というのも、この冬ごもりの暖かさに由来すると言えましょう。 人工楽園 (角川文庫クラシックス)与謝蕪村の本三好達治
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