文学

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覚めざる人

石川啄木は、書簡で、「創作家と称する人」を二分しています。すなわち、「勤勉なる鈍物」と、「覚めざる人」です。「覚めざる人」は、さらに四分しています。「古き夢より覚めざる人」、「若き夢より覚めざる人」、「覚めることを恐れて、夜が明けても寝ている人」、「夢の覚め方が何人も同じなるを知らで、何とかして自分一人特別な覚め方をしようと無用なる苦痛をしている人」です。 大体まともな人間は、創作などしようとは思いません。神にでもなったつもりで、自分一人満足しようと創作するのは、一種の自慰行為みたいなものです。精神的オナニストとでも言いましょうか。 私などは、さしずめ「夜が明けても寝ている人」でしょうか。退行欲求というか、そういうものが、幼いころから強かったように思います。それだけに、啄木のこの書簡は、痛いところを突かれた、という感じです。 しかし、持って生まれた性分はどうにもなりません。 業病としか言いようがありません。 抗「覚めざる人」薬でも開発してほしいものです。
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菜の花

今日は日韓戦をテレビ観戦した後、晴れたので近所の住宅街をふらふらと歩き回りました。 千葉県の花、菜の花が咲いていました。もう春本番ですね。 与謝蕪村の句に、有名な「菜の花や月は東に日は西に」があります。小学校の国語の教科書にも載っている、蕪村の最も有名な句です。 しかし、春の句では、私は、「愁いつつ岡にのぼれば花いばら」を良しとします。国文学者、芳賀徹は、これらの句を、「失われてしまった幼少の日々の緑の楽園、桃源への遡行の願い」が感じられる、と書いています。 「徒然草」第十三段の、「ひとり、ともし火のもとに文を広げて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる」を実感させる、幸せな時間を、蕪村は私たちに与えてくれます。
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ふだんは麦焼酎のいいちこを水割りで飲んでいます。 しかし一番好きなのは、土佐の栗焼酎「火振り壺入り」です。 ただこの焼酎は1本六千円もし、しかもあまり売っていないので、なかなか飲めません。時折、製造元にインターネットで注文し、楽しんでいます。 酒というのは、いかにも不思議な飲み物です。 適量なら薬ともなりますが、飲みすぎれば命を削ることになります。 学生時代は酔いつぶれるまで飲むこともありましたが、最近は、ほろ酔いくらいで十分な酔い心地です。 命を削ってまで酒を愛した歌人に、若山牧水がいます。 「白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり」 この歌は、いかにも宴会嫌いな酒好きの心境です。もっとも牧水は、秋だろうが春だろうが季節を問わず、毎日一升もの酒を飲んでいたそうです。 「鉄瓶の ふちに枕し ねむたげに 徳利かたむく いざわれも寝む」 気持ちよく酔って眠くなった、その心地よさが感じられます。 牧水は43歳で肝硬変のため亡くなります。 遺体は、夏場にも関わらず数日を経ても腐臭がせず、生きたままアルコール漬けになっていたのか、と医者を驚嘆させたそうです。 私は酒と心中...
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平気で生きる

正岡子規は、「病床六尺」のなかで、「悟りということはいかなる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りということはいかなる場合にも平気で生きることであった」と書いています。 平気で生きるということはいかにも難しいことです。ただ必死で、その日を生きている凡夫にとって、平気で生きるなど、空恐ろしいこととさえ言えます。 私は、平気で生きられるようになったら、どんなに良いかと思います。 正岡子規もまた、死の床に着いて、そのことに気づいたのでしょう。 そもそも平気で生きるという状態は、想像することすらできません。 それはまさに、悟りと言うほかないものです。
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昨日とは打って変わって、冷たい雨が降っています。それをいいことに、今日は家にこもって、昼寝など楽しみました。 冬の名残と、春の勢いが行きつ戻りつしながら、春本番を迎えるのですね。 今日は与謝蕪村の「うづみ火や我がかくれ家も雪の中」といった気分です。 寒い日に、籠り居できるというのも、休日の贅沢の一つです。 日曜日の夜はなんとなく憂鬱なものですが、それは精神を病んでいない人とて同じこと。むしろ普通の感情でしょう。
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春の強烈な日がさしています。 高浜虚子の句、「啓蟄や日はふりそそぐ矢のごとく」を思い出します。 ここのところ精神状態が不安定でしたが、今日は調子が良いようです。風が強くて散歩に出る気はしませんが、部屋の窓から日差しを楽しんでいます。 職場は年度末。なんとなく緊張感が漂っています。それでも今週、五日間、しっかり出勤しました。働いて、土日休む。その当たり前の生活を取り戻してからもうじき半年、気楽な図書館の仕事を用意してくれた職場に感謝しています。
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一週間

やっと金曜日の夕方になりました。 今週もしんどい一週間でした。 それでも、休まず出勤しています。 それだけは、よくやった、と思います。 私は精神病を患ってから、世を捨てた気分でいますが、本当に世を捨てることは不可能です。出家隠遁したところで、完全に世を捨てることなどできはしますまい。要はどう世間と付き合っていくか、ということでしょう。 西行の歌に、 世の中を 捨てて捨てえぬ心地して 都はなれぬ 我が身なりけり というのがあります。 漂泊の隠遁者のイメージが強い西行ですが、いくら旅を重ねても、結局は京の都に帰ってしまった、とのことです。 北面の武士という地位を捨ててまで出家した西行ですらそうなのですから、サラリーマンの私が世を捨てたなど、ちゃんちゃら可笑しいというものでしょうか。
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数奇者

森鴎外は、小学校入学以来、軍医として陸軍省に勤務している状態にいたるまで、自らの生活を、「芝居をしているかのようだ」と言っています。演出家は世間、自分は役者というわけです。 そして、深夜、読書や執筆に励む自分を、化粧を落とした状態だ、とも。 それなら、もはや芝居で活躍できなくなった私は、数奇者として生きる他ありません。 鴨長明は、「発心集」で、「数奇」を、「人の交わりを好まず、身の沈めるをも愁へず、花の咲き散るをあはれみ、月の出入を思ふに付けて、常に心を澄まして、世の濁りにしまぬを事とす」と、説明しています。 現代では、その語感から、「色好み」とする向きもありますが、それは字が違います。 職場で腫れ物扱いされている以上、せめて拙い化粧を落とした私は、数奇を気取りましょう。
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鼠三部作

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)村上 春樹講談社羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)村上 春樹講談社1973年のピンボール (講談社文庫)村上 春樹講談社風の歌を聴け (講談社文庫)村上 春樹講談社 雨に閉じ込められて、古い小説を読みました。  村上春樹の通称「鼠三部作」。 「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」です。 私はこれらを、高校生の頃から、繰り返し繰り返し、読みました。 文体は軽快。内容は切なくて不思議。 その後「ダンス・ダンス・ダンス」という続編が発表されましたが、私はこれを良しとしません。 「ノルウェイの森」がベストセラーになりましたが、通俗の感は否めません。 私は「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」をもって、村上春樹の世界は完結をみたと思っています。 ノーベル文学賞の声も上がっています。是非、受賞してほしいと思っています。
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新釈 四谷怪談

小林恭二の新作評論「新釈 四谷怪談」を読みました。 「四谷怪談」が「忠臣蔵」の裏の物語であることは、多くの学者によって指摘されていますが、この著書ではそれには多く触れていません。 「四谷怪談」を、貴から賎へ、聖から俗へ、の逆転の物語と捉えたうえで、さらに、女性解放の先駆けとなった物語と捉えています。 おもしろい見方です。 この歌舞伎が初演されてから約40年後に明治維新が起こっています。その後、女性解放は高らかに宣言されることになりますから、それに先駆けて、お岩様という祟り神が武家の男や、その係累を祟るというのは、江戸末期にあっては精一杯の女性解放運動だったかもしれません。 それにしても、小林恭二は最近、歌舞伎の評論ばかりで、小説を書いてくれません。20年来のファンである私は、小説を待ち望んでいます。新釈四谷怪談 (集英社新書)小林 恭二集英社
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公園

吉田修一の芥川賞受賞作に、「パークライフ」という小説があります。 日比谷公園での男女の出会いを描いた小説で、そこはかとなく切なくて、良い小説だと思いました。  今日は朝8時から2時間ちかく、散歩しました。 途中、公園のベンチでうとうとしました。そこで聞こえてくるのは、女性の声ではなく、定年後と思しき老人たちの大きな声でした。口々に昔の自慢話をしています。老人にとって、過去の記憶は光り輝く宝物なのでしょう。 私は期間限定の世捨て人ですが、老人のように元気だった頃の自分を懐かしむのはやめて、もう一度、世の中で生きてみたいと思うようになりました。 私を侮辱した上司への激しい憎しみも、なくなりはしないものの、薄らいできました。主治医は、あまりに激しい憎しみも、精神病の症状の一つと考えられる、と言います。 それなら私の精神病は、快方に向かっていると考えてよいのではないかと思います。
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同性愛

耽美主義の芸術の系譜には、同性愛を扱ったものが多くあります。 文学ではジャン・ジュネ、ヴェルレーヌ、ランボー等。 映画では、古くは「モーリス」、その後「ブエノスアイレス」、「太陽と月に背いて」、最近では「ブロークバックマウンテン」等。邦画では、「二十歳の微熱」などがあります。 「モーリス」だけは、公開当時、私自身が紅顔の美少年であったため、邪まな目でこの名画を見に来るお姉さまたちの視線が怖く、劇場に足を踏み入れることができませんでした。 「モーリス」はビデオで観たのですが、衝撃を受けました。単純な耽美主義の同性愛映画ではなく、社会と個の関係、非社会的な愛を、美しい映像で鋭く描いていたからです。お姉さまたちがマニア的に劇場に殺到しなければ、この映画はもっと正当に評価されていただろうと思います。 私はもう1年以上、享楽主義の同性愛者の兄と、求道的な弟の葛藤を描く長い小説に取り組んでいます。 同性愛者を描くと、そこには必ず、差別の問題や、社会的常識に反して生きる者の生き様などが浮かび上がってきます。 物語を作る欲望に取りつかれた者にとって、たいへん魅力的な題材です。モーリス HDニューマスタ...
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本朝聊斎志異

夏といえば怪談。 そこで、私が最も尊敬する現代作家、小林恭二の「本朝聊斎志異」を読みました。 「聊斎志異」といえば、清代の著名な怪異譚ですが、小林恭二はこれを底本に、見事に本朝にうつしとっています。悲劇・喜劇・怪異のオンパレードです。 物語を読む楽しみは、元来、このような、この世ならぬお話に尽きると言えます。 充分に堪能しました。本朝 聊斎志異小林 恭二集英社
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白浪五人男

7月25日(金)の深夜にNHKで放送された「劇場への招待・『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうし はなの にしきえ)」を録画したビデオを観ました。 通称「白浪五人男」で知られている歌舞伎です。 歌舞伎特有のご都合主義も気にならない、娯楽作でした。 尾上菊五郎演じる弁天小僧の江戸弁にうっとりとし、悪を描く徹底ぶりに圧倒されました。 作者の河竹黙阿弥については、小林恭二の評論「悪への招待状」がお勧めです。
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伊勢物語

ぼんやりした頭で、「伊勢物語」を二十年ぶりに再読しました。 二十年前は、西洋文学に興味があったので、「伊勢物語」を読んでも、物語の体をなしていないように感じましたが、今読むと、日本独特の、想像力を誘う物語形式であると感じました。 いわゆる「色好み」の「歌物語」ですが、現在、このような形式で物語を作ることは極めて困難でしょう。 歌が物語の中心ですから、極端に言えば、和歌集にちょっと長い物語風の注釈をつけただけのようにも見えます。 しかし、有名な伊勢斎宮との密通など、ショッキングな内容も含んでおり、そうした読み方は間違いでしょう。 やはり、「伊勢物語」は独特の形式を確立したものと言わざるを得ません。
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