文学

スポンサーリンク
文学

少女コレクション序説

昨日、今日と抹香くさい書物を読んだせいか、その抹香の香りを消したくなり、今は亡き澁澤龍彦先生の「少女コレクション序説」を読み返しました。  この秀逸なタイトルを冠した評論集は、数ある澁澤先生の書物のなかでも、もっとも読みやすく、よく出来たものです。表紙及び口絵を飾る四谷シモンの少女人形も美しい。 「エロティシズム」・「エロス的人間」に続く、西洋耽美芸術の評論集の三部作をなす最後の作品です。  私は、これらを初めとする澁澤先生の評論集・小説を、高校生の頃、夢中になって読みました。  後に、私は日本の古典に回帰しますが、私の基をなした、懐かしい作品群です。  全集も出ていますし、文庫でも出ているので、ご一読をお勧めします。  小説では、「高丘親王航海記」がお勧めです。 いずれも、考えず、ただ感じればよい、真なる芸術であって、近代にいたって始まった神経症的芸術の極北をなすものです。少女コレクション序説 (中公文庫)澁澤 龍彦中央公論新社エロス的人間 (中公文庫)澁澤 龍彦中央公論新社エロティシズム (中公文庫)澁澤 龍彦中央公論社高丘親王航海記 (文春文庫)澁澤 龍彦文藝春秋
文学

SM

普段、私たちは何気なくSMという言葉を使っています。サディズムとマゾヒズムの略です。  寝苦しい昨夜、深夜3時に目を覚まし、学生時代に読んだサディズムの祖、サド侯爵の「ソドム百二十日」と、マゾヒズムの祖、マゾッホの「毛皮を着たヴィーナス」を拾い読みしました。  いずれも幻想小説もしくは耽美主義などにちかい文学です。 いわゆる官能小説などとは異なります。  そこに描かれるのは、人間だけが持つ破壊された性衝動の姿と、少数者であるゆえの悲しみです。  サド侯爵は、その思想の強さと描写の過激さのために、獄につながれました。  近年まで、わが国においても文学作品を取り上げて、「芸術かわいせつか」などという馬鹿げた裁判がいくつも行われたのは、じつに悲しいことです。 わが国においては、表現の自由が認められています。  路上で全裸になるなどの行為は論外ですが、それが芸術として描かれたものは、すべて許されるべきです。 芸術として描かれたものとは、人間の真実が描かれているかどうか、という一点で判断すべきで、それが美しいか醜いか、劣情をそそるかどうか、などで判断されるべきものではありません。ソドム百二十日 ...
文学

蕪村秀句

水原秋桜子の「蕪村秀句」をぱらぱらとめくりました。 私は、与謝蕪村の句を深く敬愛しています。 芭蕉のような求道的な姿勢にも惹かれますが、私自身が怠け者のためか、蕪村のような、遊び心と憂愁を秘めた句により強く惹かれます。 四季のなかから、一つずつ、とくに好む句を選んでみました。 極めて困難でしたが。春 「ゆく春や おもたき琵琶の 抱ごころ」 夏 「牡丹散て 打ち重なりぬ 二三片」 秋 「中々に ひとりあればぞ 月を友」 冬 「うづみ火や 我かくれ家も 雪の中」
文学

宣伝

5月18日に、このブログで私の作品集「荒ぶる」のことを書きました。 発売から一ヵ月、予想より売れているそうです。  再度、宣伝させていただきます。 インターネット、もしくは書店でご注文いただければ幸いです。 内容は、読んでのお楽しみ。ただし、現在の私の病気のきっかけになったことが表題作になっています。  タイトル 「荒ぶる」 著者名  とびお暢宏 出版社  日本文学館 金額   1,050円(税込み)
文学

辞世のことば

中西進先生の「辞世のことば」をぱらぱらとめくりました。  この新書は、二十年以上前から、甘い死の誘惑にとらわらたときに読んでいるものです。死の誘惑にとらわれたときに、死を目前にした人々の言葉に生きる勇気を与えられるなどと、なんという皮肉でしょう。 例えば、次のような歌。「つひに行く道とはかねて聞しかど 昨日今日とは思はざりしを」(在原業平)。 稀代のプレイボーイも、平凡に死を迎えているところに、人間の死の軽さと尊厳が同時に見て取れます。おそらくこのような心境が、多くの人の真実に近いのではないでしょうか。 さらに、次のような詩。「行列の行きつくはては餓鬼地獄」(萩原朔太郎)。 萩原朔太郎らしい不気味な感じと同時に、どこか滑稽味を感じます。もとより、いつ死ぬか知らぬのに、死ぬと思って辞世をよむのは、滑稽なことです。 自死や刑によるものなら知らず。 最後に、私が最も尊敬する俳人、与謝蕪村の句。「白梅に明くる夜ばかりとなりにけり」 名句です。 与謝蕪村は、自身の死後、自身は白梅に明くる夜ばかりを過ごすというのです。極楽に咲くという蓮でもなく、日本人の好きな桜でもなく。 うなる以外にありません。...
文学

発心集

鴨長明の「発心集」を読みました。 これは、図書館で借りた「方丈記」に併せて載っていたので、気の進まないまま、とりあえず読みました。 内容は、仏教説話集。 私は、これが苦手です。 大学は国文科の出なので、一通り、古文漢文の類は学びましたが、学生の頃から、仏教説話集は苦手です。 なにしろ、抹香くさい。 それならいっそ、仏教書を読んだほうがよほど楽しめます。 全国の説話好きのみなさま、ごめんなさい。
文学

方丈記

鴨長明の「方丈記」を読みました。 なぜか突然、有名な冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」、というフレーズを思い出したからです。 初めて読んだ学生のころ、なんだか言い訳くさい随筆だな、と思いました。  しかし、今読むと、また違う感想を持ちます。  世を捨てて隠棲した筆者に、シンパシーを感じます。  今の私は、精神科医から出勤を禁じられ、いはば、期間限定の、世捨て人。その期間も、定かではありません。 鴨長明のように、方丈(約四畳半)の庵があって、時折琵琶を奏で、四季の移ろいを感じられれば満足、というわけにはいきませんが、私とて、どうせ出世するはずもなく、金持ちになれるわけもなく、私はただ、三食を食らって、夕餉にはわずかの酒を飲み、古人の残した名文に接し、その真似事ができれば満足です。 それにしても、日本の古典に接すると、現代作家も、作詞家や歌手も、仮に接したことはなくても、古典や日本の文化伝統から抜け出せないことを、思い知っていただきたいと思うばかりです。
文学

紫苑物語

石川淳の「紫苑物語」を読みました。 20年ほど前に初めて読んでから、何度読み返したかしれません。 私は、この小説を、古典と現代文学の交錯点と考えています。 石川淳が良く使うフレーズ「魂の運動」がこめられています。 文体も美しい。  私が昨日まで必死になって書いていた小説が何者だったのか、切なくなります。紫苑物語 (講談社文芸文庫)立石 伯講談社↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
文学

原稿送付

先ほど、完全原稿を文藝春秋社あて、送付しました。 気が抜けたような感じです。 明日以降、うつを警戒しなければなりません。
文学

歌と音楽、それに古事記

私は最近、歌が聞けません。 人間の声が、邪魔なものに聞こえて仕方ないのです。騒音と言ってもいいでしょう。 かつては、クラシックとか、ジャズとか、歌が付いていないものに興味がありませんでした。人間の声を、愛おしいと感じていました。  これは病気のせいなのか、単に年をくっただけなのか。  最近の私は、クラシックばかり聞いています。 昔の私からは、想像できないことです。 創作するときは壮大なシンフォニーで気持ちを持ち上げ、そうでないときはピアノの小曲などを聞いて気持ちを落ち着かせています。 それにしても、歌というのは、そもそも音楽というべきでしょうか、それとも、文学というべきでしょうか。 和歌などは、文学として扱われています。しかし、節をつけて読み上げるところなどは、音楽の要素もあるといえます。 わが国の神話を記した「古事記」も、かつてはそれを老人たちが朗々と歌い上げ、口伝で伝えられたと言います。アイヌ民族のユーカラに似ています。 それを、稗田阿礼が歌い、太安万侶が文字にして残したとか。「古事記」は、稗田阿礼と太安万侶のおかげで、美しい日本語として、今も我々日本人を圧倒します。 そう考えてみ...
文学

原稿終了

さっき、「文學界」新人賞応募のための作品を書き上げました。原稿用紙換算95枚です。 明日、見直して、遅くとも明後日には発送しようと思います。 ここ数日、ずっと執筆していたので、ちょっと疲れました。 軽い躁状態だったかもしれません。反動でうつ状態が来るかもしれないことが恐ろしいです。
文学

老師と少年

曹洞宗の僧侶である南直哉が書いた小説「老師と少年」を読みました。 禅坊主が書いた、老いた僧侶と少年の対話をつづったものです。  昨日「至高体験」を読んだせいか、今日は東洋思想に触れたくなりました。  一時期、仏教唯識論にはまって、唯識の本ばかり読んでいたことがあります。  三島由紀夫の「豊穣の海」に長々と唯識論に関する記述があり、それがはまったきっかけです。もう十年以上前です。  それ以来、仏教関係の本はずいぶん読みましたが、最近は遠ざかっていました。 この小説は、まさしく禅問答みたいなものなのですが、短いし、飽きずに読めました。老師と少年南 直哉新潮社老師と少年 (新潮文庫)南 直哉新潮社
文学

今日も

午前中は原稿を執筆していました。半日パソコンの前に座っていると、ひどく疲れます。目と肩にきます。手書きだったら、もっと疲れるでしょう。徹夜で書くなど、私には信じられません。 トーマス・マンは、「神聖な午前」と称して、午前中しか創作活動をしない、と公言していました。普通の体力の持ち主であれば、当然のことと思います。
文学

原稿執筆

今日は朝八時から今まで、書き物をしていました。 今月末締切りの「文學界」新人賞に応募するための小説です。 集中してパソコンに向かったため、目や肩がひどく疲れました。 これから蕎麦でも食い、午後はゆっくり読書などしようかと思っています。
文学

石川淳 コスモスの知慧

文芸評論「石川淳 コスモスの知慧」を読みました。石川淳の小説世界について、様々な論考がなされていました。 しかし、私は文芸評論が苦手です。読むのが苦痛でした。 ただ、石川淳の作品に関する評論を読んだことがなかったので、今回読んでみました。 どこかの絵描きが言っていました。「考えるな、感じろ」、と。 小説もそれで良いのではないかと思います。
スポンサーリンク