文学

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新しい言葉

生きざまなる珍妙な言葉が多用されるようになったのはいつごろからでしょうか。 少なくとも私が小学生の頃には無かったように思います。 死にざまは昔からありましたが。 遠藤周作は「生きざまなんていう日本語は存在しない」と言い放ち、ある国語学者は、「新しくて、嫌な、じつに嫌な言葉です」と述べています。 私自身はこの言葉を使うことはありません。 それは使い慣れていないから、どういう場面で使うべきか分からないからで、嫌悪感を持っているからではありません。 言葉なんて、生まれたり無くなったりするものです。 ただ、小説家や国語学者などが、なぜこれほど生きざまを毛嫌いするのかについては興味があります。 元を正せば死にざまに対する言葉として生まれたのでしょうから、そこには必ず、死の匂いが漂うはずです。 それゆえ、生きざまという言葉には、生き方などに比べ、暗い影が差すのでしょう。 死にざまは、死あるいは死にゆくさまということで、人の人生の集大成が凝縮された、ある意味怖ろしい言葉です。 私はできれば、豆腐の角に頭をぶつけて死にたいと思っていますが、それは落とし噺の世界だけのこと。 実際にそんな死に方をする人は...
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早すぎた埋葬

フィリピンで3歳の女児が葬儀の最中に生き返り、病院に搬送されたそうですね。 参列者は腰を抜かしたでしょうが、時折、こういうことが起こります。 医学が進歩していなかった頃は、仮死状態のまま埋葬され、墓穴の中でよみがえり、それらの人々がゾンビ伝説やヴァンパイア伝説を生みだしたものと考えられています。 ただし、今と違うのは、生き返った、と喜んで病院に連れ込むのではなく、化け物だ、悪魔だ、と言われて寄ってたかって撲殺されてしまったこと。 せっかく生き返ったのに、浮かばれませんねぇ。 わが国のコントなどでも、葬式の最中むっくり起き上がり、なぜかそのまま葬式用の酒肴で酒盛りを始める、なんていう番組がありました。 私が一番怖れるのは、火葬場に入れられた後に生き返ること。 泣いても叫んでも誰も気づかず、生きたまま焼かれてしまうのです。 これは様々な最期のなかでも、最も悲惨なのではないでしょうか。 じつはそういう場面を描いた小説があります。 たしか、筒井康隆の「七瀬ふたたび」だったように記憶しています。七瀬ふたたび (新潮文庫)筒井 康隆新潮社 人の心を読むことができる超能力者の家政婦、七瀬が、自分に辛...
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巴里祭

今日は巴里祭ですね。 パリの民衆がバスティーユ監獄を襲撃し、フランス革命が勃発した日。 本国、フランスでは、バスティーユの日、という名の祝日で、巴里祭と呼ぶのはわが国だけだそうです。 巴里祭なんていうと、なんとなくロマンティックな響きがありますが、実際は血みどろのフランス革命が始まった日で、ロマンティシズムとは程遠いものです。 本国では、今もフランス革命を支持する勢力と否定する勢力が拮抗し、7月14日には元貴族を中心に、喪服を着て過ごす人も多いと聞き及びます。 もちろん、圧倒的多数の庶民は、ワインをしこたま喰らい、花火に酔いしれるお祭りの日だそうですが。 勝者の理屈で歴史が書かれるのは古今東西、みなそうです。 しかし、今、わが国は世界でもトップクラスの好感度を誇り、世界から信頼されています。 ただし、中韓を除いて。 いくらなんでも70年前の行動をもって今なお攻め続けるのは無理筋というもので、それが証拠に中韓以外の国々は一様に現在のわが国の行動をもってわが国を評価していますね。 あんまり当たり前すぎる態度ですが、それが嬉しく感じるあたり、中韓の歴史を振りかざす横暴な態度は、わが国民にスト...
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台風一過

台風らしからぬ台風が行ってしまい、しかし台風一過らしい暑さがやってきました。 私が執務する部屋は西日があたり、エアコンをかけていても午後はむうっとする暑さです。 お手討ちの 夫婦(めをと)なりしを 更衣(ころもがへ) 与謝蕪村の句です。 更衣は夏の季語。 不義密通の罪で処刑されるはずのところ、罪一等を減じられて他国へ落ち延び、ようやっと二人で更衣の季節を迎えられた、といったほどの意でしょうか。 色っぽくも切ない内容で、夏の句らしからぬ情趣を感じます。 涼しさや 鐘をはなるる かねの声 こちらも与謝蕪村の句。 鐘がなるたびにその音は離れていく、ということで、爽やかな印象とともに、どこか寂しさも感じます。 郷愁の詩人と呼ばれた面目躍如といったところでしょうか。郷愁の詩人 与謝蕪村 (岩波文庫)萩原 朔太郎岩波書店 私は俳人のなかではこの人の句を最も愛好しています。蕪村俳句集 (岩波文庫)尾形 仂岩波書店 ただ、わが国の文人の例にもれず、この人も夏を詠んだ句は少ないようです。 夏と言う季節は、わが国の詩歌の美意識に合わないのかもしれませんね。 暑すぎて閉口しますから。 日傘の影 うすく恋して...
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芸術の暴力

今日は昼寝をしたり珈琲豆の専門店に行ったりして、のんびり過ごしました。 こういう土曜日も、時には悪くありません。 徒然に、好きな象徴主義の巨匠、ギュスターブ・モローの絵画集など紐解きながら。 私が最も好む「化粧」です。 初めて美術館で目にした時、私は30分以上この絵の前にたたずみました。 そして女のスカートがたびたび私の前をひらつき、私は必死にそれをつかもうとしたのです。 周りの客はさぞかし奇妙なやつだと思ったでしょう。ギュスターヴ・モローの世界新人物往来社新人物往来社 しかし、私が美術であれ文学であれ、その世界に深くシンクロすると、そういうおかしな現象が時折起こります。 そしてそれが起きると、私は激しく疲労します。 文学作品では、石川淳の「紫苑物語」や三島由紀夫の「鏡子の家」、川端康成の「眠れる美女」、倉橋由美子の「シュンポシオン」などでそういう現象が起こりました。紫苑物語 (講談社文芸文庫)立石 伯講談社鏡子の家 (新潮文庫)三島 由紀夫新潮社眠れる美女 (新潮文庫)川端 康成新潮社シュンポシオン (新潮文庫)倉橋 由美子新潮社 読み終わって数日の間、現実にいるのか物語世界の中に入...
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