日本で最初の性適合手術(当時は性転換事件)を行った産婦人科医が優生保護法違反の罪で逮捕、起訴された事件を基にした映画「ブルーボーイ事件」をネットフリックスで鑑賞しました。
今でこそLGBTQ(女性同性愛者・男性同性愛者・両性愛者・性自認が実際の肉体と異なる者・性自認が曖昧な者)の権利が声高に叫ばれ、表向きは性的少数者を差別してはならない社会になりましたが、この映画で描かれた半世紀以上前の日本社会では、差別は当然のことでした。
私は高校生の頃から男性同性愛に強い興味を持ち、多くのゲイの映画や小説に接し、美しい世界だと感じてきました。
しかし悲しいことに、私自身の性的嗜好はあまりにもストレートです。
すなわち、20代半ばから40歳くらいの優し気な女性を好む、という。
両性愛者ですらありません。
そして同性愛の世界に深いシンパシーを覚える私にも、多分差別意識はあるのだと思います。
フィクションで描かれる同性愛は美しくても、現実のそれはそうとも言い切れないからです。
したがって私は生身のLGBTQに出会ったなら、嫌悪を覚えるかもしれません。
私の職場に、性適合手術を受けて戸籍も男から女になった先輩がいます。
彼女は男として女性と結婚し、子供をもうけました。
子供たちが成人して後、女性になったのです。
凛とした美しさのある女性です。
しかしおそらく、社会教育施設という差別意識の少ない職場で働きながらにせよ、苦しい生活をおくってきたものと思料します。
わが国では長いこと、同性愛差別の少ない社会でした。
武士はむしろ両性愛を嗜みとしてきた風があります。
江戸時代には陰間茶屋という男娼の施設も公然と営業していました。
しかし明治時代以降、キリスト教の教えを旨とする欧米化の波が押し寄せ、同性愛を差別する社会になってしまいました。
不幸なことです。
この影響を知らず知らずのうちに受けて、両性愛であったかもしれない者の多くが異性愛者として生きることになったものと思われます。
私もそうなのかもしれません。
しかし両性愛者はまだ良いでしょう。
異なる性の者に対する嗜好があるわけですから。
しかし同性愛者には無理です。
同性を愛することしか出来ません。
この映画は、性的少数者を受け入れることを良しとするようになってきた現代だからこそ意味があるのかもしれません。
本音と建て前と言う言葉があるとおり、心の中では性的少数者を忌み嫌っていても、表向きは認めているという人は大勢いると思います。
精神病差別というものもあって、私はこれに苦しめられてきました。
表向き差別していない風を装いながら、私の昇任は一般的な年齢よりも10年遅れています。
私が精神障害者だと知らない若い者からは、本当に不思議がられています。
陰口など気にならなくなりましたが、さんざん言われているものと思います。
今でも。
障害者差別、男女差別、性的少数者差別、人種差別、職業差別、身分差別。
人はあまりにも多くの差別意識を持っています。
それが人間の本当だとしたら、この世から差別は無くならないでしょう。
超人(ニーチェとは関係ありません)が望まれる所以です