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その他

今朝は10時に起きました。 最近、過眠気味です。 お休みの日はよいとして、平日は6時に起きなければならないので、苦痛です。 目覚まし時計が恨めしく感じられます。 年を取ると早起きになると聞きます。 年寄というほどの年ではないですが、早起きになるきざしが見えません。 よく眠れると考えればよいんでしょうけれど。 晩酌がいけないんでしょうか。 でもそれほど飲んではいません。 焼酎の水割りを2杯だけ。 時には3杯。 いや、4杯飲むこともあります。  結局呑みすぎということでしょうか。 そんなことを自覚しつつ、今夜も吞んでしまうんでしょうねえ。 酒飲みというもの、愚かな生き物です。
精神障害

依存

今朝は4時半に目覚めてしまいました。 もう眠れないと思い、床から出てソファでぼんやりしていました。 ぼんやりしているつもりが、いつの間にか眠ってしまい、目覚めたら11時過ぎ。 どうなっているんでしょうね。 私の場合、不眠は躁転の始まり、過眠はうつの場合によく現れます。 今朝は両方きちゃった感じですね。 最近、義母が同居人を頼ること夥しく、病院へ予約の電話一本入れるのさえ嫌がって、同居人に電話してきます。 代わりに予約してほしい、と。 で、土日、同居人はほぼ、義母宅を訪ねている感じです。  私が一緒に行くとなると、義母、なけなしの体力に鞭打って、掃除を始めたりするというので、私は毎週お留守番。 今日も一人の土曜日。 一人のほうが気楽で良いわいと思っていましたが、毎週となると、おのずと変わってきます。 病中はもちろんそうでしたが、病癒えて10年以上が経とうとしているのに、相変わらず私は、同居人に依存しているのだな、との思いを強くします。 老いた義母にも、病人の配偶者にも依存され、同居人は重たい物を背負って生きているのですね。 義母からも私からも解放される日はいつ、どのような形で現れるんでし...
文学

年寄り笑うな

連休明け、2日間の勤務が終わりました。 落ち込み感はそれほどでもなかったですが、勤労意欲の低下は想像以上でした。 わずか5日の休みでも、確実に衰えていく感じがします。 がっつり残業をしても疲れなかったのは、遠い昔。 今では1時間程度の残業でも疲れ果ててしまいます。 若いころ小馬鹿にしてきた、新しいことを覚えられず、何事も仕事は部下に振って、自分は何もしない、そんなおじさんに、私がなりつつあります。 人に起こるようなことは大抵自分にも起こるのですね。子ども叱るな来た道じゃ。年寄り笑うな行く道じゃ。 というのは作者不詳の詩。 一説に、妙好人(厚い信仰をもち、念仏に生きる人)によるものとも言います。 私は子供を叱ることはありませんでした。 そもそも子供が出来なかったので。 しかし、年寄り笑うなは、つい最近まで守れずにいたのですが、今度は笑われるほうになってしまうとは。 一念発起して、何事も部下任せにせず、ある程度は自分でやるようにしないと、ますます勤労意欲は失せて、使い物にならなくなってしまうでしょうねぇ。 一昔前と違って、60歳で定年は迎えるものの、希望すれば65歳まで雇わなければならない...
精神障害

怖い

連休あけ初日。 恐ろしく勤労意欲のわかない日でした。 やるべき仕事はたくさんあるのに、自分の机に向かった、ただ、緊張のあまり手が震えたり、何もやろうとしない自分を観察したり、ろくなものではありません。 しかし、40代までは、そこまでひどくなかったような気がします。 50を超えて、急激に何事も怖くなりました。 働くことも、車を運転することも。 運転は左目がよく見えなくなってきたので理由がはっきりしています。 問題は働くこと。 若いころは怖い者無しで、上司だろうが先輩だろうが、言いたいことをさんざん言って、それで嫌われたりもしましたが、意に介しませんでした。  今は上司が怖いのはもちろん、部下も怖い。 私のことを馬鹿にしているんじゃなかろうかと思って。 とにかく今日、明日は低空飛行でしのぐしかなさそうです。
精神障害

しんどい

今日でゴールデンウィークも終わり。 5連休なんて呆気ないものです。 連休の終わりに恐れおののいて、今日は憂鬱に沈みました。 これでお盆のお休みまで大型連休はありません。 まるで連休の終わりを嘆くように、一日、強風が吹いて曇天でした。 そのため家に籠るしかなく、気分転換もできません。 連休の終わりはいつもそうで、慣れるということがありません。  新聞を開けばコロナに台湾有事。 嫌なことばかりです。 抗不安薬を処方の2倍飲んで、どうにか心の安寧を保っています。 まこと、稼ぐということ、また、生きるということはしんどいものです。
社会・政治

パンケーキ

家に閉じ籠っているのもいい加減飽きて、繁華街に出かけなければよいのだろうと、ご近所を2時間あまりも散歩しました。 散歩の途中、喫茶店に寄って、パンケーキと珈琲の昼食をとりました。 私としてはかなり珍しい昼食です。 まぁ、たまにはよいでしょう。 昼食をとって元気になり、さらに歩き回りました。 歩くと言ってもただの住宅街。 しかし、近くても普段歩くことのない所ですから、なかなかに興味深いものでした。 連休も明日で終わり。 寂しいですねぇ。 帰宅して新聞を広げたら、中国の空母群が第一列島線を航行したとかで、それに危機感を覚えた日米は、それぞれ駆逐艦と護衛艦で空母をはさむようにして進んだと書かれています。 中国は遅れてやってきた帝国主義国家のようで、なりふり構わぬ乱暴ぶりは、滑稽ですらあります。 しかし滑稽だと笑ってみたところで、かの国には痛くもかゆくもないわけで、だからこそ日米は軍艦を並走させたのでしょう。 中国は台湾を力づくで奪う腹だという説があって、それは信憑性が高い分析だと聞きましたが、そこまでやったら主要先進国すべてを敵にまわすことになりますから、そんな馬鹿げたことをやるだろうかとい...
思想・学問

絶対に知りえない

今日もお上の要請に従って、昼飯を食いに外出した以外は、家に閉じこもっていました。 コロナ太りは必至でしょうねぇ。 帰宅後、かの有名な「ベン・ハー」がテレビで放送されていたので、なんとなく、観てしまいました。 ローマ時代のユダヤの王族を描いた大河ドラマ、というくらいしか知識がなかったのですが、観てみたら、キリスト礼賛みたいな話なのですね。ベン・ハー 特別版(2枚組) チャールトン・ヘストンワーナー・ホーム・ビデオ 大河ドラマとしては面白く鑑賞しましたが、ラストがキリストの磔と奇跡の誕生というのでは、少々白けます。 まともにキリスト教を信じている人には、必然とも言うべきラストなのかもしれませんが、日本人の大半はキリスト教徒ではありませんし、私がそうであるように、ずっこけたのではないでしょうか。 あの長い長い映画は、何のために作られたんだろうという疑問を感じます。 キリスト教のことはよく知りませんが、隆盛の始まりが教祖の磔というのは、なかなかに残酷なものです。 後に多く生まれるキリスト教の宗教絵画は、私にはどれもSMっぽく感じられます。 しかしながら、欧州を始めとして、多くの人々があの宗教を...
社会・政治

日本国憲法、嗤うべし

今日は憲法記念日。 わが国自慢の平和憲法制定を寿ぐ日です。 米国製の憲法で、なぜか何十年にも渡って改正がなされず、すっかり時代遅れの遺物と化してしまいました。 永井荷風は憲法発布の日、米国の作りたる憲法発布のよし、嗤うべし、と、短くその日のことを書いています。 この憲法の問題点は、解釈の変更を重ねて、少なくとも9条については、有名無実化してしまったこと。 当初は一切の武装を否定していたのが、警察予備隊、保安隊、自衛隊と名前を変えながら軍隊を整備し、重武装をなし遂げてしまいました。 もう自衛隊なんていう嘘くさい名前は止めて、堂々と日本陸軍・海軍・空軍を名乗ったほうが、実状に合っているような気がします。 通常兵器に限って言えば、我が国は世界有数の軍事大国です。 核武装こそしていないことになっていますが、もしかしたら密かに核兵器を保有しているかもしれません。  実状に合っていない憲法を護持し、嘘の上塗りを重ねた憲法を後生大事に守り続けることは、日本人の倫理観を破壊する作用が働いている気がします。 国家の最高法規が実状に即していないのでは、我が国は法治国家たるの資格を失ってしまい、なんだかもや...
その他

呑む

今日は晴天なれども強風が吹き荒れました。 昼を食いに蕎麦屋に行き、その足で今夜の夕飯を買いに行った以外は、家でのんびり過ごしました。 蕎麦は好物の鴨せいろを食しました。 鴨肉、それに鴨のつみれがたっぷりと入った濃厚でコクのある逸品です。 休日の蕎麦屋では、冷酒を1合、食前に呑むのを慣例としますが、やはり、酒類の提供は止めていました。 時代の要請なのかもしれませんが、少しくらい呑ませてほしいものです。  夕飯は鯖の塩焼きと豆腐、それにごぼうサラダです。 これでまた一杯やってしまうんでしょうね。 まったく酒飲みというもの、賎しいですなぁ。 時代の要請による酒類の提供禁止を見るにつけ、私は恐怖を覚えます。 強権的な政策にではありません。 行きつけの酒を呑ませる店が、バタバタと潰れてしまうのではないか、ということにです。 蕎麦屋や中華屋などはそれでも昼の営業でなんとかなるのかもしれませんが、居酒屋やバーはもたないような気がします。 わが国の食文化は、酒を呑むのを前提に、つまみ的能力が高いものを生み出してきたように思います。 コロナでその伝統が破壊されてしまうのではないかと思うと、暗澹たる気分に...
その他

引退

今日、どうしてもそごう千葉店に店を構える椿屋茶房のビーフカレーが食いたくなり、独り、千葉に向かいました。 車で15分ほど。 もともとカレーはあまり好まなかったのですが、なぜか、ここのビーフがごろごろ入ったやつが気に入って、時折、食べに行きます。 今日は同居人は休日出勤のため、気軽にお昼を食べに向かいました。 サラダとスープとビーフカレー、それに食後の珈琲までいただいて、大いに満足です。 食後、本屋に立ち寄りました。 そこで、思いがけない人とばったり会いました。 3月いっぱいで早期退職した58歳の先輩です。 腹がいっぱいで、お茶も入らないという状況であれば、本屋の前のベンチに座る程度しかできませんでしたが、しばし話し込みました。 先輩、まだ職場のことが心配な様子で、さかんに今の状況を聞きたがります。 正直に話すと、先輩、暗澹たる気持ちになったようで、暗い表情を浮かべます。 先輩の席に後任者は来ず、暫時空席。 いつ後釜が来るのか分かりません。 おかげで部下たちはメンタルをやられるやつが続出。 あらためて、先輩の偉大さが分かります。 それにしても、退職後わずか一か月で、すっかりおじいちゃんぽ...
社会・政治

禁酒令

今日は昭和の日の日で仕事はお休み。 お休みの日によく昼飯を食いに行くイタリア料理店を訪れました。 もちもちのパスタが売りの、小さな店です。 ここに来ると、ちょっとした肉料理とサラダで食前の生ビールを楽しみ、しかる後、パスタを食すのが恒例です。 しかし、今日は違いました。 いつものように生ビールを頼んだら、馴染みのお姉さんが、昨日から酒類を出すことが禁じられた、というのです。 お姉さん、申し訳なさそうな表情を浮かべています。 やむを得ず、水を飲みながらいつものように肉料理とサラダ、それにジェノベーゼを頼みました。 っそれぞれ美味なのおですが、生ビールがないと、なんだか物足りません。 コロナ禍では致し方ないのかもしれませんが、ささやかな贅沢さえも許されない時代なのですね。 禁酒法という愚かな法律を発したかつての米国のようです。 違うのは、家で呑む分にはお咎めなしということ。 それにしても禁酒令などが発せられたら、世間にあまたある居酒屋やバー、鮨屋は上がったりでしょうね。 上がったりどころか、店を畳まなければならないという事態も続出するでしょう。 行きつけの鮨屋や居酒屋、バーが軒並みなくなっ...
文学

時間を超越すること、あるいは恋愛譚

私が住むマンションの真ん前に、蕎麦屋とイタリア料理店があります。 休日の昼は、どちらかで食べています。 で、近頃気づいたことですが、コロナが流行して以来、イタリア料理店は明らかに客が減り、今や閑古鳥となり、その営業は風前の灯火と思われるのにたいして、蕎麦屋は今も以前と変わらず、繁盛しています。 これは不思議な現象です。 どちらも安価で美味なのですから。 世の中、不思議な現象に満ちています。 初めて会うのに、昔から、いや前世からの知り合いのごとく、初めて会った気がせず、最初から親近感を覚える、あの現象も、考えてみれば不思議な話です。 これは、大抵の場合、男女の浪漫的な恋愛譚に現れるものです。 女は待ち続けていた男に出会ったと喜び、男は探し求めていた女に出会った、と言うような。 恋愛というのは脳が一部馬鹿になった状態でしょうから、恋愛感情によって破壊された脳が、初めての相手なのに既視感を覚えさせ、それを運命的出会いと呼び、二人は恋に落ちていくというわけです。 しかし多くの場合、その感情は長続きせず、別れてしまうか、別れるのも面倒くさいから惰性で一緒にいるか、どちらかにならざるを得ません。 ...
社会・政治

疲れと慣れ

東京等の都市部に、またもや緊急事態宣言が発出されました。 最初の時は職場も大騒ぎで、仕事は全部自宅で、リモートワークでやれというお達しが出て、原則出勤を禁じられました。 しかし2回目の時も今回も、またか、という程度の認識で、出勤禁止というお触れもでていません。 普通に出勤して普通に働いて良い、ということのようです。 コロナ疲れというべきか、あるいはコロナ慣れというべきか。 ワクチンが出たということですが、コロナ終息にどれだけの効果を発揮するのやら。 私は懐疑的に見ています。 飲食店や観光業などは商売あがったりでしょうけれど、一方、アクリル板の会社などは大儲けしているんではないでしょうか。 実態は知りませんが。 私が生きるお役所の世界は、コロナにより左前になるということはまずありません。 そこらへんのぬるさが、よろしくないことでしょうね。もっとも、コロナ対策を行う省庁に出向でもしていたら、これは大変なことになったでしょう。 今の私にできることは、マスク着用を守り、手指の消毒をし、あとはひたすら眺める人になるだけです。 この世界がどう変わるのか、変わらないのか、それを観察したいと思います。...
文学

かくれ家

今日、千葉市はひどい南風が吹き荒れて、お昼に近所の蕎麦屋に行っただけで、終始、家に籠っていました。 大雨だとか、雪だとかで籠り居するのは、どこか気持ちが良いものです。埋火や 我がかくれ家も 雪の中という与謝蕪村の浪漫的な俳句を思い出させるような、心地よさを感じます。蕪村句集 現代語訳付き     (角川ソフィア文庫)与謝 蕪村角川学芸出版 しかし、ピーカンに晴れているのに、家に籠らなければならないというのは、なんとも無粋な感じがします。 晴耕雨読とか申しますが、こう風が強くては、畑を耕すこともままならないでしょう。 私はただ、煌めくお日様を眺めては、南風を呪うばかりです。
その他

ぼんやり

今日は同居人が老いて独り暮らしをする義母を見舞に行ったため、独り、のんびり過ごしました。 ゴロゴロしていて、散歩する気も起きません。  コロナで好きな週末お上りさんもできなくなり、歩くと言ってもご近所ぐらい。 健康を意識して歩くのならば、同じところを毎日でも良いのでしょうけれど、私の場合、色々な、違った場所を歩きたいという欲求があるため、ご近所散歩ばかりでは物足りなく感じます。  今年は花見にも行きませんでした。 例年であれば、上野に行ったり、靖国神社に行ったり、目黒川のあたりを歩いたりするんですけれど。 家にいるからといって、ホラー映画を観るでもなし、小説を読むでもなし。 ぼんやり過ごすことが多くなりました。 よく昔のお父さんが、休みの日というとテレビを見ながら横になっている、という図がありました。 昔は週休2日が定着しておらず、土曜日は半ドンだとしても、朝から1日休めるのは日曜日だけ。 それでは出かける気も起きないでしょうし、体を休める必要があったのでしょうね。 世間の中年男性の多くがそうであるような、ステレオタイプのおじさんに、私もなっているような気がします。  我が家は子宝に恵...
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